匠雅音の家族についてのブックレビュー     山谷崖っぷち日記|大山史朗

山谷崖っぷち日記 お奨度:

著者:大山史朗(おおやま しろう〉TBSブリタニカ、2000年 ¥1、300−

著者の略歴−1947年生まれ。69年大学卒業ののち、サラリーマン生活、工員生活などを経て、87年より山谷で建設作業員。本書で第9回開高健賞を受賞

 大阪の西成地区と並んで、東京の山谷は肉体労働者が、集まる場所として有名である。
山谷にはキリスト教団体から、労働組合や過激派の集団までいる。
が、山谷の主人公はあくまで肉体労働者、それも日雇いという日当形式の働き手である。
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 筆者は西成に3年、山谷に12年暮らした、ベテランの肉体労働者である。
筆者の年齢が私と1歳しか違わないこと、
同じように建築畑で働いていることから、
本書の感覚にはきわめて近いものを感じる。
筆者は、山谷の住人を市井の人と同じように眺め、底辺にいる人間こそ美しいといった幻想をもっていない。
むしろ山谷では、無知と卑屈と傲慢の三位一体を体現した人と、腐るほど出会ったと書いている。
 
 貧富の格差が誰の目にもさらされて、収容所に送られたりすることのない社会を、筆者は感謝している。
シニカルな筆者は、地位が高いお金持ちは、背負っている責任も重いだろうと言う。
<身の楽は下郎にあり>であって、絶対の正義が貫徹する社会は生きにくいと、喝破している。
そして、わが国が社会主義にならなかったこと、高度成長以降に生活できたことに感謝している。

 高度成長以前の社会は、農耕社会の色彩が色濃く残り、肉体労働が肉体労働として生きていた。
セメントの1袋は50キロだったし、人間を補助してくれる機械は少なかった。
セメントも1袋が40キロになり、今では25キロになっている。
が、それすらも人力で運ぶことは少なくなっている。
40キロ時代から現場に入った筆者だが、50キロだったら持てなかった、つまり労働者たり得なかっただろう、と自省している。

 筆者は土工だったので、機械の恩恵をあまり受けなかったかも知れない。
しかし、大工だった私は、手の道具から機械へと、肉体的にはずいぶんと楽になった。
きつい鋸挽きも、電気鋸に変わってきたし、重いものはレッカー車が使われるようになった。
かつては非力な者は、きわめて生きにくかったが、今では非力でも充分に労働者たりうる。
 
 職業が人を作る。
とりわけ肉体労働の時代には、職業が身体の形まで変形させた。

 鳶は山谷の貴族である。ヨーロッパの貴族と庶民が外見からも区分できるのと同じような意味で、鳶と土工もおおよそ外見によって(体格というよりも風貌によって)区分し得るように思われる。鳶として仕事上の能力をつくりあげるまでの錬磨と、その能力を他人から承認されているという自信が、鳶たちの風貌を引き縮め、その表情にある種の余裕をも与えているのであった。つまるところ、鳶たちはきりっとしているのだ。立居ふるまいや物腰にきれがあるのだ。もちろん、鳶たちの間にも限りのない能力差が存在しているのだろうが、一流の鳶工たちには一見して、これは鳶以外の何者でもないな、と思わせるに足る雰囲気が備わっていた。P95

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 建築職人の3職といえば、大工、左官それに鳶である。
このうち元請けになれたのは大工の親方だけ。
あとは下請けでしかない。
しかし、鳶仕事は危険と隣り合わせていることや、町内をもっていることから、独特の風貌があった。
もちろん、現在では請け負うのは、ゼネコンや建設会社であり、大工職人の親方ではない。
そのために、意地とやせ我慢に生きた職人は、死に絶えつつある。

 職人になるには修行期間が必要である。
修行期間を乗り越えた者は、それなりの収入があり普通の生活ができた。
高度成長以前には、多くの肉体労働者たち=職人は、街に定着して得意先をもっていた。
だから、山谷のようなところに行くことは少なかった。
それは現在でも変わらないと思う。
むしろ筆者のように、サラリーマンなどを経験した人たちが、行きつくのだろう。
同じ肉体労働者でも、職人と違ってあまり技術のいらない土工が、山谷に集まるに違いない。

 筆者自身がそうであるように、山谷は仕事にではなく、むしろ人間関係に疲れた人の避難場所だろう。
山谷の住人も、市井の人程度には、仕事が好きなはずである。
だから早朝に起きだして、仕事に向かう。
山谷の住人には、ドヤに住む人間と、路上生活者のあいだには、階級差がないという。
青シートの住人のほうが、ドヤにいる人間より高収入ということはいくらでもあるそうだ。
違いは食料の入手方法にあるという。
 
 
山谷における重要な階級差の境界は、住居の有無ではないと思う。では、それは何かといえば、私は食べ物を漁るか否かだと思う。住まいがないのと、食べ物を漁るのとでは、明らかに惨めさの程度が違うのである。徳永さんは(私と同様)労働意欲において欠けるところのある人であり、路上生活をすることにはさほどの抵抗感をもたない人だが、食べ物を漁るか否かというところまで追い込まれれば、この転落には徳永さんはおそらく激しく抗うだろう。山谷において真のホームレスというべき人々とは、食べ物を漁る人々なのだと言っていいのではないか。
 山谷の真のホームレスが、完全に労働市場から排除された老人たちであるのは、いかな山谷の住人とはいえ、この最後の転落に直面すれば必死の抵抗を示すからだと思われる。労働市場に残り得る人々は、おそらく、この最後の転落の危機に際しては労働市場に残るため全ての力を傾注することを厭わないだろう。山谷の真のホームレスが、この最後のあがきが効を奏さなかった老齢者に限られているのはこのためだろう。P115


 肉体労働は、年齢とともに効率がおちる。
高齢者を雇うところはない。
かつて農耕社会の親たちは、自分の老後をみさせるために、子供を育ててきた。
育ててもらった恩を返せとの、報恩教育だった。
だから子供が、高齢者の面倒を見た。
しかし、大家族は崩壊した。
家族から堕ちこぼれた存在になると、高齢になった肉体労働者は、誰にも養ってもらえない。

 高齢になった肉体労働者を、頭脳労働者に転じさせるのは、きわめて困難である。
現在が過渡期であろうと思う。
肉体労働が労働市場から消滅し、頭脳労働のみになったときには、加齢はさほど問題にならない。
頭脳労働は個人的な作業だし、知力は肉体的な筋力ほどには衰えない。

 コンピューターは老人に優しい。
肉体的な障害には、コンピューターはさまざまな援助をしてくれる。
老眼だったらモニターの文字を拡大すればいいし、聴力が落ちたらイヤーホンを使えばいい。
知的好奇心と知力さえ減退しなければ、頭脳労働の社会ではいつまでも働いていることができる。

 高齢者はコンピュータが苦手だ、という社会の差別意識を撲滅することだ。
仕事において個人が確立すれば、高齢者も労働者たりうる。
今後は仕事以上に、人間関係の調整がとても重要になるだろう。
本書はそう語っているようだ。

(2003.1.10)
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参考:
E・S・モース「日本人の住まい:上・下」八坂書房、1979
長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006年
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫  2008年
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006年
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
雨宮処凛「生きさせろ」太田出版、2007
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
ポール・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき高齢化社会の経済新ルール」草思社、2001
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
塩見鮮一郎「異形にされた人たち」河出文庫、2009(1997)
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
横山源之助「下層社会探訪集」文元社
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000
三浦展「下流社会」光文社新書、2005
高橋祥友「自殺の心理学」講談社現代新書、1997
長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006
石井光太「絶対貧困」光文社、2009
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
雨宮処凛ほか「フリーター論争2.0」人文書院、2008 
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001
沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」文芸春秋、2001
上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999年
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 


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