匠雅音の家族についてのブックレビュー    家族、積みすぎた方舟−ポスト平等主義のフェミニズム法理論|マーサ・A・ファインマン

家族、積みすぎた方舟
ポスト平等主義のフェミニズム法理論
お奨度:

著者:マーサ・A・ファインマン   学陽書房、2003年   ¥2800−

著者の略歴−コーネル大学法学部教授。テンプル大学卒業後、シカゴ大学で法学博士号を取得、ウィスコンシン大学とコロンビア大学で教えた後、1999年から現職。研究テーマは「親密性の法的規制」。著書多数。
 ポスト平等主義のフェミニズム法理論と副題がついた本書は、きわめて反動的で保守的である。
恵まれないシングル・マザーを救へと主張するが、本書はフェミニズムが到達した地平を引き下げるものである。
貧しい人たちを救う救貧運動があるが、フェミニズムは断じて救貧運動ではない。
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 フェミニズムは「クレーマー、クレーマー」が象徴するように、専業主婦だった中年女性が自立を求めて、立ち上がったことから出発している。
専業主婦の中年女性たちは、男性に養われており貧しくなかった。
経済的には恵まれているにもかかわらず、女性たちには生きる手応えがなかった。

 1960年代以降のフェミニズムは、女性が生きる手応えを求めて立ち上がったものであり、貧しさの克服が目的ではなかった。
というより、ある程度の裕福な経済状態になって初めて、フェミニズムは成立し得たのである。

 社会が貧しいうちは、全員が働くことに精一杯で、生き甲斐に悩む暇などない。
農耕社会では男女ともに、田や畑で働いてきた。
貧しい時代には豊かになったら、余暇を楽しもうと考えてきた。
そして、工業社会において、豊かな社会が実現されると、女性は稼がなくとも良くなった。
しかし、稼がなくてもすむことが、女性から生きる支えを奪い、虚しさだけを残した。
そこで、生きる手応えを探した結果、フェミニズムは自力で稼ぐことを発見したのである。

 フェミニズムとは豊かさが生んだものだ、と言っても過言ではない。
女性が家庭につながれ、子育てに専従することが、自立の妨げだと主張したのは、フェミニズムが初めてだった。
だから、女性は自立のために子育てを放棄して、「人形の家」のノラのように家を出たのである。
そして、経済的な自立を果たした後、男性と同じ発言力を持って、再度子育てに取り組んだのである。
他人に扶養されながら子育てに専従することが、子供にも悪い影響を与える。
それがフェミニズムの主張である。
本書は歴史の進む方向と、まったく反対を見ている。

 1960年代、ウーマン・リブという形で、女性の台頭が始まった。
この当時、女性たちは自分自身の問題を、社会的な位相でとらえ、社会に向かって発言した。
ウーマン・リブは自分自身の問題を取り扱ったので、誰かを救済するといった他者に向かった啓蒙運動ではない。
自力で自分が立ち上がるための運動だった。
そして、ウーマン・リブを引き継いだフェミニズムも、自主独立の運動として始まった。

 女性は社会的に差別を受け、弱者の地位におかれて保護されている。
フェミニズムにおいて、女性は差別と保護の対象から抜け出した。
自らの地位を独自にうち立てるための、弱者から強者への転換を図った。
そして、女性は男性と平等になりつつある。

 運動を担った女性の高齢化が進み、女性たちは大学などに、それなりの地位を確保した。
そこでフェミニズムは変質をはじめ、保身を図る反動に転落した。
そして、当事者の自主独立の運動ではなくなった。
弱者としての女性を救う運動、つまり他者を相手にした救貧運動になった。

 フェミニズム法学の闘いが示そうとしたのは、両性間に妥当な差異はなく、よって法律のもとでの不平等な処遇には根拠がないということだった。そこでジエンダー中立性の法原則の追求が、重要な象徴的構成要素となった。フェミニストの中には、言葉の上で平等をはかる動きが高まれば、婚姻や離婚という状況下の行動パターンにも具体的な影響がでるという期待さえあった。
 しかしジエンダー中立性をつきつめていくことは、「母性」というジエンダー化された概念にもとづく女性の優先権を、法制度が一切合切捨てなければならないことを意味していた。P110


 差別の解消は、保護の消滅でもある。
筆者は差別が解消されるにつれ、女性への保護がなくなってしまい、女性も男性の競争にさらされ始めたことを恐れている。
女性がよって立つところは母性だから、母性原理に従った運動をつくるべきだと主張する。

 フェミニズムは本人の意志では変えられない属性、つまり女性であることによって、差別を受けることを否定する。
それまで女性は子育ての専従者として、家庭に縛り付けられてきた。
やっとの思いで子育てを手放し、自立の一歩を踏み出したのである。

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 差別の撤廃は社会的劣位におかれた者を、より一層の貧困に陥れる。
それは部落差別が撤廃されると、部落民が独占していた職業に、豊かな平民が参入して、部落民の経済状態を悪化させたことでも判る。
しかし、差別の撤廃は、長期的には経済的また社会的な平等に資する。
それゆえに差別の撤廃が支持されるのである。
本書は法理論といっているが、理論というより政策論である。
しかも、大学の教授といった強者たる女性が、弱者たる庶民の女性を救うといった形の政策論である。

 女性への暴力に関心が向いている女性運動をたしなめ、家族への関心を呼びかけるのは良い。
そして、多くの女性フェミニストたちが、核家族を前提にしていることへの不満を述べるのも至当である。
<法的制度としての婚姻を廃止せよ>と主張するのも正しい。

筆者は次のようにいう。

 家族という領域で、平等主義モデルにもとづく変革が失敗に終わった原因は、ひとつには家族にむけられた最初の批判の性格が影響している。家族より上位の社会における平等を要求したリベラル・フェミニズム法学は、家族という制度の再考を促した。しかし、この再考はいったい何が「家族」を構成するのかという核となる槻念に、踏みこむことなく終わってしまった。フェミニズムにおける「新しい」家族の観念とは、女性の市場参加を支持してくれる制度であり、そのレトリックもまた、家族の核を男女のカップルとする家族の理想像を、依然として反映していた。P179

 女性が差別されてきた理由、そして台頭した根元的な理由を考察しないから、新しい家族の観念が生み出せなかったのは当然である。
筆者はここで根本的な理由の考察に至らず、シングル・マザーが経済的に恵まれていないとの現実を見る。
そして、シングル・マザーを救えとばかりに、母子の関係を家族の基礎だと主張する。

 母子関係のメタファーを用いることにした私の提案の理由を、ここで明確にしておこう。イデオロギー的ユートピア主義に身をまかせて語るならば、「自然な」性的家族の主導権に対抗するのに必要なのは、そのイメージと同等の力をもつ文化的シンボルであると私は確信した。もっとも明白な共有されたイメージをもつ関係は「母子の二者関係the Mother/Child dyad」である。これはプロトタイプ(原型)的な養育単位であり、性的家族の基本単位を構成する夫・妻の二者関係(ダイアド) にうまく置き換えうるものだ。私は基本的な家族のバラダイムの核に代替するものとして「母子」を提案する。P257

 貧しい境遇におかれた者を救へというのは、社会政策的な発言としてはもっともであり、貧困は撲滅されなければならない。
しかし、家族の新しい理念型として母子関係を持ち出すのは、現実と理念の位相の違いが理解できていない証拠である。

 男女の性関係を基本とする婚姻にかえて、ゲイや複数の男女の集団など「オルターナティヴ」家族を指向していながら、生理的な属性である母子関係に収斂するとは、オルターナティヴ性をまったく否定する論理矛盾である。
筆者の母子家族論は、産業構造との連関も考察されていないし、うわすべりの単なる正義感でしかない。

 貧しいシングル・マザーを救えといっても、大学の教授である筆者には当事者性がまったくない。
象牙の塔から他者を救うために発する論理は、1960年代に有効性を失ったはずである。
フェミニズムは自分自身の思想であり運動である。
救貧思想としてのフェミニズムなど、論理矛盾そのものである。
上野千鶴子氏が35ページにわたる本書の長い解説で、本書を絶賛し母子家族論に賛意を呈しているが、我が国の大学フェミニズムの醜悪さが露呈している。

 アメリカには近代しかなく、前近代がないので、アメリカにおける家族は核家族しかない。
そのために核家族に継ぐものとして、母子家族を想定するのは同情できないわけではない。
しかし、我が国の学者が本書に賛辞を寄せるのは、根本的な無知の証明である。
上野氏は論理が破綻して究極の隘路にはまってしまった。 
(2003.7.4)
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 2003年7月14日、本書の訳者である穐田信子氏から、ファインマンのいう母子関係とは「 」付きであることを見落としている、というご指摘がありました。しかし、本書を読む限り、「 」付きと見なすことは困難です。氏が主張されるように、「父と子でもよく、〜広くケアする関係をさして使われています」と読むことは、もっと困難です。

 ファインマン自身、「核となる単位を母子と定義する」P13と明言しています。また別のところでは、父子ではいけないのかという設定に、否定的な返事をしています。彼女はたしかにケアの単位ともいっています。しかし、彼女にとっては、男性社会が女性にケアを押しつけると考えるので、母子という生理的なものに拘泥する論理必然性があります。

 女性という性にこだわって、彼女の論は成り立っています。母子関係が「 」付きのものであるなら、無性化した単家族といった展開が見えるはずです。訳者からご指摘を受けましたが、書評を訂正する必要を感じませんでした。付言すると、本書は<家族に関する一般理論>と、<家族に関する政策論>を同位相で論じるという、決定的な欠陥があります。

 本書に関しては、Eleanor Willemsenの詳細な書評がありますが、当サイトは彼とは立場が違います。また、本書に関連したMichael Selmiの文章によると、アメリカにおけるフルタイムで働く女性の収入は、対男性比(男性を100として)で下記の通りだと言います。
20〜24歳 89.4%
25〜34歳 83.0%
35〜44歳 73.5%
45〜54歳 70.5%
55〜64歳 68.2%
 どんな運動の果実も、遅くきた者が収穫する。フェミニズムも例外ではない。(2003.07.18)
 
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参考:
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
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サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
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塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
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ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005

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