著者の略歴−1940年、東京府下谷区(現・台東区)三ノ輪生まれ。写真家。都立上野高校を経て、千葉大学工学部写真学科卒業。「さっちん」で第一回太陽賞受賞。1963年にカメラマンとして電通に入社し、9年間勤務する。著書はすでに200冊近くにのぼり、「写狂人大日記」「写真私情主義」「人町」「中村勘九郎 写真集法界坊」など多彩。海外での評価も高く、ウィーン、フィレンツェなどでの大規模な個展はセンセーションを巻き起こしている。 膨大な量の写真をとり、精力的に個展を開いたり、本を出版したりしている筆者の方法論である。基本的に納得である。 これは人との関係の「テクニック」だね。写真っていうのは写す、撮る、いろんなテクニックが必要なんだけど、写真を撮るっていうのは簡単に言うと人づきあい、人との関係ですよ。むかしは、その人との関係を断ち切るとか客観的に見る、それが写真だ! とかいうのが流行ってたけど、そうじやなくて、もっともっとそれを、関係を、濃くしていくほうがいいんじゃないかって私は思うわけ。感情を断つより、パーッて感情を乗せていくほうがいいんじゃないかっていう、いま、気分なんだよ。P18
撮影者の心理状態が、撮られる人にのりうつるのは確かである。 筆者も言うように、悪い写真が上がったら、写した本人が悪いと言ってもいいだろう。 もちろん筆者は、第1回太陽賞を受賞した練達の写真家であり、 写真の技術に関しては卓越したものをもっている。 それは本書の行間からもよくわかる。 その筆者が、テクニックよりも関係だというのは、きわめて現代的な発言である。 情報社会のひとつの特徴として、本質指向より関係指向がある。 テクニックを磨き、写真それ自体の価値を問うのを本質指向だとすれば、 彼の立っている位置は完全に情報社会のものである。 発言や風貌から一見すると、筆者はいい加減に見える。 しかし、その裏には筆者なりのしたたかな計算があるようだ。 だから、日付入りのコンパクトカメラから、6×7のペンタックスまでを使い分けているのだろう。 ライティングに関しても、仏像を撮るところでは、なかなかと思わせる発言がある。 ピントについても、次のように発言している。 なんでもかんでもね、画面上にピントを合わせるっていう気持ちじゃダメなんだよ。そんときの気持ちとか心、そんときのモノやコトにピントを合わせるっつうことが大切なのよ。P62 そのとおりだと思うが、これがなかなかに難しいのである。 カメラをもったら、いつでものれるかというと、必ずしもそうではない。 仕事で写真をとっていれば、 日常としてシャッターを切っているわけだから、のってばかりもいられない。 集中はしても、写す相手との関係が楽しくないと、のるのは難しい。 自分からのっていくべきだし、相手をのせるべきだろうが、やはりそこは人間関係である。
広角から300ミリくらいの望遠までを、1本のレンズがカバーしてしまう。 自分は動くことなく、被写体を手前に寄せたり押しやったりできる。 しかし、写す相手との関係でいえば、アップにするときはカメラマンのほうが近寄るべきである。 近寄ることによって、相手との距離が変わり、関係がより親密になることは確実である。 基本的には、これで良しという位置から、もう一歩近づくくらいがちょうど良いようだ。 せっかく女の裸を撮ってるのに、最後は顔しか撮ってないよ。コンタクト見るとそうですよ。パーッとやって、真ん中あたりではお股広げてとかさ。コンタクト見てると、そこがクライマックスと思うだろ。でも、その後を見てくと、最後は顔なんだよ。おっぱいも出てたよ、陰毛もあるよ、だのに最後は顔なんだよ。もったいないったらないよ。ハハハハハ そりゃあね、着てるときの顔と、一時問ぐらい裸で過ごした後の顔はまた違う。でも、結局顔にいくんですよ。だから、言い方変えれば、いい顔を撮りたいために裸になってもらうんですよ。だいたいねえ、下のほうが裸になれば顔も裸になるんです。それだけの作業です、な〜んちゃって。そんで、下半身の裸の写真は、捨てないでちゃんと取ってあるけどね、もったいないから。ハハハハハ 最後に、顔と下半身とどつち捨てるって言ったら、顔は捨てないな。でも、顔とヌード、顔と肉体と言ったら、ぜんぜん勝負になんないよ。顔のないヌードと顔のあるヌード、そうだな、やっぱり顔つきヌードだな。究極は顔だなんて言ってるけど、そういうのがいいんじゃないかな。P134 なかなかにしたたかな返事である。 筆者の写真界に与えた影響は、きわめて大きい。 とくに最近登場してきた若い女性カメラ人には、甚大な影響を与えたといっても良い。 しかも、筆者の叙情的ともいえる写真は、わが国のそれまでの写真を、外国の写真の模倣から脱皮させたともいえる。 反対もまた真である。 筆者の活動は、写真をきわめて叙情的なものへと変身させてしまい、 日本的なともいえる特徴的な分野を形成したのである。 1写真家としての筆者の活動としてはそれでよかったが、 その流行に飲み込まれた人たちは、自分の視点を確立する野がますます困難になった。 ともあれ、筆者の写真は楽しい。
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