匠雅音の家族についてのブックレビュー    女はなぜ出世できないか|シェア・ハイト

女はなぜ出世できないか  お奨度:☆☆

著者:シェア・ハイト  東洋経済新報社、2001年  ¥1600−

著者の略歴− 1942年米国ミズーリ州生まれ。ハイト・リサーチ・インターナショナル所長、ハイト財団理事長、日本大学大学院国際関係研究科客員教授。博士(国際関係、日本大学)。米国コロンビア大学大学院修了後、1976年に著した『女性の性に閑するハイトリポート』は世界的にセンセーションを巻き起こし、英国紙が選んだ20世紀の名著100冊の1つに挙げられている。以後、『男性の性に関するハイトリポート』、『家族に附するハイトリポート』等十数冊にわたる一連の著作を世に出している。パリとロンドンを拠点に活躍し、各国の大学でジェンダー論を講じているこの分野での第一人者である。

 本書の題名からすると、際物と思うかもしれない。
しかし、きわめて真面目でしかも根底的かつ先進的である。
本書は実に柔軟で、男女の両者に暖かい視線をもって、働く場所=職場を考えている。
わが国の大学フェミニストたちも、本書のようなスタンスを見習ってほしい。
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 男性は職場で働き、女性が家庭を守る。
こうした性別による役割分担は、男女差別を生む温床である。
男性も女性も、自分の食い扶持は自分で稼ぐ、それが当たり前になってきた。
とすれば、女性も一生にわたって働くのは、当然である。
たとえ結婚しても、いまや専業主婦になることなど想像もつかない。
それがフェミニズムの到達した地点である。

 男女が同じ職場で働くとすれば、さまざまな問題が噴出するだろう。
男女が同じように机を並べるのは、それほど長い歴史をもっていない。
だから、性別の違いによる戸惑いは、男女ともに抱かざるを得ない。
そこで、男女はどうしたら気持ちよく一緒に働けるのか、そうした疑問がでるのは自然である。
 
 職場で、男性と女性は、「家庭」やデートで一緒にいるときのような関係でなければならないのか。もちろん、答えはノーである。友人としての関係であるべきか。答えはイエス・アンド・ノーである。同僚は常に友人であるとは限らないし、そうである必要もない。職場での関係は、「友人関係」という定義には該当しない。フットボール、サッカーなどのスポーツチームの中で男性はさまざまな男性と競争し、チームワークを通じてライバル、敵、友人を知ることになる。しかし、ビジネスの世界には、異性とどのように協力していったらいいかを学ぶためのトレーニングは存在しない。私たちが教えられたのは、「出会って同僚になる」ことだけである。こうした古くさいレッスンは、現代には通用しない。P30

 筆者の視点は、実に新鮮である。
年齢の上の人が上司になる傾向が強い。
そこで女性にとっては、上司は父親のような存在になってしまう。
企業が家庭化しているという。
つまり、男女の問題に、年齢秩序がおおいかぶさってくる。

 わが国のフェミニストたちは、家父長制から年齢秩序を置き忘れてしまった。
そのため、実社会のさまざまに異なった人間が存在する様相を解析できなくなった。
会社といえども、高齢者がいるのであり、多くは高齢者が女性の支配権を握っている。

 新聞には離婚率の上昇に関する統計が載り、「家族の崩壊」が報じられる。この「家族の崩壊」は、実際には、私たちすべてに利益をもたらす家族の民主化と多様化のプロセスである。家族の崩壊の根底にある原因は、男性と女性との問にある伝統的で不平等な「情緒的契約」である。P155

 この発言は、現実が良く見えている。
家族の崩壊は、決して悲しむべきことではなく、われわれに利益をもたらす民主化である。
わが国では、専業主婦がのさばっているから、家族=核家族の崩壊を賛美できない。
核家族が崩壊したら、もっとも困惑するのは、専業主婦という女性なのである。

 筆者は専業主婦という立場については、まったく言及しない。
筆者の関心は、働く場、そこでいかに女性が自分の能力を発揮できるか、それにしかない。

 昇進していく女性、とくに中間管理職から上級管理職へと進んでいく少数の女性は、非常にタフな心理的・性的問題に直面することになる。その問題は「家庭と家族」ではなく、彼女自身の心の中にある「古い思考」と「新しい思考」の混乱・葛藤である。この混乱は、「新しい思考」についての社会的誤解によって増幅される。「新しい思考」とは「すべてが自由」ということではないし、「いかなる規則にも注意を払う必要がない」ということを意味しているわけでもない。生まれてきている新しい思考とは、今まで正しいとされてきた伝統的な倫理と、個人の判断とを倫理的に結びつけることなのである。P196

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 筆者は女性の連帯を語らない。
女性という性別が、社会的に何か意味がある、そんなことは1980年代で終わった。
いまや女性という性別と、女性という性差は直接の関係を持たない。
女性という性別の人間が、社会的な女性である保証ははまったくない。

 他の女性に対する女性の期待は、「フ工ミニズム」と「ポスト・フェミニズム」から25年たった現在では違ってきている。「女性は女性を支持すべきである」という漠然とした感情が行き渡っていて、女性は他の女性をぞんざいに扱うのが当たり前だといった考え方をする女性はもうほとんどいない。それでも女性は、出会った女性が依然としてこのような考えで行動し、冷たく当たってくるのではないかと恐れている。女性は、新しい女性に対して疑惑を感じるのである。P225

 男性社会では、男性の仁義のようなものを、無意識のうちに教え込まれる。
おそらくそれは女性たちも同様だろう。
それについて筆者は、象徴的な発言をしている。
男性は友人や父親のペニスを見ることができるが、女性は母親の性器を見ることはない、と筆者は言う。

 母親と娘が性器について話したとしても、それは生理や医者にかかる場合に限られている。母親は性器に触ると性的快感が得られることやオーガズムの体験について自分から話してやることはない。少女は接触が禁じられていること、すなわち「禁止」を社会的に教え込まれるわけである。P236

 こうした指摘は何でもないようだが、私たちの心のなかに潜んでいる差別意識をあぶり出してくれる。
そして、企業が中性化しているのは、家庭の反映だという。

 両親はほとんど情熱的なキスをしないし、子供たちにセックスの話もしないので、息子や娘は「わが家にはセックスはないのだ」という結論に達してしまうのである(朝、母親が子供たちに朝食の用意をしながら、「今朝はとても疲れているの。あなたたちのパパと昨夜遅くまでセックスをしていたから」と言う情景を想像できるだろうか)。(中略)セックスと妊娠という女性の生活の部分は隠されておくべきであり、企業の壁の外側に遠ざけておかなければならないのである。それは、聖母マリアのイエス出産と似たところがある。どのような絵画や描写においても、マリアは妊娠した大きなお腹もしていないし、出血もなく、出産のために開脚してもいない。出産後の汚れもなく、妊娠も出産も無垢なのである。企業はこっけいなことに、企業内においてこれと同様の出産モデルを課しているのである。
 よく考えてみよう。
 これとは違った企業のあり方はどのように描けるだろうか。職場の中で、もっと尊厳がありもっと現実的な新しい関係を、私たちは描き出すことができるだろうか。


 私は社会が中性化すると考えるものだが、筆者はオフィス・ラヴを肯定し、男女の性的な部分を全的に肯定している。
性別と性差が切り離される現状にたいして、筆者は性別と性差の融合を試みている。
筆者の視点が、新たな人間関係を築く礎になることを祈っている。
教えられることの多い本だった。
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参考:
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫  2008年
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997


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