匠雅音の家族についてのブックレビュー    中国人の思想構造−21世紀の中国を予見する|邱永漢

中国人の思想構造
21世紀の中国を予見する
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著者:邱永漢(きゅう えいかん)  中公文庫、2000年  ¥533−

著者の略歴−1924年台湾の台南市に生まれる。1945年、東京大学経済学部卒業。戦後は台湾・香港にて銀行員、貿易商など国際舞台の第一線で活醍。1954年より日本に住み、翌年に小説「香港」で第34回直木賞を受賞。以来、作家・経済評論家・経営コンサルタントとして知られ、また自分でも多数の会社を経営している。主な作品に、「濁水渓」「象牙の箸」「奥様はお料理がお好き」「食前食後」「金銭読本」「金儲け発想の原点」「死ぬまで現役」「中国人と日本人」「わが青春の台湾 わが青春の香港」「日僑の時代」「こちら北京探題」などがある。

 本書は中国にかんする近未来の予測であるが、きわめておもしろく読んだ。
学者たちの仕事は過去の整理であり、たまにする予言の多くが大はずれである。
が、筆者の予言は当たると思う。
中国人がチーズを食べるようになったという指摘は、学者たちの興味を引かないだろうが、実は大きな問題をはらんでいる。
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 政治や経済の変化だけではなく、生活習慣の変化こそ、近代化がほんとうに浸透する証なのだ。
筆者は中国人であるから、中国人が上手くやって欲しいと思っているに違いない。
しかし、筆者にはイデオロギーの眼鏡がない。それが読んでいて気持ちがいいのである。

 マルキシズムの学者は、自分は高等遊民であるにもかかわらず、無産階級が政権を執るべきだと考えている。
また、フェミニストの女性は、女性が虐げられてきたから、女性が解放されるべきだという。
いずれもチーズを食べるような現実を見ない。
そして、自分の方針とあわない現実を否定してしまう。
つまり現実が間違っているのだと。

 現実を否定したあとで、
私たちの理想社会を創りましょう、といったイデオロギーに彩られた主張をする。
こうした主張は、ほとんど有効性をもたない。
本書の筆者は、現実主義者である。
そして、経済的な環境の改善が、中国人を幸せにすると信じている。
人はパンのみに生きるのではないが、衣食足って礼節を知るのである。

 いつ頃から三民主義のお題目を唱えなくなったかというと、GNPが1人当り1500ドルに達した頃からである。私はそういうことには神経質なので、人間は1500ドルの所得水準に達すると、主義主張にこだわらなくなることにすぐに気がついた。貧乏で、食うや食わずの社会だけがメシの代わりに主義主張を押しつけたり、押しつけられたりするのである。貧乏人は空き腹に主義主張を詰め込まれても何とか消化するが、1500ドルを超えると、すぐ戻してしまうらしいのである。P150

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 GNP1500ドルという、この指摘は鋭い。
共産主義の温床は貧困だといわれるが、宗教もそうだろう。
南米諸国が、未だにキリスト教から抜け出せないのも、貧富の差が激しい貧困ゆえなのである。
誰か学者が、この1500ドルという数字を、裏付けてくれないだろうか。
これこそ学者の仕事だろう。近代化のボーダーラインがはっきりするに違いない。
 筆者は、農耕社会から工業社会への転換をよく読んでいる。

 農業は土地を耕して生産されるから、当然のことながら、土地の広さが富の大きさを決定する。天然資源も土地から生み出されるものであるから、広大な土地は狭小な土地より大きな財産だと思われている。昨今のように、砂漠や海底にも石油資源があることがわかれば、農業的に無価値なところでも宝の山ということになるから、領土に対する執着はますます強くなる。「地大物博」というのは中国人が中国の領土の広さを自慢する時に使う表現だが、こうした考え方は農作物や地下資源を富と考える農業社会のものにすぎない。そういう考え方が間違っているというわけではないが、富が労働力によってつくり出される工業社会になってからは、そうした先入観に大幅な修正をする必要が起こってきた。P64

 いまだに土地を、産業の基礎から外さない学者たちに比べて、
筆者の見解ははるかに風通しがいい。
また、この視点から中国の領土拡張主義にも、苦言を呈する。
土地の価値が低くなれば、領土に固執することの必要性は下がる。
台湾やチベットにたいする中国の対応など、筆者の指摘はうなずける。
しかし、中国政府はいまだ農耕社会的な感覚だから、しばらく抗争は続くだろう。

 わが国にも住居をもつ筆者のことだから、情報社会化も視野に入れているが、
現在の中国にはまず工業社会化であろう。
そして、工業化に伴う弊害にも、きちんと目を配っている。

 中国人は何千年も支配者から抑えつけられ、痛めつけられて生きてきたので、自分と自分の家族を守ることに一生懸命で、公益を優先させることに全く手が回らないのである。行列には平気で割り込むし、ルールは無視する。公私の区別がないし、会社の物でも見ていなければ、家へ持って帰って私用に使う。国営企業がうまく行かないのも、大ドロボーと小ドロボーの違いがあるだけで、上から下まで会社の物をくすねて私物化してしまうからである。P102

 筆者は中国人であることに大きなプライドをもっている。
本国がどんなに没落しても、中国人としての矜持はゆらがない。
白人を向こうに回して、まったくたじろがない。
白人に媚びへつらう日本人とは違う。
おそらく、それが中国人に共通する最大の財産なのだろう。
そうでありながらリアリストとして、アメリカ人との相互理解に、中国人は柔軟である。
事実、中国人の留学先は、わが国ではなくアメリカが多い。

 台湾への武力侵攻はないと楽観している。
それはそうだろうが、中国の近代化が成功するかといえば、
これからまだまだ大きな困難が待ちかまえている。
その最大のものは、共産党の解党だろうが、それにはたして上手く対処できるだろうか。
私はその点に関しては、筆者ほど楽観視できないのだが。
(2003.08.29)
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参考:
ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993
六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001
下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994
清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002  
編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002
邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000
中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009
山際素男「不可触民」光文社、2000
潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994
須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989
宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001
コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社、2002
川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990
ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973
阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991
永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社、2006
臼井昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982

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