匠雅音の家族についてのブックレビュー    ヨーロッパ中世の宇宙観|阿部謹也

ヨーロッパ中世の宇宙観 お奨度:

著者:阿部謹也(あべ きんや)  講談社学術文庫、1991年  ¥920−

著者の略歴−1935年東京生まれ。一橋大学経済学部卒業。同大学院社会学研究科修了。現在,一橋大学社会学部教授。専攻はドイツ中世史。史料の深い読みによる中世民衆の生活と意識のいきいきとした再現には定評がある。主著に「ドイツ中世後期の世界−ハーメルンの笛吹き男」「刑吏の社会史」「西洋中世の罪と罰」「西洋中世の男と女 聖性の呪縛の下で」など。

 近代を考えるには、その前の時代である中世にも、目をやらないわけにはいかない。本書は、ドイツの中世史を専門とする筆者が、人々の生活次元へと視線を向けて記述したものである。中世が近代以降といかに違った社会かを、まずハーメルンの笛吹き男の伝説から、話し始める。
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 ハーメルンの笛吹き男の話は、周知のように笛を吹きながら、100人を超える子供たちを連れ去ったという伝説である。人口が1〜2万人程度の街だったハーメルンから、100人を超える子供を連れ去るというのは、今日では想像もつかないくらいの重大事件だったはずである。もちろんこの事件は、そのままが事実ではないだろう。何らかの社会的な背景があったはずであり、それが伝説化させることになったのであろう。

 この事件(ハーメルンの子供誘拐)が世の多くの町や村でも13世紀に演じられた東方移住の一コマにすぎなかったとしたら、何故この町の話が伝説として残り、広まることになったのかという問題が生ずる。130人の若者の離脱は近代ならハノーファーから1万〜2万人の若者が突然消えたのに相当する程の大きな比重を占めていた。(中略)
 残された両親や縁者の感情はいつでも何処でも同じであったが、この町では同世代の層が大量に流失したため、その嘆きは子供達の安否をきづかう残された者同志の間にくり返し語られ、語りつがれ、両親や直接の体験者が死に絶えたのち、伝説と化していったのだとみられる。P34


 当然だろう。いくら約束を守らなかったとはいえ、子供たちを根こそぎ連れ去るのは尋常の沙汰ではない。乳幼児死亡率の高かった当時にあっては、そこそこに育った子供というのは、大変に貴重な存在だった。子供への愛情だけではなく、将来の労働力を奪われた大人たちの嘆きが大きかったことは、簡単に想像ができる。

 本書が、フィリップ・アリエスの「<子供>の誕生」の影響を受けているとは思えないのだが、次のような記述がある。

 中世においては子供は大人と区別された独自の世界を与えられてはいなかった。子供であるということには何ら独自の価値は認められていなかったのである。子供用の衣服も、子供用の靴もなかった。ブリューゲルの有名な<農民の結婚式>の左隅に描かれている子供も大人と同じ服を着、目までかくれる大きな帽子をかぶっている。(中略)
 子供はこの時代には<小さな一人前の男>であり、父が死ねば直ちに一家の長、一族の頭となり、娘は8歳ですでに嫁にいった。総じていって中世は子供にとって大変厳しい時代であった。P50


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 近代以前には、子供という立場はなく、大人と同じ条件におかれていた。
こうしたときに、130人もの子供が一度に連れ去られてとしたら、一体どうした反応が起きたことだろう。
おそらくこうした話は、わが国の子供隠しと同じ意味があるのだろう。
子供という存在が、何を意味したか。

 そして大人と同じであっても、子供がいなくなることが何を意味したのか、今から考えても良い問題である。

 本書は、子供の問題ともう一つ、差別の問題を取り上げている。差別がなぜおき、広まっていったのかの考察には、ちょっと物足りないものがあるが、それでも<刑吏>の社会史として、差別の構造が丁寧に展開されている。

 古い法慣習においては<名誉をもたない>ことは<権利をもたない>こととほとんど同義であった。しかし理論的には両者は区別され、ザクセン・ラント法の一注解によると、権利喪失には三段階があり、
1、裁判能力をもたないこと、
2、財産処分能力をもたないこと、
3、生命・財産に対する権利をもたないこと、即ち法の保護を奪われていること、
 であるという。遍歴芸人など通常賎民とされている人々はこの第一のグループに入れられている。いずれにしても彼らは当時の市民社会秩序の辺境にあって蔑視された存在なのであった。
 <名誉をもたない>賎民にはどんな人々がいたのだろうか。ダンケルトは次のような人々をあげている。死刑執行人、捕吏、獄丁、監守、廷丁、墓掘り人、皮剥ぎ、羊飼いと牧人、粉ひき、亜麻布織工、陶工、煉瓦製造人、塔守、夜警、遍歴奇術師と楽師、山師と抜歯術師、娼婦、浴場主と理髪師、薬草売、乞食取締夫、犬皮鞣工、煙突掃除人、街路掃除人などであり、性格は異なるが、ユダヤ人、トルコ人、異教徒、放浪民族、ヴェンド人などのキリスト教社会秩序の外に立つ人々も同じ扱いをうけていた。ダンケルトの分類をそのまま承認するわけにはいかないが、これらのリストをみただけで中・近世社会における賤民の在り方がヨーロッパ社会とその自己了解としてのヨーロッパの学問を知るうえで答易ならない問題を提供していることが解るであろう。P114

 差別の構造は、わが国でも同じような展開を見せており、ここに上げたのと同種の職業人が差別の対象となった。中世とは身分秩序がかっちりとできていたので、人間生活は安定したいただろうが、その秩序からはみだす人には息苦しかったに違いない。住む場所から着るもの・食べるものまでが、身分によって違っていたのだから。

 近代がなぜ成立したかを考えるうえでも、本書の提起する視点は重要である。
後半で展開されるキリスト教の話にしても、充分に興味をそそられた。
 (2003.8.1)
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参考:
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柳田邦男「人間の事実−T・U」文春文庫、2001
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R・キヨサキ、S・レクター「金持ち父さん貧乏父さん」筑摩書房、2000
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
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谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
シャルル・ヴァグネル「簡素な生活」講談社学術文庫、2001
エリック・スティーブン・レイモンド「伽藍とバザール」光芒社、1999
村上陽一郎「近代科学を超えて」講談社学術文庫、1986
吉本隆明「共同幻想論」角川文庫、1982
大前研一「企業参謀」講談社文庫、1985
ジョージ・P・マードック「社会構造」新泉社、2001
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柄谷行人「<戦前>の思考」講談社学術文庫、2001
江藤淳「成熟と喪失」河出書房、1967
森岡正博「生命学に何ができるか」勁草書房 2001
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オルテガ「大衆の反逆」ちくま学芸文庫、1995
小熊英二「単一民族神話の起源」新曜社、1995
佐藤優「テロリズムの罠 左巻」角川新書、2009
佐藤優「テロリズムの罠 右巻」角川新書、2009
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
北原みのり「フェミの嫌われ方」新水社、2000
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
デブラ・ニーホフ「平気で暴力をふるう脳」草思社、2003
藤原智美「暴走老人!」文芸春秋社、2007
成田龍一「<歴史>はいかに語られるか」NHKブックス、2001
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
J ・バトラー&G・スピヴァク「国家を歌うのは誰か?」岩波書店、2008
ドン・タプスコット「デジタルネイティブが世界を変える」翔泳社、2009

斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003

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