著者の略歴−カリフォルニア州パロ・アルト生まれ。日系人の両親をもつ日系3世としてロサンゼルスで育つ。イェール大学で美術を専攻して芸術家を志すが、30歳のときに作家に転向。1998年、キャロル・リード編によるBest of the Fiction Workshop Anthology '98に短篇が収録される。母方の家族の実体験を元にして生まれた本書『天皇が神だったころ』は長編デビュー作にあたり、全世界に先駆けて日本先行発売となった。二ユーヨーク在住。 わが国の天皇に関して、外国からの発言が多くなってきた。 本書もアメリカの日系3世の体験をもとにした、小説仕立ての天皇批判である。 本書の読後感に限らず、天皇を頂くとことは本当に後進国の象徴としか思えない。 天皇といういう生まれつき上位という人間を、支配の頂点に置くことは、身分制以外の何ものでもない。
前近代とは血縁による身分制だったとは、何度も書いてきた。 身分制に支えられた天皇が現代社会に生きていることが、すでに信じられない。 太平洋戦争の戦争責任とか、そんなこと以前に裕仁などの正統性が、いまだに疑われないことが、わが国の後進性を象徴しているのだろう。 本書は太平洋戦争が始まって、日系人が抑留収容所に拘束される。 その時の顛末を書いたものである。 戦争とは、常軌を逸しさせる。 わが国でも朝鮮人を酷使した。 また捕虜となった人々に、過酷な扱いをした。 だから、戦時に日系人が敵性外国人として、抑留収容所に拘束されたとしても、 それは当然のことだったろう、としか言いようがない。 本書は押さえた筆致で、戦争中とその後の日系人たちの生活を、じっくりと描いている。 残酷な場面や虐待の場面はないが、それだけに読む者に、戦争のむごさを教えてくれる。 主人公はおそらく筆者の身内だと思われるが、個人的な体験としてではなく、 日系人が置かれた普遍的な状況として、この小説は書かれている。 この物語があらわすのは、太平洋戦争に留まらないだろう。 9.11以降アラブ系の人たちは、アメリカでの生活が難しくなっているに違いない。 しかし、太平洋戦争の経験があるので、今のアメリカ政府はアラブ系と言うだけでは拘束しない。 日系は比較的純粋種が多かったので、拘束も簡単だったかも知れないが、 今後は混血が進んでいくと、人種での分別が困難になっていくだろう。
男と女は別々の収容所に入れられる。不妊手術を受けさせられる。市民権を剥奪される。外洋に連れていかれて射殺される。無人島に置き去りにされる。日本に強制送還される。アメリカを離れることは一生許されない。アメリカ人捕虜が全員無事に戻るまで人質にされる。戦争が終わりしだい、身柄の保護のため中国人に引き渡される。P78 流言飛語もとんだろう、裏切りもあったに違いない。 戦後ソ連に抑留された人たちの話も、同じように悲惨であるが、 この抑留収容所も悲惨であることには変わりない。 過酷な状況に置かれた時、人間たちはさまざまな様相を見せる。 本書が筆を押さえているだけに、人間の無情さといったものを、いっそう伝えてくる。 父親が早いときにFBIに拘束され、一家とは別の場所に抑留される。 そのため、主人公たちは父親の思いを、夢一杯にふくらませて、抑留生活を耐えてくる。 そして、父親が解放されて、初めて駅で出会ったとき、あまりの変わり様に父親と認識できない。 この挿話が残酷さを、伝えてあまりある。 ぼくらの父さんは−ぼくらが覚えている、そして戦争のあいだほとんど毎晩夢に見た父さんは−ハンサムで、達しかった。堂々として、動作は素早く、無駄がなかった。ぼくらのために絵を描くことが好きだった。唄うことも。笑うことも。だが、汽車で帰ってきた男は56という年齢よりずいぶん老けて見えた。白く光る入れ歯をはめ、頭髪は一本もなかった。体に腕を回すたびに、シャツを通して肋骨にふれた。ぼくらのために絵を描くこともなく、弱々しい、調子はずれの声で歌を唄うこともなかった。P146 自分の責任はまったくないのに、状況が強いてくる息苦しさ。 生きにくさ。 戦争ではそれが極限にまで追いつめられる。 ユダヤ人やジプシーたちは、黙って殺されていった。 家を離れていた数年問のことを、父さんはなにも話さなかった。たったの一言も。政治のことも、逮捕されたことも、歯を失ったいきさつについても。敵性外国人統制部隊の前で行なわれた忠誠審問についても。正確なところ、なんの罪に問われたのかも。破壊活動? 敵に秘密を売った? 政府の転覆を企てた? 父さんは告発どおりに有罪だったのだろうか? それとも無罪? (そもそもその場にいたのか?) ぼくらにはわからなかった。知りたくもなかった。父さんに尋ねもしなかった。ぼくらが望んでいたのは、世間に戻れた今となっては、ただ忘れることだけだった。P147 忘れることは、傷の痛みを癒してくれる。 日本人は忘れることによって、自分の傷口をなめていく。 そして、かさぶたをそっと大切にして、 やがて時間が痛さを忘れさせてくれるまで、じっと耐えていく。 本書の登場人物たちも、忘れようとしてきた。 それは1970年頃にアメリカで、私が出会った日系人たちも同じだった。 彼らはアメリカにひっそりと生きていた。 たった12万人だからだろうか。 ユダヤ人たちは、いまだに怨念のこもった視線を、ドイツはもちろん連合国にも投げかけ続けている。 本書を読みながら、アウシュビッツの話が何度も頭をよぎった。 (2003.1.10)
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