匠雅音の家族についてのブックレビュー    専業主婦が消える|未包房子

専業主婦が消える お奨度:

著者:未包房子(すえかね ふさこ)−−同友館、1994年、¥1、500−(絶版)

著者の略歴−1930年−栃木県に生まれる、1951年−実践女子専門学校生活科卒業、1971年−消費生活コンサルタント、 1973年−東京都小金井市消費生活相談員として就職、1993年−東京都小金井市消費生活相談員退職、現在−小金井市個人情報保護審議会委員、小金井市リサイクル会議委員、小金井市公民館企画実行委員、小金井市女性フォーラム実行委員
 フェミニスト学者たちの書くものが、女性であることから抜け出ることができず、
専業主婦にまでエールを送っている。
そうしたなかで、筆者は専業主婦でありながら、専業主婦を消えゆくもの、専業主婦は消えゆくべきものと書いている。
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専業主婦が消える

 女性運動は、女性一般の問題として出発したのは確かだが、
女性が社会へ出て働くことを指向したとき、ウーマニズムからフェミニズムへと孵化した。
つまり専業主婦の乗り越えが、フェミニズムの成立だったのである。
わが国のフェミニスト学者の書くものは、いまだに専業主婦に拘泥している。
ウーマニズムの地平から離れることができない。

 筆者は自分のことを一介のオバサンといっているが、このオバサンは鋭い社会眼をもっている。
市井にありながら、いや市井にいるからこそ、こうした視点が獲得できたのだろう。
学者たちの書くものと異なり、本書は論文調の精確さを装った文体ではない。

 海外の参考文献の翻訳でもなく、自分の体験からでた自分の考えを自分の言葉で書いている。
だから、きわめて説得的である。
これだけの論旨を展開しながら、自分は素人だと謙遜している。
本書はまごうことなきフェミニズムの本である。
この64歳の優れた社会眼を持ったオバサンと、無能なフェミニスト学者たちとの違いはどこから来るのだろう。

 自分の体験を交えながら、
性別による役割分担に支えられた専業主婦という存在の危うさを訥々と説いていく。
その多くは、すでにどこかで書かれたものが多いようには感じるが、
この著者が語るとき実に身にしみるのである。

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 自らの収入のない専業主婦という地位に安住することは、
若いときは幸福に感じるかも知れないが、それは夫という男性に支えられた幸せであり、
自分が自力でもっているものではないと言う。
自分の目線の高さからの正直な感想なのだろう。
 
 筆者は悪妻になることをすすめているが、それは実に可愛いものだ。
筆者のいう悪妻とは次のようなものだ。

深夜に帰宅する夫を起きて待つのでなく、一定時刻後は床についてしまう。
・下着など自分の衣類は夫に管理させる。
・妻が留守にする時、食事のことは夫にまかせ、準備しておかない。
・時には子供を夫に預け、妻が一人で外出する。
・日を決めて、その日の家事一切は、夫がやることにする。P.210

 きわめて当たり前のことのように感じる。
が、専業主婦として養われている限り、悪妻になることはできないだろう。
専業主婦とは夫に雇われたセックス付きの家政婦なのだから。

 筆者は専業主婦として夫に尽くすこと自体が、夫を「ぬれ落ち葉」にするという。
この指摘は最近でこそ聞かれるようになったが、本書が出版された1994年当時には耳にしなかった。
むしろ女性は被害者だ、気ままで勝手な夫の犠牲になっているのが、主婦だという主張が声高だった。

 一部のフェミニストは未だに、女性を弱者だといって女性への保護を求めている。
しかし、筆者は専業主婦の存在が、夫婦という関係の中で果たす役割を冷静に見ている。
専業主婦は決して一方的な犠牲者なのではなく、加害者でもあるのだという視点は、すぐれて近代人のものである。

 女性が自らを弱者だと考え、弱者の地位にとどまろうとする限り、女性の自立は永遠にこない。
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参考:
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫  2008年
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994

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