著者の略歴−著作「生き地獄天国」「自殺のコスト」「アトピーの女王」 就職戦線の超氷河期に社会にでた人たちの、憤りを書いた本書は、現代版「女工哀史」だと誰かが言っていた。 違いは女性が筆者であることか。 働いても働いても、少しも豊かにならない。 一度フリーターになると、そこから這い上がるのは絶望的である。
働こうにも雇ってくれない。 やっと雇用されたら、時間1000円のアルバイトである。 それだって、いつクビになるかも判らない。 普通の職場であるにもかかわらず、請負だといわれる。 我が国の派遣が、すでにおかしな雇用形態であるにもかかわらず、個人請負とは一体なんだろう。 本書が怒るように、派遣やアルバイトなど、働き方によって、収入に大きな差が出る。 正社員は高給が取れ、有給休暇があって、ボーナスもある。 しかし、正社員ではない人には、一切の保証がない。 同一労働同一賃金ではないし、即日解雇などの労働基準法違反がまかり通っている。 筆者は北海道出身で、美大をめざして状況し、予備校がよいからそのままフリーターとなった。 生活の糧を求めて、さまざまのバイトを転々とする。 (貧乏)から脱出できる方法がわからない。気がつけば、ピンサロの面接にまで行っていた自分がいた。とにかくお金が欲しかったのだろう。あるいは取りかえ可能なバイトに嫌気がさし、「自分」が必要とされたかったのかもしれない。が、薄暗い店内でアジア系外国人に一生懸命サービスする半裸の女の子たちを見た瞬間、我に返り、逃げてきた。とにかく、精神は破壊される寸前だった。が、風俗嬢たちに話を聞くと、彼女たちの多くもそんな心の軌跡を経て風俗業界に足を踏み入れている。せっぱつまって冷静な判断ができなくなったとき、若くて性別が女であれば、程度の差はあれそれくらいの行動はするものだ。P32 何だか、不思議なメンタリティである。 筆者は、25才のとき、自分で書いた文章が上梓され、フリーターを脱出した。 その後、貧乏な若者たちの代弁者として、さまざまな発言をしている。 本書が描いている現状は、まさにその通りだろう。 一度、貧乏になると、まるであり地獄のように抜け出せなくなる。 親という支援者がいないと、一直線に貧困へと転落していく。 しかも、貧乏なのは、自分が悪いのだ、能力がないのだという、自責の念にさいなまれさえする。 貧困は個人の問題ではなく、社会的な問題である。 にもかかわらず、怠け者だとい烙印をはられて、社会から抹殺されていく。 貧困が発生した過程は、本書がいうように日経連が、1995年に提言した「新時代の『日本的経営』」にあるように、労働者の3分割に原点があるだろう。 @長期蓄積能力活用型 A高度専門能力活用型 B雇用柔軟型 とわけたうち、Bの雇用柔軟型が使い捨てだという。 これに該当するのが、いまや3分の1に達し、貧富の差が開いたという。
1992年に上梓した「性差を越えて」で、肉体労働から頭脳労働へと転化するので、差別の質が変わると書いた。 優れた頭脳労働者は大切にするが、単純な肉体労働は、機械に置き換えられる。 だから、単純肉体労働は低賃金労働になる。 頭脳労働へと適応できないと、差別されていくだろうと予測した。 こうなったもうひとつの理由は、我が国の女性運動が、専業主婦の不払い家事労働を保護しようとして、専業主婦擁護に走ったためだ。 専業主婦の存在を認めた結果、彼女たちはパートタイマーという形で、専業主婦に居直った。 その結果、同一労働同一賃金の主張はなく、パートの労働条件向上という形になってしまった。 女性運動は専業主婦という存在を批判をし、専業主婦を止めるように働きかけるべきだったのだ。 しかし、女性パートが、労働市場の一角を占めるようになれば、資本側がパート市場へ、男性労働者を引き込もうとするのは当然である。 労働側の決定的な間違いは、同一労働同一賃金を指向しなかったとことだ。 女性運動が、もう一つ負の財産を作ってしまったのは、意識改革を主張した結果だろう。 差別の制度を改革するよりも、男性の差別意識を批判した。 意識が変われば、差別が解消するかの主張をしたことが、そのツケを払わされているように感じる。 本書を読んでいて感じるのは、筆者にはいまだに結婚志向があり、可哀想なくらいに保守的なことだ。 筆者に社会的な目を求めることは酷かも知れないが、本書のような主張をする以上、日経連の提言に拮抗できる原理をもたないと勝てない。 いくら現状に憤ってみても、原理的な支えのない主張は、持続力を持ち得ない。 小泉改革に1票を投じたのは、若者である。 そして、フリーターたちが保守化しているのも、原理が見えないからだ。 グローバル化というが、経済活動こそ国境を越え始めたかも知れないが、日本人の意識はまったく国際化していない。 島国的な近視眼からまったく自由になっていない。 杉田俊介氏の「フリーターにとって「自由」とは何か」でも感じたが、フリーターであっても時代に適合する者には、出版資本からアプローチがあることだ。 そして、筆者のように個人的にフリーターを脱していく。 しかし、杉田氏や筆者のように、頭脳労働に適合できない多くの人は、貧乏から抜け出せない。 貧困層をこのまま放置すれば、国内の有効需要がなくなって、ますます不景気になっていく。 (2009.1.5)
参考: 長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006年 杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年 塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008年 山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006年 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965 クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966 雨宮処凛「生きさせろ」太田出版、2007 菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000 アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000 紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990 小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001 松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988 ポール・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき高齢化社会の経済新ルール」草思社、2001 鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000 塩見鮮一郎「異形にされた人たち」河出文庫、2009(1997) 速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001 佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995 杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005 塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 横山源之助「下層社会探訪集」文元社 大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000 三浦展「下流社会」光文社新書、2005 高橋祥友「自殺の心理学」講談社現代新書、1997 長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006 石井光太「絶対貧困」光文社、2009 杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005 雨宮処凛ほか「フリーター論争2.0」人文書院、2008 金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001 沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」文芸春秋、2001 上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005 匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997 山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999年 塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
|