匠雅音の家族についてのブックレビュー    母系社会の構造−サンゴ礁の島々の民族誌|須藤健一

母系社会の構造
 サンゴ礁の島々の民族誌
お奨度:

著者:須藤健一(すどう けんいち)−紀伊国屋書店、1989年  ¥2、500−

著者の略歴−1946年新潟に生まれる。1975年東京都立大学大学院(社会人類学専攻)博士課程中退.現在,国立民族学博物館助教授.文学博士.編著書:『社会人類学の可能性 T 歴史のなかの社会』(共編,弘文堂),他.  論文:「サンゴ礁の島における土地所有と資源利用  の体系」「ミクロネシアの母系社会の変質」「地位と情報の交換論」,他.
 人類は母権制社会から始まったという説が、かつて一世を風靡した。
マルクス主義者が、母権制社会を人類の原始だといったので、
女性論者たちもそれに便乗したわけである。
しかし、人類史のどこを捜しても、女性が権力を握った社会は存在しない、というのが今では定説になった。

 本書でも次のように言う。

 人類史における母権先行説は、19世紀末の進化論的思潮のなかでうまれた空想の域をでない仮説である。エンゲルスは、財産や富の私有化にともなう母権制から父権制への転化を、「女性の世界史的敗北」と位置づけている。だが20世紀にはいり、民族学の調査が進むにつれ、女性の出自によって集団を編成する社会であっても女性は政治的権力を手中におさめていないことがあきらかになった。P18

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 権力はそれを支える物質的な基盤を必要とするから、
もし母権制社会があれば、女性が権力を握るための基盤は何か、が問われる。
しかしその基盤には、何の回答も用意されていなかったのだから、女権先行論が崩壊するのは必然だった。

 母権制社会はなくとも、母系制社会は存在する。
母権と母系で紛らわしいが、母権制とは政治的な支配権力を女性が握っている、もしくは女性を通じて伝わるという意味である。
それにたいして、母系とは女性の出自をたどって、家族などの社会集団をつくり、財産などを相続・継承していくことである。
母系制とは、継承のされ方であって、権力のあり方ではない。
だから、母系社会だから女性が権力を持っているかというと、そうではない。
母系制社会であっても、支配権は男性がにぎっている。

 居住様式がどうあれ、母系社会はつまるところ、子どもからみれば父と母方オジ、父の立場からすれ ば実子と甥・姪という垂層した人間関係のもとに成立しているのである。そして、母系出自は男性が子 どもとの関係を犠牲にし、ゆくゆくは自分のすべての子どもを他者(妻一族)に譲り波すというシステムともいえよう。一方、女性の立場からみれば、生涯にわたって彼女は、夫ではなくて兄弟を頼りにす る。つまり、母系集団は夫婦関係でなく、兄弟姉妹関係を軸に形成されるのである。P12

 マードックに従えば、全世界の563民族のうち、
母系出自に基礎をおく社会は、84を数えるという。
しかし、母系社会は男性の権威や支配権が複雑に錯綜するので、
父系制社会にくらべて社会の安定度が低く、近代的な産業社会には適合しない、といわれている。
事実、母系社会の多くは、おおまかに言って熱帯地方に集中しており、
近代的な産業社会に至ってはいない。

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 本書は、ミクロネシアのサタワル島を中心とした母系社会の報告である。
もう一度確認しておくが、母系社会だから女性優位ではなく、女性はむしろ厳しく差別されている。

 サタワルの女は、男が座っている前を立って歩いてはいけないと聞いて、
筆者はその男尊女卑さに驚いているほどである。

 筆者はサタワルに住み込んでいたので、この島の生活を細かく記述している。
子育てに関しては、次のように観察している。
 
 サタワル島の子育ては、独自の胎教から始まり、子どもを甘やかし、子どもの世界に放任しておく時期と、大人の世界へ仲間入りするための術を身につけさせる時期とを区別している。そのけじめはほぼ10歳が目安になる。これは、子どもの衣服によっても示される。しかし、両時期に一貫していることは、島社会で生さていくうえでの行動様式と技術・知識とを身につけることが重視されている面である。親たちが代々うけ継いできた有形・無形の「財産」を次世代に伝えることを子育ての目的としているのである。親たちが習得できなかった知識や「見はてぬ夢」を子どもにおしっけることはしない。P67

 これは典型的な農耕社会の子育て観であり、
こうした態度で子供にのぞむ限り、子供を抑圧することはない。
つまり母系制社会は、社会の階層が可変的ではなく、きわめて安定しているので、
社会的な上昇志向性が生まれない。
たくさん稼いで、偉くなりたいとか、裕福になりたいとは思わない社会である。
流動性が少ない社会でしか、母系制は成り立たないといえる。

 本書は、サタワルの1日の生活や、習慣などを詳しく記述しており、
それぞれがとても興味深い。
出産・誕生・子育て、思春期と性、結婚と離婚、死と儀礼など、
民族学的な調査がされている。
また、社会的な規範とサタワルの人たちの行動様式、贈与や交換の象徴性など、母系制社会の構造にも踏み込んでいる。

 先進工業国との接触により、母系制社会は徐々に浸食されてきているという。
本書の最後では、母系制社会の今後を考察している。

 産業基盤が未発達な社会の人びとは自給的生産活動にもとづく消費経済に依存して生活するしかない。島の食料資源の管理者としての酋長にとっては、人口の増加という動向が何にもまして悩みの種である。P247

 本書は、母系制社会を見るなかで、工業社会の家族や男女関係にも目配せしており、今後の家族論を考えるうえで参考になった。
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参考:
芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
須藤健一「母系社会の構造:サンゴ礁の島々の民族誌」紀伊国屋書店、1989
エリザベート・パダンテール「母性という神話」筑摩書房、1991
斉藤環「母は娘の人生を支配する」日本放送出版協会、2008
ナンシー・チョドロウ「母親業の再生産」新曜社、1981
石原里紗「ふざけるな専業主婦」新潮文庫、2001
石川結貴「モンスター マザー」光文社、2007

イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997


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