著者の略歴− 1960年、スイスのトゥーアガウ(フラウエンフェルト州)に生まれる。母はフランス人、父はドイツ人。1986年、27歳の時に旅行で訪れたケニアで、運命的な恋に落ちる。マサイ族の戦士ルケティンガとの出会い、結婚、そして別れに至る4年間を描いた本書は、ドイツ国内だけで150万部を超える記録的なベストセラーになり、世界各国でもベストセラー第1位を記録した。現在は娘ナピライと2人で南スイスに在住。ホテルを開業するため準備中。 筆者が何者で、どんなことをしたのかは、訳者のあとがきを引用させて貰う。 スイスでブティックを経営する27歳のコリンヌ・ホフマンは、恋人と訪れたケニアで見かけたマサイの戦士の美しさに心を奪われ、彼こそ生涯の恋人と心に決める。いったんスイスに戻った彼女は、恋人と別れ、すべてを捨てて再びケニアに赴く。だが彼の居所がわからない。彼女は何も知らなかった。彼がどこに住んでいるのかも、どんな暮らしをしているのかも。絶望しながらも、驚くべき情熱と意志の力で彼女は戦士ルケティンガの居所を探しあてる。それはケニアの奥地のサンプル地区、マサイ族の中でも最も伝統的な生活を営むといわれる人たちの住む所だった……。P341 その後、彼女はルケティンガとのあいだに、女の子を産みナピライと名付ける。 それだけの話だが、相手がマサイ人だったことが、話を面白くも厄介にもした。
伝統的な生活とは、電気も、水道もない。 もちろん牛の糞で固めた小屋に住むことだ。 そんな場所に彼女は単身で入っていく。 そして、西洋人らしい頑張りで、自分の生活基盤を築いていく。 しかし、彼女の考える生活は、その多くがマサイの習慣とは反するものだった。 1夫1婦を当然と考える西洋人、それに対して、1夫多妻を当然と考えるマサイ人。 砂漠で生きる掟は、西洋人の常識とはことごとく違った。 しかし、彼女は愛さえあれば、理解しあえるし、平和な夫婦生活が実現できると考えていた。 結論からいえば、結婚生活は4年で破綻した。 民族に固有の文化を大切にしようとか、伝統文化を尊重しようと言った声を聞く。 しかし当サイトは、伝統文化とは消滅していくものであると考える。 個人の次元で、先進文化と伝統文化が衝突した場合は、無条件に先進文化を支持する。 本書の限りにおいても、ルケティンガではなくコリンヌ・ホフマンの立場を支持する。 では最初から、彼女はマサイ人と結婚すべきではなかったのか。 そうは考えない。 結婚生活が破綻したのは、結婚したからであり、結婚しなければ、破綻しようがない。 たしかに無謀な恋愛であり結婚であった。 しかし、恋愛とはもともと無謀なものだ。 そして、恋愛ののち共同生活をしたいのも、当然の願望である。 恋愛結婚など最近のものだ。 身分とか家柄・収入といった安定要素を、勘案しての結婚が、恋愛結婚が登場する以前の結婚だった。 前近代の結婚とは、生活のためのものであり、家と家が結びつものであり、愛情などといった不確定な要素が入り込む余地はなかった。 恋愛とはきわめて個人的なものである。 好き合った男女が結ばれることを肯定できるようになったのは、個人なる概念が誕生した近代になってからだ。 農耕社会では恋愛が結婚に帰結するなど、考えもできない。 ただし、セックスは個人的なもので、個人的以外にはせっくすしようがないから、いつの時代にも個人的に行われた。 私はマルコ(今の恋人)の指さすほうを見た−その瞬間、私は全身がしびれたようになり、動けなくなった。生まれてからこれほど美しい男を見たことがない。濡れたような黒い瞳。褐色の肌。すらりと伸びた躯。彼はゆったりと手すりにもたれて、フェリーで唯一の白人である私たちを見つめていた。 赤い腰布だけの裸身にまとったさまざまな飾り。額には大きな貝の飾りが輝き、長い赤い髪はきっちりと編まれて細いひものように垂れている。顔から胸にかけては美しい模様が描かれていた。幾重にもかけられたカラフルな首飾りや腕輪。その顔はつややかで美しく、肌は女とみまがうばかりに滑らかだ。けれどもその身のこなしや、りんとした眼差し、筋骨たくましい身体つきが、彼が男だということを雄弁に物語っていた。魅入られたように私は彼を見つめていた。夕陽を浴びたその姿は、さながらアポロンのようだった。P12
この出会いだけで、彼女は今の恋人、職業、スイスでの生活などのすべてをなげうって、アフリカに渡る。 そして、ルケティンガをさがし出して、押しかけ女房になる。 戦士であるルケティンガは、砂漠を放浪し、定住しない。 ときどき帰ってくる彼を待って、共同生活を営む。 しかし彼女は、マサイの妻を演じることはできない。 あくまで西洋人の自我を貫こうとするから、彼とのあいだに軋轢が生じる。 彼女は渾身の力を振り絞って、齟齬を乗り越えていく。 スイスからもってきたお金で、彼女の車を買う。 村に店を開く。 マラリアも克服した。 最初は、淡泊なマサイのセックスにも耐える。 しかし、彼女はやがてルケティンガとのあいだで性の快感も入手する。 彼女は、徐々に彼を自分の価値観へと近づける。 それはそれは気の遠くなるような努力だった。 砂漠の価値観と、ヨーロッパ人の価値観は違う。 個人的な人間性の問題ではない。 隣家の奥さんがお産で死にそうになった。 そのとき、ルケティンガは次のように言った。 それは俺の仕事じゃない。それより山羊が大事だ。その瞬間、私は彼という人がわからなくなつた。 「人間より山羊のほうが大事だつていうの!」われを忘れ、私は金切り声をあげた。だが彼は平然と言い返した。あの人は俺の奥さんじゃない。でも山羊はあと2時間もしたら食われてしまう。そういって彼は(2頭の山羊を探しに)出ていった。怒りに身体が震えた。どうしてそんなひどいことが言えるのだろう。 私のルケティンガ、あのやさしいルケティンガが。P219 彼は濁流のなかで、2人の子供を救っている。 だから人命救助をしないわけではない。 他人のカミサンの命と、山羊の命を秤にかけると、山羊の命のほうに傾くに過ぎない。 それが砂漠での正解なのだろう。 知り合って3年がたった頃、ルケティンガは彼女の異性関係に嫉妬する。 彼女が異性と親しくすると、ルケティンガは2人のあいだにはセックスがあったと見なした。 性の違う人間関係と、セックスとを切り離せなくなった。 彼女の生活が24時間監視されるようになった。 こうなったら、2人の生活は崩壊である。 彼女は子供を連れて、スイスに逃げ帰る。 これで良かったと思う。 日本人の永松真紀も、同じようにマサイ戦士の妻となった。 彼女の「私の夫はマサイ戦士」を読むと、2人の生き方はずいぶんと違う。 違いが生じた原因は、スイスと我が国の近代化の速度の違いに由来するのだろう、と思う。 しかし、いずれにせよ2人とも大胆である。 彼女たちの人生に、惜しみない拍手を送りたい。 ところで、個人のあいだでの文化差には、先進国住人の見方をするが、 国家規模の問題はまったく別である。 少数民族は少数民族であるというだけで、やがて消滅していく運命にあるのだ。 国家が自己の利益のために、少数民族を押しつぶして良いはずがない。 (2007.12.25)
参考: 永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社 2006年 宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店 杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980 アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000 石井光太「絶対貧困」光文社、2009 上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005 ジュリー・オオツカ「天皇が神だった頃」アーティストハウス、2002 G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001 エヴァ・クルーズ「ファロスの王国 T・U」岩波書店、1989 バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985 高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001 瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001 西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001 アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 会田雄次「アーロン収容所」中公新書、1962 今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004 レナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」毎日新聞社 2007 岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」講談社文庫、1998 山本理顕「住居論」住まいの図書館出版局、1993 古島敏雄「台所用具の近代史」有斐閣、1996 久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001 田中琢&佐原真「発掘を科学する」岩波新書、1994 臼田昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982 パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002 下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994 清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002 編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002 邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000 中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009 山際素男「不可触民」光文社、2000 潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994 須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989 宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001 コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社、2002 川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990 ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973 阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991 ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973
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