匠雅音の家族についてのブックレビュー    天皇制とジェンダー|加納実紀代

天皇制とジェンダー お奨度:

著者:加納実紀代(かのう みきよ)インパクト出版、2002年   ¥2000−

著者の略歴−1940年ソウルに生まれる。1976年より「女たちの現在を問う会」会員として、96年までに「銃後史ノート」10巻(JCA出版)、「銃後史ノート戦後篇」8巻(インパクト出版会)を刊行。現在、敬和学園大学教員(特任)。著書 「女たちの〈銃後〉」筑摩書房、1987年(増補新版、1995年インパクト出版会) 「越えられなかった海峡−女性飛行士・朴敬元の生涯」時事通信社、1994年 「まだ『フェミニズム』がなかったころ」インパクト出版会、1994年

 天皇制に言及するフェミニストが少ないなかで、
すでに60歳を過ぎて老境にさしかかっている筆者が、かねてからの反天皇についての著作である。
前半は天皇制の事実認識といったもので、ほとんど常識に属する話がつづく。
天皇制に関しては、読むべきものは何もない。

 本書の決定的な欠陥は、天皇制を自分の外なるものとして批判している点である。
戦前のような教育制度のもとでは、まじめな者ほど天皇主義者になったはずである。
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吉本隆明氏を持ちだすまでもなく、天皇制は国民の一人一人が賛同し、心の底から支えてきた。
ほぼ全員が、天皇に敬愛の情をもっていた。
天皇は各自の心の内に住んでいた。

 内なる天皇制を問題にせずには、天皇制解体のために何の力にもなり得ない。
しかし、天皇制批判のために本書を購入したのではないから、
筆者の天皇制批判について云々するのは止めよう。
フェミニズムが天皇制をどう扱うかだけに絞って、評論していく。

 私はこのサイトで、先進諸外国のフェミニズムとわが国のフェミニズムを、別物のように論じているが、
本書を読むとその背景がはっきりしてくる。
あとがきに、筆者が1979年に書いた次の文章を引用している。

 それ(=女の論理)がどこかで「天皇制」とつながるのではないかという危惧も拭えなかったのである。民衆の素朴な自然信仰をかすめとって成立したらしい「天皇制」は、タテマエでみるかぎり、その<個>よりは<共同性>の尊重において、人間関係の家族的あり方の肯定において、どこやらに<女の論理>に通ずるところがある−。<自我>ではなく<母性我>を提唱した高群逸枝の戦時中の言動等を見開きするにつれ、私の危惧は強まったのであった。この私の危惧は杷憂にすぎないかどうか、<女の論理>を真に人間解放の武器とするにはどうすればいいのか−

 わが国の女性運動は、生む性としての女性といった側面を強調してきた。
女性の身体性にこだわり、いわば母性を大切にしてきた。
この姿勢は、思考よりも存在に基礎をおく発想である。
ある者としての人間存在を、丸ごと取り込むには便利だが、前近代の身分や立場でものを考えるものだ。

 ○○であることを大切にするのは、
人間の意志や思想性といった、可変的な部分で人間を評価するのではない。
女性であるといった、人間の力では変えることができない事実に、評価の機軸をおいた発想である。
女性だから差別されたことに抗議の声を上げたとすれば、
女性であることに自己の思考基盤を置くことは、単なる裏返しでしかなく、自分の頭で考える姿勢はない。

 女性としての存在に徹底して拘るというのは、一見するとかっこいいようだが、
この論理では女性が女性でありさえすればよく、思想的な努力はまったく必要がない。
しかも女性以外からの批判は、女性ではないという理由で拒否できる。
つまり何の批判も、受けつけない立場である。
先進国のフェミニズムは、女性であることを克服して、人間として社会的な平等を指向しているが、
わが国のフェミニズムは女性であることに安住している。

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 女性にとって社会性の獲得とは、専業主婦を認知させることではなく、職業選択の自由だった。
職業が女性の自立を支えるから、職業を求めて先進国の女性たちは立ち上がり、
そのためには産む性であることを手放したのである。
しかも手放したことが結果として、男性の育児参加を呼び込み、
少子化時代の子供の再評価へとつながった。
しかし、わが国のフェミニズムは、母性に安住して自立しなかった。
女=母であることに拘り続けるから、専業主婦を擁護せざるをえなくなり、働く女性たちから見捨てられた。

 わが国のフェミニストたちは、天皇制という差別の象徴に対して、何の反対もしない。
小和田雅子氏が皇太子の妻となって、皇室に取り込まれたときに、
多くのフェミニストたちは賛同の拍手を送った。
それも上記の話を考えれば、当然のことだと納得がいく。
本書でも、田嶋陽子・福島瑞穂・山下悦子氏らの、結婚祝福宣言を憤りとともに引用しているが、
わが国のフェミニズムは差別の象徴である天皇制にたいして、まったく無力である。
というより、わが国の女性フェミニストたちは、天皇制を賛美している。

 ハイジ・ハートマンの「マルクス主義とフェミニズムの不幸な結婚」にひっかけて、
「天皇制とフェミニズムの不幸な結婚」と、わが国のフェミニズムを筆者は嘆いてみせる。
問題の所在がどこにあるかを、筆者は薄々わかっているようだが、
最後のところでわが国のフェミニズム擁護=天皇制擁護へと転落していく。
フェミニストを自称する女性のなかでは、もっとも自覚的な反天皇制論者だっただけに、
筆者の姿勢は残念である。
もう、わが国のフェミニストには絶望しか感じない。

 近代があるべき人間像を求めて、それまでの身分制社会を革命によって打破した。
それは神殺しだったし、父殺しだった。
近代の入り口で、女性は神殺しに参加できなかった。
それが今、西洋の女性たちはフェミニズムという形で、母を殺して神の死にとどめを刺している。
わが国の女性フェミニストたちには、西洋の女性たちが身を切られる思いで、
子供への愛情を対象化したことの意味は、永遠に判らない。

 わが国のフェミニズムは、西洋諸国のそれとは、まったく別物だと言うべきだ。
西洋流のフェミニストはいないと見なすべきだ。
わが国のフェミニズムとは、母を大切にするがゆえに、封建的な身分社会を懐古している。
結果として、わが国のフェミニズムは、母なる天皇制と同衾する差別を肯定する運動である。
わが国のフェミニズムの主な担い手である大学フェミニズムは、
差別を拡大していると言っても過言ではない。

 平塚雷鳥や高群逸枝氏が足をすくわれた戦前の翼賛運動と、
わが国のフェミニズムは何の変わりもない。
ほんとうに残念ながら、前近代を懐古する反動的な運動が、わが国のフェミニズムである。
わが国のフェミニズムは、自立の思想的拠点を与えることはなく、
女性に居直りと怠惰への安住を教えただけである。
本書を読んで、どうやらわが国のフェミニズムを、思考の対象から切り捨てる覚悟ができた。
(2002.12.13)
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参考:
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001年
ジェリー・オーツカ「天皇が神だったころ」アーティストハウス、2002
原武史「大正天皇」朝日新聞社、2000
大竹秀一「天皇の学校」ちくま文庫、2009
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社学術文庫、2005
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
浅見雅男「皇族誕生」角川書店、2008
河原敏明「昭和の皇室をゆるがせた女性たち」講談社、2004
加納実紀代「天皇制とジェンダー」インパクト出版、2002
繁田信一「殴り合う貴族たち」角川文庫、2005
ベン・ヒルズ「プリンセス マサコ」第三書館、2007
小田部雄次「ミカドと女官」恒文社、2001
ケネス・ルオフ「国民の天皇」岩波現代文庫、2009
H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988)
A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985)
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980
イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000
リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993
ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003
渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
横山源之助「下層社会探訪集」現代教養文庫、1990

三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006


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