著者の略歴− ジュデイス・バトラー 1956年生まれ。カリフォルニア大学パークレー校,修辞学・比較文学教授。邦訳著書に『ジェンダー・トラブル』『触発する言葉』『アンティゴネーの主張』『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』(スラヴォイ・ジジェタ,エルネスト・ラクヲウとの共著)がある. ガヤトリ・スピヴァク 1942年,インド西ベンガルのコルカタ〔カルカッタ〕に生まれる。コルカタ大学卒菓後,1961年にアメリカ合衆国に留学。現在コロンビア大学人文学教授.邦訳著書に『文化としての他者』『ポスト植民地主義の思想』『サバルタンは語ることができるか』『ポストコロニアル理性批判』などがある. 本文が88ページしかない。 しかも、1ページが39字の15行詰めで、585字しか入っていない。 これで1700円とは、岩波書店には商売人の良心がないのだろうか。 買ってしまったこちらもドジだが、ネットで買ったので判らなかった。 書店の店頭で手に取っていれば、絶対に買わなかっただろう。
2人のフェミニストが、グローバル化について対談している。 国民国家の限界がいわれる昨今、グローバル・ステイトを論じるのは、意味のあることだろう。 バトラーは、ステイトを状態と国家の意味に使い分け、ステイトは必ずしもネイション・ステイト=国民国家ではないという。 バトラーはアーレントを引用しながら、彼女を批判的に乗りこえようとする。 彼女がどこに生まれたのかは不明だが、ユダヤ人の亡命者アーレントの引用は国家を考えるうえでは妥当だろう。 わたしたちは帰属意識を共有していない人たちと共同して統治をおこなうべきであり、文化的親密さを共同統治の基盤にしないことこそ、ナショナリズムヘの彼女の批判から学ぶぺき教訓です。それゆえに彼女は、ユダヤ人主権の原則に則ってイスラエル国家を建設することにも反対したわけですし、そんなことをすればふたたびナショナリズムに火を点け、その地の正当な非ユダヤ人居住者とのあいだに果てしない衝突が起こると考えたのです。P18 ユダヤ人ゆえに迫害されたからといって、宗教的な一体性で抗しても、それは単なる報復に過ぎない。 戦後の早い時期に、迫害された人間が、イスラエル国家を建設に反対するのは勇気が必要である。 ここから国民国家批判への糸口を掴んでいくのも理解できる。
近い将来、黒人を抜くだろうといわれており、カルフォルニアではスペイン語が公用語化している。 もちろん、不法滞在者も多く、2006年には彼(女)らの街頭デモがおこなわれた。 そこで彼(女)らは、スペイン語でアメリカ国歌を歌ったという。 それに対して、ブッシュはアメリカ国歌は、英語で歌われるべきだと言ったのはもちろんである。 国家が何を結集基準にするか、いまや難しい問題である。 ヒスパニックのアメリカ国歌を歌う行為は、言語が国家の基準ではないという主張である。 事実、いくつかの言語を公用語としている国はあり、民族のるつぼと言われるアメリカで、英語だけが公用語というのは不自然である。 一般に、国籍は国外に対して有効なものであり、国内ではあまり意識されることはない。 亡命者とか難民といった国籍を云々されるのは、国境を越えようとするときである。 しかし、権力は国内においても、権利を剥奪する。 しかも、世界銀行や国際通貨基金は、先進国による搾取のアリバイ作りに脱する。 国外に出ることなどない貧乏人には、国籍などほとんど意味はない。 しかし、戦争などで難民がでれば、たちまち国家があらわになってくる。 しかも、ブッシュは他国の政府を、かんたんに侵略した。 建前としては、国民国家が国民国家を侵略しているが、論としては複雑である。 インド生まれでコルカタ大学卒業のスピヴァクのほうが、国家意識に敏感な感じがする。 しかし、いずれにせよ国民国家は現存しており、無力な国連ですら、国民国家の集合だと前提している。 そうしたなかで、国民国家をこえた状態を想像するのは、至難の業である。 グローバル化が金融経済から始まったようにいわれるが、じつは工業社会でもグローバル化していた。 その恩恵を一番受けたのは、日本であることは間違いない。 輸出で稼ぐ状況とは、グローバル化されているから、可能になったのだ。 いま問題になっているのは、情報社会のグローバル化である。 工業社会のグローバル化については、曲がりなりにも国民国家という基準ができていた。 物の移動だったから、領土的な国境が有効に機能していた。 国境は物に対してしか有効ではない。 情報=ことにたいしては、領土的な国境は無意味である。 ことが、物としての人間に反逆している現在、新たな価値観を提示する必要はあるが、それが何であるかを示すのは難しい。 ほとんど内容のない本書も、ただ苛立ちばかり残す読後感である。 しかし、国民国家をこえることは、まだ誰も辿り着いてない。 だから、無内容であることで、論者たちを責めるのは酷だろう。 ただ、本人たちは裕福なのに、第三世界の貧乏人を仲間であるかのごとくに発言するのは、どうも馴染めなかった。 (2009.5.15)
参考: アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998 オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975 E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951 佐藤優「テロリズムの罠 左巻」角川新書、2009 佐藤優「テロリズムの罠 右巻」角川新書、2009 M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989 石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001 多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000 レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955 ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000 アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001 アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999 戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984 田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001 横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999 ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003 佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001 多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000 佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004 別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007 西川長大「国境の超え方」平凡社、2001 三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008 ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004 佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001 菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000 ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008 ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002 サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008 デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001 横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999 読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001 ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987 杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998 木村英紀「ものつくり敗戦」日経プレミアシリーズ、2009 アントニオ ネグリ & マイケル ハート「<帝国>」以文社、2003 三浦展「団塊世代の戦後史」文春文庫、2005 クライブ・ポンティング「緑の世界史」朝日選書、1994
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