著者の略歴− ロンドン生まれ。ケニアのナイロビ博物館でL・S・B・リーキー博士の助手をつとめる。1960年ころからタンザニアで野生チンパンジーの観察をはじめ,その研究によりケンブリッジ大学から博士号を得た。現在はゴンベ・ストリーム研究所の学術部長。1964年に映画カメラマンのヒューゴー・バン・ラーピックと結婚。息子グラブリンがいる。著作は本書のほか,肉食動物を扱った「罪なき殺し屋たち」(邦訳・平凡社刊)など。 わが国の猿学の研究は、早くも1948年から始まった。 しかし、日本人研究者が海外に出始めたのは、1960年近くになってであり、 筆者のアフリカでのチンパンジー観察とは、良きライバルとなった。 本書は、いまでは古典といってもいい存在になっている。
筆者は20歳の時に、アフリカ行きを決意し、さまざまな準備を始める。 ケニヤの自然博物館の館長ルイス・リーキー博士に師事し、野外での研究に誘われる。 ルイスは自分が何をしようとしているかについて、その実体をしっかり知っていた。彼は大学での訓練は不必要なだけでなく、ある場合にはかえってそのことが不利になるかもしれないと感じていた。彼は既成の説によって混乱されたり偏見をもったりせず、知識のための真実の欲求だけから研究し、加えて動物に対する共感的な理解をもっている人を欲していたのである。 私は心からそして熱心にその仕事を引き受けることに賛成したので、ルイスは必要な資金を募集するという、困難な仕事にとりかかった。彼はこの研究の必要性だけではなく、若くて無資格な少女がこの研究を遂行するための適任者であることを、人々に納得させねばならなかった。ついに、アメリカのイリノイ州にあるウィルキー財団が、小さなボートとテント、航空賃、6ヶ月の滞在費などに必要な基本的な調査費を寄附してくれた。P20 今日ではグドールといえば、誰でもチンパンジーの研究者として知っている。 しかし、彼女はまったくの素人として、その第一歩を踏み出したのだ。 本来アカデミーとは、こうした知的好奇心を持った人間がつくったのだろう。 だから、知を求める人に開放されているのだろう。 が、南方熊楠の例を待つまでもなく、残念ながらわが国のアカデミズムは閉鎖的である。 ここへ来てから三カ月たった頃、バンと私は同時に病気になった。疑いもなくある種のマラリヤにかかったのだが、他ならぬキゴマの医者が、「この地方にはマラリヤはありませんよ」というので、私たちはマラリヤの薬を使わなかった。どうして披がこんな誤診をしたのか知らないが、その時は医者を信じきっていたので、質問もしなかった。ほとんど2週間、私たちは熱で汗をかきながら、蒸し暑いテントの中のキャンプベッドに並んで横たわっていた。P37 新たな仕事にとりかかったとき、その環境はよく判らない。 ましてやアフリカの原生林のなかである。知られていない病気がある。 しかし、知的好奇心というのは、何にもまして行動力を支えてくれる。
日がたつに従って、チンパンジーはしだいに私を恐れなくなってきた。食物標本の採集の遠征に出かけた時、思わぬ所でチンパンジーたちに出くわすことが度々あったが、彼らが十分茂った森の中にいる時や、私が静かに坐って60〜80メートル以内に近づこうとしなかった時には、彼らのうちのある者は私の存在を許してくれていることが、しばらく後で分かった。こうしてピークからの観察第2カ月目には、グループが落ち着いて採食している時ぐっと近くへ接近し、問々詳細な観察をすることができた。 たくさんの個体を識別し始めたのは、この時だった。私は再度見た時、たしかにこの個体だと確かめることができると、すぐ名前をつけた。科学者の中には、動物には番号をつけるべきだと思っている人がいる。つまり、名前をつけることは擬人的だというのだが、私は個体問の「差違」に興味を持っていたし、その上名前は数字よりも個性的なだけでなく、ずっと覚え易かった。P44 若い白人の女性が、単身でタンザニアの奥地にすんで調査を行なう困難は、 測り知れないものがある。 ヒョウがうろつく山のなかで、単身で野宿するのは恐ろしいことを通り過ぎている。 夜のジャングルは、想像するだけで恐ろしい。 わが国の女性も、最近では元気なって活躍を始めたが、 この当時まだフェミニズムは彼方のものだった。 筆者の野生チンパンジーの観察は、出色のものだ。 チンパンジーの肉食−狩猟行動、道具の使用と初期的な道具製作、 性関係、母子関係、など、 サルからヒトへの行動や社会進化を跡づけてゆく上に、驚嘆すべき重要さをもった発見だった。 本書は、平易で明快な文章で、ぐいぐいと迫る臨場感をもってチンパンジーを描写する。 筆者の自然に対する感受性はきわめて詩的である。 そして、動物に対する態度や観察の中に、やさしさと思いやりを読みとることができる。 と同時に、ポリオにかかったチンパンジーを、何のためらいもなく射殺する冷徹さももつ。 また現在では、筆者の研究に批判もある。 しかし、暖かいまなざしと精緻な観察眼にとんだ本書は、いまでも読むに値する。 (2003.8.15)
参考: ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001年、 G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005 越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998 高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年 岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972 J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997 磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003 賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003 信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001 匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997 黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997 E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001 S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001 石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002 マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003 上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990 斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001 斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997 島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004 伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004 山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999 斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006 宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000 ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983 瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006 香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005 山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006 速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003 ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004 川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004 信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001 菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005 原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003 A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998 ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003 加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004 デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995 ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997 ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997 編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991 塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995 ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、 杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980 矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年 赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004 浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005 本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005 広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997 高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002 服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005 塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972 ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005 宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001
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