匠雅音の家族についてのブックレビュー    大使館なんかいらない|久家義之

大使館なんかいらない お奨度:

編著者:久家義之(くげ よしゆき)角川文庫、2001   ¥667−

著者の略歴−1955年大阪府生まれ。医師、元・外務省医務官。81年、大阪大学医 学部卒業。同大学付属病院、神戸掖済会病院などに勤務。88年、外務省入省。同年、医務官とし て在サウジアラビア大使館、在オーストリア大使館、在パプアニューギニア大使館に勤務。外務省での最終の肩書きは一等書記官兼医務官。97年、帰国。
 外務省の元医務官が書いた一種の暴露ものである。
この手のものの通例として、ごく一部を見ただけであり、いらないと言ってしまうのは極論である。
しかし、在外公館がどんな役割をしているのか、国内ではわかりにくい。
本書でも大きく取り上げられているが、
在外公館におけるわが国のナショナル・ホリデーは天皇誕生日であり、
この日にその国の主要な人たちを招いて祝宴が行われる。
いったい誰が、天皇誕生日を日本のナショナル・ホリデーに、決めたのであろうか。
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 ペルーの日本大使公邸での人質事件は、ナショナル・ホリデーに起きたのである。
二重の意味で、世論が喚起されても良いはずだった。
しかし、マスコミをはじめてとして、国内外の温度差は凄まじく、無事救出されたから結果すべて良しだった。
こんな話はないだろう。
そのあたりの事情も、本書は書いているが、いずれにせよ、
今のわが国には外交がないと言っても良い。
筆者は、次のように書いている。


 特殊部隊突入がペルー政府独自の作戦であれば、まだ日本にも立つ瀬があった。
 しかし、フジモリ大統領は、作戦の発動前にアメリカに連絡しており、なおかつそれまでにアメリカ国防省のテロ対策特別チームを受け入れて、極秘に武力解決に向けて訓練を積み重ねていたというのである。事件の現場が日本大使公邸という、日本の威信にかかわる場所なのに、日本には何も知らされず、アメリカとペルーだけで解決の方策を探っていたのだ。
 国際社会でここまで顔に泥を塗られたのに、日本の政府首脳はまったくその恥辱を感じていないかのようだった。P31


 まさに同感である。
国の唯一にして最後の役割は、国防と外交である。
これでは在外公館どころか、外交を行う政府が機能していないと言っても良い。
わが国の外交は、国内政治の延長として、国内だけをむいている。
また国民も海外を知らないから、それですんでしまう。
マスコミも海外取材の時に世話になるので、在外公館や外務省を批判しない。

 多くの人は外国にでても、それが観光旅行である限り、在外公館との接触はうすい。
何か困ったときだけ、在外公館の厄介になる。
だから、在外公館を悪くはいわない。
しかしそれでも、在外公館の冷たく傲慢な態度、鈍い仕事ぶりには腹立たしく思う人が少なくない。

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 大使館の任務のひとつとして、「日本人の保護(邦人保護)」がある。
海外に住む日本人や旅行者にとって、もっとも切実なのはこれだろう。ほかの大使館の業務、政治経済や文化広報などは、はっきり言ってどうでもいい。イザというときに守ってくれるかどうか、それが一般の人が大使舘に期待するもっとも重要な役割である。
 ところが、大使館は冷たい、不親切、威張ってばかりで頼りない。海外で助けを必要としたとき、大使館にこんな不満を持った人は多いのではないか。P65


 そういって日本人が困った一つの例をだす。
日本大使館が法人救助のために何もしないのは、今や常識だという。
これがどこの国の大使館でも、そうだというなら仕方ない。
ところが、アメリカ大使館は違う。
それを知っているから、アメリカ人は困ったときには、まず大使館に相談する。
 
 南米を旅行しているとき、たまたま外交官たちと知り合う機会があった。
彼らの関心は日本国内の偉いさんに向いていた。
一般庶民には、まったく感心がない。
東京新聞に、次のような記事が掲載された。

 元首相夫婦のスイス旅行には大使舘員が同行、親せき連れの議員のハワイ旅行では領事館員がホテルの予約や空港での乗り換えに奔走−。在外公舘による国会議員へのサービスの一端が、外務省が開示した内部文書で26日、明らかになった。この文書は1999年の国会議員の便宜供与に関する公電などの文書の一部。氏名やホテル名などの一部が不開示とされた。(中略)
 外務省関係者によると、議員の現地での日程が囲まると外務省の担当課が議員秘書に電話し、頼まれなくても「粗食を差し上げたい」などと議員の世話を買って出るのが通例という。(2001.6.27)


 皇族、首相、閣僚をAAランクとし、国会議員や省庁の部局長、県知事などをCCランク、以下TTランクまで、国内の序列に添った対応マニュアルがあるらしい。
一般庶民はランク外だから、ほっておいても良いのだろう。
3ヶ月ほど滞在したメキシコでの体験では、
日本大使館の職員が、現地の日本人とりわけ日系一世や二世に対して実に威張っており、横柄で尊大な対応を見た。

 南米を旅行中に、ヴィザをとる必要から、たくさんの領事館をまわった。
他の国の在外公館が、ラテン系の陽気さで対応してくれ、おしなべて親切だった。
そのため、よけいにわが国の不親切さを感じた。
その時以来、私はわが国の在外公館には、なるべく近づかないようにして海外旅行をしている。

 海外からわが国を見ると、いろいろと違って見える。
世界中が、「健康地」と「不健康地」に分けられて、赴任にあたっては不健康地手当がでると言う。

 日本はほとんどの国から「不健康地」に指定されているのである。住宅環境の悪さ、交通渋滞、大気汚染、夏の蒸し暑さなどがその理由らしい。
 日本は経済も文化も発達して、生活水準も高いと思っていたら、なんと世界の中では「不健康地」だったのである。P217


 海外を少しは知っているつもりだった私も、これには驚いた。
とにかく外交官たちは、一体どこをむいて仕事をしているのか、と思うことしきりだった。
本書を読んで同感することが多かった。
    (2002.10. 18)
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参考:
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001
エヴァ・クルーズ「ファロスの王国 T・U」岩波書店、1989
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985

高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
会田雄次「アーロン収容所」中公新書、1962
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004
レナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」毎日新聞社 2007
岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」講談社文庫、1998
山本理顕「住居論」住まいの図書館出版局、1993
古島敏雄「台所用具の近代史」有斐閣、1996
久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001
田中琢&佐原真「発掘を科学する」岩波新書、1994
臼田昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994
清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002  
編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002
邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000
中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009
山際素男「不可触民」光文社、2000
潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994
須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989
宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001
コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社、2002
川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990
ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973
阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991
永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社、2006
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001


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