匠雅音の家族についてのブックレビュー    不可触民−もうひとつのインド|山際素男

不可触民  もうひとつのインド お奨度:

著者:山際素男(やまぎわ もとお)−光文社、2000年   ¥476−

著者の略歴−1929年三重県まれ.法政大学日本文学科卒.1998年、古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」の翻訳で第34回日本翻訳出版文化賞を受賞.著訳書に「不可触民の道」「チベットのこころ」「インド群盗伝」「カーリー女神の戦士」「アンベードカルの生涯」「不可触民バクハの一日」「清掃夫の息子」「ブッタとそのダンマ」、インド仏教徒の最先頭頭に立って仏教復興のために闘う日本人僧の半生記「破天 一億の魂を掴んだ男」南風社刊
 インドは混沌の国だと言われる。
原爆やミサイルをもち、近代的な面を備えているかと思えば、
飢餓線上をさまよう極貧の人もたくさんいる。
仏教発祥の地でありながら、現代インドを支えるのはヒンズー教である。
バラモン文化など古い文化をもつインドだが、ヒンズーがもつカーストも悪名が高い。
ヒンズーを根底で支えるのが、カーストであり、カースト抜きのヒンズーはあり得ないらしい。
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 インド人は英語に堪能だという。
しかし、英語を解するインド人は人口の2パーセントであり、
この2パーセントがエリートとして君臨している。
カーストは、ブラーミン(司祭、僧侶)、クシャトリヤ(王族、戦士)、バイシャ(商人)、シュードラ(農民、労働者)の4つに分かれるが、
このほかに不可触民がいる。
本書によると、不可触民は人口の25パーセントにのぼるという。
4人に1人が何の人権も認められずに、極貧の生活をしている。

 インドにおける差別の原因は、職業である。
前近代社会では、職業が世襲される例が多い。
わが国でも、死体処理や皮革業に従事する人たちは、差別の対象だった。
しかも、これらの職業が世襲だったので、この職業の家に生まれる者が、自動的に賎民化される。
職業の世襲は、生まれながらの被差別者を生む。
前近代は静かな社会だったので、職業が世襲化されたほうが、良かったのかもしれない。

 わが国の部落差別は、江戸時代に確立されたという。
しかし、差別と区別は違うという論理に従えば、江戸時代にあったのは区別ではないだろうか。
インドにおける不可触民の存在は、支配のために必要なのだという。
その理由を次のように言っている。

 カースティズム・ヒンズーイズムの本質になるものは、なんじゃ、と思うかの。それは、『浄、不浄の観念』じゃ。プラーミンが『神人』と敬われておるのも、この『浄』を司どる力があたえられておる唯一の存在として信じられておるからこそじゃ。
 不可触民というものは、この『浄』なる存在を、存在させるためにぜひとも必要なんじゃ。それがなければ、ヒンズー教の本質が危うくなるでな。P169

 
 浄なる者がいるのは、不浄なる者がいるからだ。
浄だといっても全員が浄では、浄と名乗る意味がない。
浄であることが支配に役立つから、浄=不浄の観念がうまれ維持される。
しかし、江戸時代には浄=不浄の観念が、体制に必要だったとは思えない。
というのは幕藩体制を支えたのは、儒教といった倫理もあっただろうが、何よりも武力であった。
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もちろん力だけでは統治はできないが、
戦国時代に起源をもつ武士にとって、闘うことが存在証明である。
武士にとって生まれつき浄なる者が、支配するという観念はありえない。
武士にとっては、強い武力こそが自己の正当性を保証するはずである。

 職業による差別がむきだしにされたのは、むしろ明治になってからではないだろうか。
明治は武力が支配したのではなく、
天皇の神性化が支配原理だとすれば、浄なる天皇に対応する者が必要になる。
血統=生まれながらに浄なる人間として天皇を想定すれば、
不浄なる者として被差別民の登場は不可避である。
つまり部落差別は、天皇神性の反対側にあり、天皇を裏から支えるものだった。
だから天皇が人間宣言をして初めて、部落差別は消滅に向かう契機を得たのである。

 江戸時代までは、身分制社会であった。
区別が厳然としてあった。
しかし、浄なる存在がなければ、不浄は不必要だから、区別が差別へと転化することはない。
つまり武士が武力に支配の根元をおいている限り、浄なる存在は発生しないから、
区別が差別へと転化する必然性をもたなかった。
あったのは身分による区別だった。
もちろん区別だから良いといっているわけではない。
区別という身分制が、撲滅の対象なのは、言うまでもなく当然である。

 筆者インドへ向かう心境を次のように言う。

 わたしが期待したインドは、そのような過程を経、歩みながらも、われわれが直面している近代的工業社会の人間疎外を、同じ道を歩むことによってではなく、つまり前者の轍をふむことなく、異なった発想や次元で人間や社会を捉え直し、それを乗りこえてゆく可能性を秘めているのではないだろうか、というものであった。
 インドの非合理は、われわれの合理主義、管理社会の内から眺めるから、非合理なのであり、非合理は合理的に解決さるべきもの、悪しきもの、克服さるべきもの、という単純な発想ではとらえきれないものではないか。P20


 近代化にともなう人間疎外は、前近代の身分制社会からは、克服できない。
近代を改善するには、前近代ではなく後近代へと向かう方向でなされる。
近代になって初めて平等観を実現したのであり、同時に死亡率が下がり、殺人が減ったのである。
前近代より近代のほうが、はるかに人間的である。

 筆者の不可触民への思いは、きわめて真面目で誠意あふれるものだが、
正義感だけでは問題は見えない。
差別意識を問題視することも大切だが、
それ以上に重要なのは経済状態の改善、つまり貧困の克服だろう。
そう考えると、アマルティア・センがいうように貧困の克服とは近代化以外にはない。
近代が人間疎外を生んだのではなく、近代こそ人間を解放したのだ。
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参考:
高沢皓司「宿命「よど号」亡命者たちの秘密工作」新潮社、 2000
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993

大塚英志「彼女たちの連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義」角川文庫、2001
清水美和「中国農民の反乱 昇竜のアキレス腱」講談社、2002
潘允康「変貌する中国の家族 血統社会の人間関係」岩波書店、1994

石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
顧蓉、葛金芳「宦官 中国四千年を操った異形の集団」徳間文庫、2000
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001


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