匠雅音の家族についてのブックレビュー    宮本常一アフリカ・アジアを歩く|宮本常一

宮本常一アフリカ・アジアを歩く お奨度:

著者:宮本常一(みやもと つねいち) 岩波書店 2001年  ¥1、260−

著者の略歴−1907〜81年。山口県生まれ。天王寺師範卒。民俗学者。武蔵野美術大学教授。著書「忘れられた日本人」「家郷の訓」「庶民の発見」「日本の離島」「民衆の知恵を訪ねて」「民俗学の旅」膨大な業績は、「宮本常一著作集」(未来社刊)に収録されている。

 わが国の隅々まで、自分の足で歩いた民俗学者の宮本常一だが、
外国にでたのは晩年になってからであった。
その彼が、東アフリカ(ケニヤとタンザニア)と台湾・中国を旅行したときの、紀行文である。
1975年7〜8月にかけて旅行がおこなわれており、
当時はまだ外国旅行がそれほど普及していなかった。
とくに個人の旅行は、馴染みのないものだった。
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本書は次の4つの章からできている。
1. 東アフリカを歩く
2. 済州島を歩く
3. 台湾を歩く
4. 中国を歩く


 本書を読んでいると、筆者の人の良さがよく判る。
とりわけアフリカに関しては、見るもののすべてを肯定的に書いている。
すべて善意にかいする、いささかお人好しともいえる、ものの見方である。
この旅行は、近畿日本ツーリストが主宰していた観光文化研究所の探検学校としておこなわれた。

 筆者はこの研究所の所長であり、
長年にわたり渋沢栄一等とともにこの研究所をもりたててきた。
この研究所に集まった人たちが、何度か外国への旅行をしている。
若い参加者にまじって、その旅行に筆者も参加したというわけである。
20代の若者のあいだに、60歳過ぎの人間が、対等の立場で参加するのは難しいことだが、
筆者は肩肘張ることなく自然体である。
このスタンスにも、筆者の人柄がよくでている。

 わが国の各地を歩いた筆者は、各地の農家などに泊めてもらっている。
それには筆者の優しい人格が、大いに貢献しているようだ。
いくら昔でも、見知らぬ怪しげな人を、自分の家に泊めるはずがない。
筆者の人の良さが、相手の心を開かせ、受け入れてくれるのだろう。

 それは相手とまったく対等な視線を、筆者がもっているからに違いない。
私もアジアを旅するのでわかるのだが、
視線を同じ高さにおくことは、誰にでもできることではない。
いつのまにか自分の住んでいる地方と、現地を比べているし、比較でものを見ている。
比較しないで、現地をそのまま見るのは、とても難しいことである。

 さて27日からは伊藤君のピキピキ(=オートバイのこと)の尻車に乗ってあるくことにした。舗装された道はよいけれど、舗装されない道の多くは赤土でそれがまた灰のように日のこまかな土であるから、自動車が通るたびに紅塵がまい上る。その塵をもろにかぶる。それでもピキピキだといろいろのものが見られるし、車をとどめて話をきくことができる。P30

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 60過ぎのしかも先生と呼ばれている人間が、
若者の運転するオートバイの後ろに乗って走り回る。
しかも道が悪くて、このオートバイは、何度も転倒するのだ。
そのたびに、道路へと放り出されるのだが、彼はまったく文句を言わない。
知的好奇心がいくら強くても、なかなかこうした態度はとれないものだ。

 本書には、筆者をオートバイに乗せて走った伊藤さんも、
「宮本先生とあるいた44日間」という文章を書いている。
こちらは通常の感覚で、アフリカを見ており、
遅れているとかこす辛いとか、なかなか辛辣なことも書いている。
それにしても、飛行機が簡単にキャンセルされてしまい、
なかなか予定どおりに旅が進まない。
伊藤さんが責任者だったらしく、イライラしている様子がよく伝わってくる。

 済州島を歩くは、海女の話であり、語源的なことに蘊蓄を傾けている。
台湾や中国では、かつてからの自分の興味を確認する旅行になっている。
いずれにせよ、筆者には筆者の旅行のスタイルができあがっており、
それは旺盛な知的好奇心に支えられたものだ。

 農民だった筆者の体験を反映して、農業からものを見るという視点が貫徹されている。
そう考えて振り返ってみると、
私の旅行は物をつくる、つまり職人的な視点から見ているのだろうか、と思う。
人の好奇心とは、その人の生い立ちに大きく左右されるものだ。

 長い人類の歴史から見ると、むしろ現在のわれわれの生活が、異常なのかも知らないが、
近代化が始まっていない地方の生活とは、ほんとうに驚かされることが多い。
海女たちは他人に何の遠慮もいらなかったので、
男も女も裸で暮らしており、それが淫らでも恥ずかしくもなかった、とか聞かされると、
今の私たちが異常なのかとも思う。
また、海女が観光化するとは、潜水労働の終焉を意味していると、筆者は悲しむのである。

 1艘の船を造るのにどれくらいかかるだろうと聞くとわからないという。まず3カ月くらいはかかるのではなかろうか。大きい船を造るときはどれくらいかかるだろうと聞くと日数はおなじだという。1人乗は1人で造り、10人乗は10人で造るのだから、造船の作業日数はほぼ同じだという。その島では日数をはかるのは月のみち欠けを標準にしている。そして船おろしはかならず満月の日におこなうという。P236

ここには我々がもっている効率という発想はない。
本書をつらぬく筆者の目はどこまでも温かい。    (2003.8.15)
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参考:
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
石井光太「絶対貧困」光文社、2009
上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005
ジュリー・オオツカ「天皇が神だった頃」アーティストハウス、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000

六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001
エヴァ・クルーズ「ファロスの王国 T・U」岩波書店、1989
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985

高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
会田雄次「アーロン収容所」中公新書、1962
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004
レナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」毎日新聞社 2007
岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」講談社文庫、1998
山本理顕「住居論」住まいの図書館出版局、1993
古島敏雄「台所用具の近代史」有斐閣、1996
久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001
田中琢&佐原真「発掘を科学する」岩波新書、1994
臼田昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994
清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002  
編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002
邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000
中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009
山際素男「不可触民」光文社、2000
潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994
須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989
宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001
コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社、2002
川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990
ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973
阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991
永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社、2006

ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973

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