匠雅音の家族についてのブックレビュー    モンスター マザー−世界は「わたし」でまわっている|石川結貴

モンスター マザー
世界は「わたし」でまわっている
お奨度:

著者:石川結貴(いしかわ ゆうき)  光文社 2007年   ¥1300−

 著者の略歴− 1961年静岡県生まれ。自身の生活体験をもとに15年間で延べ3000人の母親を取材。豊富な取材実績から現代家族のリアルな問題を描き出すノンフィクション作品および短編小説を多数執筆。主な著書に『ブレイク・ワイフ』(扶桑社)、『「私」を失くす母親たち』(本の時遊社)、『結婚してから』(ポプラ社〉、『あなたは主婦が好きですか』(中央公論社)、『家族は孤独でできている』(毎日新聞社)、『小さな花が咲いた日』(ポプラ牡)などがある。川結貴のオフィシャルホームページ  http://ishikawa-yuki.com/

 子育てをする母親たちの逸脱ぶりを描いた本書は、「普通の家族がいちばん怖い」と同じ読後感だった。
腰巻きに、その「自己愛」パワー恐るべし、と書かれている。
最後になって、筆者は母親たちを心配しているのが伝わってくるが、読んでいる途中では疑問符だらけである。
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 マドンナこそ真のフェミニストであるにもかかわらず、ヘソ出しでのダンスはダメらしい。
母親は母親らしく、オバサンになってダサク生きるのが良い。
それが筆者の主張のように感じられる。

 お母さんなのにお母さんらしくないように生きること、子どもがいても独身と見間違うような外見でいること、いつまでも変わらぬライフスタイルこそがすばらしい。だから、それを体現している「聖子ちゃん」はバッシングの対象から一転、憧れの存在、お手本にしたい女性になったのである。
 この十数年の間に、なぜそんな変化が起きたのか、いったい母親たちに何が起きたのかは後述するとして、ともかくもお母さんらしくないことがステキになるというのは、言い換えれば「お母さんらしい」のはかっこ悪い。P14


 お母さんらしいのがカッコワルイいのは、当然ではないか。
妊婦のように大きなお腹で、
反っくり返ってゆっくりと歩く姿は、けっしてカッコイイものではない。
主婦の妊娠した姿は、
鍛えられたマドンナやデミ・ムーアたちような、カッコイイ臨月ヌードとは違う。

 妊娠の結果、お腹がせり出すのが自然の定めた姿であっても、
現代社会は、それをカッコイイとは言わない。
いかに自然の姿であっても、チビ・デブ・ハゲはカッコワルイのと、まったく同様である。
同様に、のろまな年寄りもカッコワルイ。
現代人は自然に反して、鍛えられた姿をカッコイイと感じる。

 妊娠しても、妊娠していないような姿でいることに憧れるのは、充分にあることで、
その心理には共感する。
子供を産んでも、子供がいないような体形を維持することは、多くの女性の憧れだろう。
むしろ筆者のごとく、妊娠した姿をカッコイイと肯定するほうが、現代的ではないと思う。

 筆者は不思議なことを言う。
運動会にピザの出前を注文するのは、非常識な母親なのだそうだ。
もちろん、ガストからランチセットの出前をとるのもNGである。
筆者は次のように言う。

 それぞれ形は違っても、小学校の運動会にふさわしくない行為(=出前をとること)であることに変わりはない。しかもその非常識さは、今やたいして驚くような話ではなく、どこにでもありうることなのだ。
 確かに、運動会にピザの出前を取る「自由」はある。たとえ学校から禁止と言われても、コンビニ弁当を買わざるを得ない家庭の事情もあるだろう。
 問題の本質は、ピザやコンビニ弁当という表面的なことではなく、それが平気でできる、堂々と開き直ってしまえる母親の心のあり方と言える。P30


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 ほんとうに筆者の言うとおりなのだろうか。
手作り弁当を是とする筆者のほうが、違うのではないだろうか。
たしかに筆者は、母親や子供たちを心配し、
無事に子育てをして欲しいと念じているのはよく判る。
今の母親たちは、子育てができない。
危険な子育てをしていると、心配している。
それはよく判るのだが、どうもピント外れに感じられる。

 筆者の価値基準は、昭和初期の核家族を最も正しい家族形態とし、
それから逸脱する女性たちは認められないようだ。
そのうえ、学校制度は正しいものであり、父母や子供たちは、学校の指示に従うべきだと考えているようだ。

 水泳の授業で使う水着の購入を拒む親を非難している。
親が次のように言っているのを、非難している。

 「ウチはスイミングスクールに通っていて、もうバタフライだって泳げるんです。わざわざスクール水着を買って学校のプールに入るなんてバカらしいでしょ。だいたい、学校のプール授業は年に3、4回だけ。子どもは成長が早いから、たとえスクール水着を買ってもすぐに使えなくなるし、どう考えても無駄な出費ですよ」P68

 筆者は水着の購入を拒む母親を非難しているが、むしろ母親のほうが正しいように感じる。
学校の水泳授業では、なぜスクール水着を着せなければならないのだろうか。
制服を着用させるセンスは、まさに工業社会のもので、
水着の強制を押しつければ、母親に限らず反発を招くばかりだろう。

 筆者は、既存の制度を肯定した上に、
それに適応しない母親をモンスター・マザーと呼んでいる。
そして、現状に不適合という現象面だけとらえて、非難しているように思える。
たとえば、中学3年生が自宅で出産し、子供を森に棄てた事件では、
母親の気持ちが生じなかった少女に、筆者は寒々したものを感じている、という。

 母親意識は、社会が作るものである。
妊娠したからといって、自動的に母親意識になるものではない。
中学3年生の妊娠は、母親意識の問題ではなく、避妊教育の失敗ととらえるべきだ。
セックスと妊娠は、まったく別のものであり、
中学生に避妊を教えないことを、問題とすべきである。

 終章<母親に未来はあるか>では、母親業は免許証が必要なくらいに難しく、
母親になる前の教育が不可欠だといっている。
母親業が難しいのには同意するが、筆者のセンスには、どうも画一的な教育を感じてしまう。
核家族や学校制度が、破綻しているという発想が、なぜないのだろうか。

 筆者の発言には、母親という事実だけしかなく、
母親となる前に1人の人間として生きるという視点がない。
だから、主婦を無前提的に肯定したうえで、話が始まってしまう。
筆者はきれい事と言うだろうが、
母親論の前に、女性がどう生きるべきかが論じられるべきだ。

 情報社会へと変化している社会に、工業社会の母親像をもってきても、通用するはずがない。
我が国のフェミニズムは、女性が職業をもたなくても許す。
無職の女性を許す風潮が、核家族の非常識な主婦を育てたのだ。  (2008.3.25)
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参考:
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黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
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石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
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岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
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森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
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伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
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伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
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瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
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浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
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