匠雅音の家族についてのブックレビュー    暴走老人!|藤原智美

暴走老人! お奨度:

著者:藤原智美(ふじわら ともみ)  文芸春秋社 2007年  ¥1000−

 著者の略歴− 1955年、福岡市生まれ。フリーランスのライターとして活躍後、1990年「王を撃て」で文壇デビュー。1992年『運転士』で第107回芥川賞を受賞する。主な小説に、『群体(クラスター)』『モナの瞳』(以上、講談社)、『ミッシングガールズ』(集英社)などがある。また、1997年には、住まいの空間構造と家族の社会関係を独自の視点で取材・考察したドキュメンタリー作品『「家をつくる」ということ』(プレジデント社、講談社文庫)がベストセラーに。その後『家族を「する」家』(プレジデント社、講談社+α文庫)、『なぜ、その子供は腕のない絵を措いたか』(祥伝社)、『ぼくが眠って考えたこと』(エクスナレッジ)など、ノンフィクション作家としても活躍する。オフィシャルサイト http://www.fujiwara-t/net

 非常識な老人たちの生態を、批判した本かと思ったら、筆者はそうではないという。
老人たちが暴走する現実から、人と人のかかわり方の根底的な変化を、見たかったのだという。
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 1955年生まれとあるから、本書を上梓したときに、52歳だったことになる。
それにしては、ずいぶんと老成した、もっとあけすけにいえば、カビが匂ってきそうな人である。
私などは、老人の行動一般を老害だと考えているが、筆者にはそうした認識はないようだ。

 老人が凶暴で、暴力的になっていながら、その社会的な背景は、誰も分析しない。
若者が犯行をおこすと、社会の良識はよってたかって批判しまくるくせに、老人には批判の目が向かない。
そうした意味では、本書は慧眼であり、鋭い着想である。

 筆者は若者の凶悪事件は減少し、1958年のピークより圧倒的に少ないと認めている。
反対に、老人の犯罪が激増していると、現実をきちんと認識している。
そして、なぜ老人が暴力的な行動に走るのか、と疑問を投げかけている。
そして、暴走する高齢者を「新老人」と名付けた。

 新老人が暴走する原因を一言でいえば、彼らが社会の情報化ヘスムーズに適応できないことにある。いつの時
代も社会は変化し、それにともなって人々の暮らしも変わっていった。けれどこの半世紀の変わり様は、そのスピードと質によって他の時代とは明らかに異なる。(中略)
 激変する時代環境では過去の経験則はムダであるばかりか、社会適応への妨げになる。新しいビルを建てるには古い建築物が邪魔になるのと同じ理屈である。
 私もその適応に苦労する場面が多くなつた。私より実体験が豊富で、経験にたよりがちな新老人は、さらに苦労しているだろう。それでも適応できるか、適応できないかを意識しているのはまだいいと思う。変化を変化として認識できず、昨日のように今日を生きようとすると、つまずくことになる。それが新老人が生きる困難さである。P16


 「時間」「空間」「感情」の3つの分野にわたって、新老人の生態をとおして、現代の人間関係を考察している。
それぞれは本書を読んでもらうとして、筆者の考察は正しいようでありながら、ちょっとピントがはずれているように感じる。
変化に付いていけないから、キレルというのはやや短絡にすぎるのではないだろうか。

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 本来、人は中年の盛りを過ぎると、加齢にしたがって、社会の中心から身を引いてきた。
農業社会では、肉体労働が主だったから50歳を超えたら、もはや中心的な労働者ではない。
老眼や体力の衰えは、否応もなく本人に衰えの自覚を促し、社会からの引退を促した。
しかし、頭脳労働が中心になるにしたがって、加齢が衰えを自覚させなくなった。

 加齢は肉体を衰えさせていると同時に、頭脳も加齢にしたがって衰えている。
今の老人たちは、自己相対化という近代の教育を内面できていない。
そのために、衰えている自分が自覚できない。
いつまでたっても、自分が社会の中心のつもりである。
だから、傍若無人にふるまってしまうのではないか。

 自分が社会の主流ではないと知れば、謙虚な態度をとるだろうし、謙虚さは周りの人に敬意を払わせる。
しかし、自分の経験を正しいものと信じて、他人と妥協することを知らない。
これでは衝突するのが当然である。

音楽や本といった感性や知性、官能性が求められる世界でも、共有化から個人化へ、そして情報化から使い捨ての消費へと、ものすごい早さで転換している。
 問題なのは、道具やシステムが新しくなり、私のようにその環境を苦手とする「古い世代」が大量に生みだされること、そしてそこから排除されていくこと、だけではない。そうではなく、音楽や本といったものに接する新しい態度、情報化社会にマッチした音楽消費者、本の消費者にふさわしいメンタリティを身につけられないことが問題なのだ。P87


と筆者は言うが、問題はそこにあるのではない。
問題は、新しい態度や情報化社会にふさわしいメンタリティを身につけるために、若者に頭をさげる謙虚さがないことである。
いつまでも自分が優れており、世の中の中心だと思い続ける精神が、すでに硬直したものだ。
硬直した精神と謙虚さがなければ、衝突するのは当然である。

 今の若者はとても真摯であり、素直に教えを請えば、きちんと教えてくれる。
にもかかわらず、それまでの成功体験によりかかり、
若者たちに教えを請おうとしない尊大さが、暴走老人を生むのだ。

 社会は若者の逸脱を許容しないくせに、なぜか年寄りの暴走には寛大である。
本当に不思議だ。
凶悪さが目立つのは、1943年(昭和18年)生まれであり、団塊の世代までの高齢者が問題である。

 高度成長という成功体験を経験した世代は、自分を自己相対的に見ることができない。
戦前までの老人なら、若者に道を譲ると言うことを知っていたが、
今の老人たちは権利の主張ばかりで、譲ることを知らない。
そうでありながら、暴行するくらいの腕力は残っている。
これでは衝突するのが当たり前である。

 筆者がいう新老人とは、近代を内面化できなかった人のことではないか。
後半になると、筆者の人生観が展開されている。   (2008.4.27)
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参考:
鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005
高沢皓司「宿命」新潮文庫、2000
見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、2000
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006
足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005
三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003
浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005
山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005
佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001
管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007
浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004
藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001
ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008
小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001
芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987
D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004
河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004

河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
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S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

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