匠雅音の家族についてのブックレビュー    ジャパン・ショック−ヨーロッパからみた日本経済|リヒャルト・ガウル

ジャパン・ショック
ヨーロッパからみた日本経済
お奨度:

著者:リヒャルト・ガウル、ニーナ・グルーネンベルク、ミヒャエル・ユングブルート
日本放送出版協会、1982

著者の略歴−リヒャルト・ガウル、 1946年生れ、デイー・ツアイト紙縮集委員
ニーナ・グルーネンベルク、デイー・ツアイト紙第集委員。ミヒャエル・ユングブルート、1937年生れ、デイー・ツアイト紙経済部長、経済政策をテーマにした数冊の著書がある

わが国の経済が元気良かった1982年に、本書は出版されている。
1980年代といえば、アメリカが不景気の波にもまれ、ヨーロッパも冴えない時代だった。
あの頃、先進工業国ではわが国だけが、我が世の春を謳歌していた。
それも昔、いまではわが国は不景気のまっただ中におり、景気が上向くのはいつになるかわからない。
TAKUMI アマゾンで購入
ジャパン・ショック

 実はこの1980年代というのは、工業社会から情報社会への転換が、基礎的な部分で進行していたのであり、アメリカはその転換のために準備をしていた。
クリントン大統領は、情報社会化への成人教育に力を入れていたので、成果としてはまだ結実していなかった。

 わが国は、エレクトロニクスという意味では射程に入れつつも、情報社会化の何たるかはまだわかっていなかった。
しかし、わが国は工業社会の優等生として、好景気に沸いていたのだから、外国人がその原因を知りたがるもの無理のないことだった。

 私たちはドイツの読者に、日本の発展と、世界中を驚かせた輸出市場での成功の前提集件についてわからせるという目的の他に、さらに次のような課題を設定してみました。それは、日本が経済的成功を収めたのは、まず何よりも、低い労賃とフェアでない貿易戦術のおかげだとする先入観、すなわち、一方におけるダンピング価格の設定と国家的援助に支えられた輸出攻勢、他方における関税や多くの非関税障壁、そして官僚たちのさまざまな策略による外国からの輸入妨害のおかげだとする先入観が、いかに誤ったものであるかを明示することです。P269

という問題意識によって、3人のドイツ人が来日した。
彼らは精力的に取材を重ね、本書を書き上げたわけだが、
20年前の調査であるだけに、ことの次第がよく判る。
時間がたってみると、よく見えるようになるものだ。

 先入観をもたずに来日した彼らにも、やはり通例の日本にかんする常識が刷り込まれていく。
これは彼我の違いからすれば、仕方のないことだろう。
個人より集団とか、言葉のない世界とか、権利の少ない女性とか、
ドイツと比べてみれば、その通りであろう。
だからこうした観察になるに違いない。
外資系企業の女性は強いと、20年後のいまでも言われるくらいだから、当時はおして知るべしである。

広告
 言葉でのコミュニケーションとか、権利意識といったものは、近代の産物である。
共同体が支配していた時代には、同質の価値観を共有しており、言葉以外のコミュニケーションもたくさんあった。
そうした意味では、わが国の近代化が、まだ西洋に比べれば、遅れていると言ったことだろう。

 同じ途上国であっても、わが国だけが特別に写ったようだ。
それは近代が、最も西洋に近づいていたと言うことだろう。

 ある西ドイツの機械製造業者は、共産圏および日本での経験にもとづいてこう言う。「共産圏では、特許を相手に委託したからといって、後に委託した側から顧客を奪うような優秀な製品を世界市場に持ち出すことはけっしてしないと安心していられるものですが、日本に特許を提供すれば、もう一段優れた品質の製品にしてお返しをしてくると、絶えず覚悟しなければなりません」
 かれはまた、問題の所在がどこにあるかを突き止めている。「日本人の方が頭が良くて、ロシア人の方が愚かだというのではありません。要は、日本の企業編成のあり方が違い、また従業員ヘの仕事の義務づけによる潜在能力の開発の仕方がうまく行っているということです」P76

 
 東南アジア諸国や東アジアの国が台頭してきたので、上記のようなことは日本に限ったことではなくなった。
ある条件がそろえば、近代化はどこの国でも始まるのだ。
いまやわが国も、アジア諸国から激しく追い上げられている。
フランスでは、韓国企業による企業買収が始まり、黄禍論に揺れている。
今後アジアの台頭は続くだろう。

 本書は1980年頃の、景気のいい背景を分析すると同時に、はやくもわが国の問題点も指摘している。
すでに始まっている高齢社会化、少子化などが、社会に与える影響を丁寧に論じている。
こうしたことは、ヨーロッパがすでに歩んできた道だから、よく見えるのだろう。
本書の指摘の通りに、その10年後にはバブルがはじけ、1990年代は不景気へと真っ逆さまに落ちていく。

 まだ最悪の事態は免れている。しかし、日本企業の伝統的組織機構が、目まぐるしく変化する社員の情緒的諸要求や安定した収入を得たいという願望に対し、これまでのように完全には対応できなくなる時点はそう遠くない。社会事情が変われば、それにつれて人間もまた変わろうというものである。日本の企業制度が、この変化に対応できるかどうかは、はなはだ疑わしい。
 日本人の自我意識が強くなり、福祉が向上し、自由時間や自分自身のプライベートな生活に対する関心が高まって、集団での適応性が以前ほどでなくなったとすれば、企業生活にすべてを捧げるといった日本人の生活のあり方にも疑問が生じてこよう。そして、企業が社員に終身雇用や、最低限、中間管理職になるまでのキャリアを保証できなくなったとしたら、その点も、日本人の行動に影響を与えずにはおかないだろう。P123


 成功のしたのと同じ原因で沈んでいく、とは塩野七生氏の言葉だが、当時わが国利点とされたことが、この不景気ではマイナスとして作用している。

 ドイツ企業もわが国では、ひどいことをやっている。
新人の採用にあたって、興信所を使って徹底的に調べている、というのだ。
ドイツではやらない私的なことまで調べ、それを採用に役立てている。
結局、国民性というより、お金儲けへの道を走るものだ。
そうした意味では、本国とわが国で違う行動基準を使い分けるドイツは、
信用ができないとも言える。    
(2002.11. 1)
広告
  感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる