匠雅音の家族についてのブックレビュー    幻の漂泊民・サンカ|沖浦和光

幻の漂泊民・サンカ お奨度:

著者:沖浦和光(おきうら かずてる)−文芸春秋  2001年  ¥730−

著者の略歴− 1927年大阪に生まれる。1953年東京大学文学部卒業。専攻一比較文化論,社会思想史。現在一桃山学院大学名誉教授  著書−『近代の崩壊と人類史の未来』日本評論社、『日本民衆文化の原郷』解放出版社、『天皇の国・賎民の国』弘文堂、『水平・人の世に光あれ』社会評論社、『アジアの聖と賎』人文書院、『日本の聖と賎(三部作)』人文書院、以上四部作は野間宏との共著、『浮世の虚と実』解放出版社、『芸能史の深層』解放出版社、以上二部作は三国連太郎との共著、『日本文化の源流を探る』編者、解放出版社、『竹の民俗誌』岩波新書、『瀬戸内の民俗誌』岩波新書、『インドネシアの寅さん』岩波書店、『「部落史」論争を読み解く』解放出版社
 サンカといえば三角寛、三角寛といえばサンカ、といわれるくらいに、
サンカに関してはある定評ができていた。
本書はサンカに関する数少ない書籍であると同時に、
三角寛のサンカ研究にきちっとした検討を加えている。
三角寛のサンカ小説が、サンカの像を歪めてしまったと、本書はいう。
また同時に、三角寛の小説がでなかったら、
サンカはそのまま忘れ去られただろう、とも示唆している。
戦後、サンカ小説家から研究者に転じた三角寛だが、問題をはらんでいたようだ。
 
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 サンカの姿は見たこともないのだが、私たちはあたかも種族が違う異形の山人のように思い込んでいた。川原で小屋掛けしているが、数日もすれば風のようにどこかへ立ち去っていく。ボロボロの衣類を身にまとい、風呂敷包みを背にして一家数人で足早に山中を移動する。眼光鋭く、屈強な体つきをしている。彼らに出会ったら、いち早く姿を隠した方がよい。もしも目線があえば必ず襲われる−このような風聞がまかり通っていた。だが、今から考えてみると、このような情報はいずれも根拠のない噂話にすぎなかった。P33

 サンカが人の口に上り始めたのは、明治になって戸籍制度が整備され始めたからである。
しかし、柳田国男や喜田貞吉などの先行研究はあるが、その後を追跡した研究されてこなかった。
いまだにサンカとは何者だか、定説すらない。
それはサンカに関する資料が、絶無であることも影響していた。
文字をもたなかったサンカは、書いたものを残さなかった。

 農業が主な産業だった時代は、土地をもって定住する人間が中心勢力である。
定住しないということは、農業からあがる恩恵を受けることができない。
つまり貧困に甘んじなければならなかった。
漂泊するといっても、自由に野山を駆けめぐったのではない。
野山だけで生活が成り立つことはない。
漂泊の生活は厳しい。
彼らはわずかながらの里人との交流に生きてきた。 

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 筆者、サンカとは次のようにして生まれたのだという。

 1.「サンカモノ」の発生の時機は、天明期から天保期にかけてである。先にみたように、度重なる大飢饉による社会的経済的危機が各地の農山村に大きい打撃を与えた。その中でも中国山地一帯では壊滅的な被害を蒙った村々が少なくなかった。特に土地や恒産を持たぬ下層の民は、飢死を免れるために村を離れて山へ入るなどして生きていく方途を探したが、それらの窮民が山間川辺を漂泊しながら、元手がなくてもやっていける川魚漁や竹細工でなんとか生き抜いていったのであった。
 2.「サンカモノ」と呼ばれた漂泊民の存在が、官側で記録されるようになったのは近世後期からである。そして、サンカ名称の発生の地は、山陽道・山陰道であった。(中略)
 3.サンカの出自については当局も判断に迷っていたのではないか。P86


 筆者は近世の後期に農山村民の一部が、
生活苦から定住生活に見切りをつけて、
漂泊生活に入った人たちをサンカと見なしている。
いずれにしても、サンカとはサンカ以外の人たちが付けた名称であるので、
サンカの人たちはサンカと呼ばれるのを嫌っていた。
しかも、サンカは里人たちと共存共栄をはかっていながら、
サンカ蔑視政策によって孤立化させられていた。
そのため、なかなかサンカの実体が、里人たちに明らかにはならなかった、という。
 
 幕政時代では、サンカは「無宿非人」として、村へ入ってきた場合は追い払うように命じられていた。つまり迷惑な厄介者とみなされたのだ。町や村に定住している常民たちは、彼ら漂泊民を自分たちの共同体の仲間に入れることは、全く念頭になかったのである。
 ところが維新後では、統一戸籍法の制定によって、いずれかの市町村で戸籍を得させて定住させよと、官側の政策が大転換した。「追い払い」ではなくて、どこか近くの在所に、「なんとかして入籍定住させよ」と方針が変わったのだ。
 維新後、近世の身分制は法制的には廃止された。だが、在地社会では、旧来の身分秩序がすぐに解体されたわけではなかった。特に古い社会慣習が根強く残る農山村では、近世の時代の身分観念はなかなか揺るがなかった。賎民層や漂泊民に対する強い差別意識は、ほとんどそのまま近代に持ち越された。
 したがって、官側が入籍させよと働きかけても、住民の多くが反発したのである。P238

 支配者だけが支配するのではなく、支配は支配される者によって支えられる。
差別は庶民がするのである。
部落民たちは、サンカに優しかったというが、
それでもサンカを部落解放同盟に入れることは反対した。
サンカは部落よりも下に差別されていた。

 書かれた資料がないなか、本書はサンカにたいして丁寧な解析を試みている。
また巻末には、サンカの末裔らしき人の聞き書きをも掲載している。
じつに目を見開かれる研究書である。
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参考:
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988)
A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985)
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980
イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000
リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993
ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003
渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
雨宮処凛「生きさせろ」太田出版、2007
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
ポール・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき高齢化社会の経済新ルール」草思社、2001
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
塩見鮮一郎「異形にされた人たち」河出文庫、2009(1997)
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
横山源之助「下層社会探訪集」文元社
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000
三浦展「下流社会」光文社新書、2005
高橋祥友「自殺の心理学」講談社現代新書、1997
長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006
石井光太「絶対貧困」光文社、2009
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
雨宮処凛ほか「フリーター論争2.0」人文書院、2008 
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001
沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」文芸春秋、2001
上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
槌田敦「環境保護運動はどこが間違っているのか?」宝島社文庫、1999
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984


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