著者の略歴−1940年ソウルに生まれる。1976年より「女たちの現在を問う会」会員として、96年までに「銃後史ノート」10巻(JCA出版)、「銃後史ノート戦後篇」8巻(インパクト出版会)を刊行。現在、敬和学園大学教員(特任)。著書 「女たちの〈銃後〉」筑摩書房、1987年(増補新版、1995年インパクト出版会) 「越えられなかった海峡−女性飛行士・朴敬元の生涯」時事通信社、1994年 「まだ『フェミニズム』がなかったころ」インパクト出版会、1994年 天皇制に言及するフェミニストが少ないなかで、 すでに60歳を過ぎて老境にさしかかっている筆者が、かねてからの反天皇についての著作である。 前半は天皇制の事実認識といったもので、ほとんど常識に属する話がつづく。 天皇制に関しては、読むべきものは何もない。 本書の決定的な欠陥は、天皇制を自分の外なるものとして批判している点である。 戦前のような教育制度のもとでは、まじめな者ほど天皇主義者になったはずである。
吉本隆明氏を持ちだすまでもなく、天皇制は国民の一人一人が賛同し、心の底から支えてきた。 ほぼ全員が、天皇に敬愛の情をもっていた。 天皇は各自の心の内に住んでいた。 内なる天皇制を問題にせずには、天皇制解体のために何の力にもなり得ない。 しかし、天皇制批判のために本書を購入したのではないから、 筆者の天皇制批判について云々するのは止めよう。 フェミニズムが天皇制をどう扱うかだけに絞って、評論していく。 私はこのサイトで、先進諸外国のフェミニズムとわが国のフェミニズムを、別物のように論じているが、 本書を読むとその背景がはっきりしてくる。 あとがきに、筆者が1979年に書いた次の文章を引用している。 それ(=女の論理)がどこかで「天皇制」とつながるのではないかという危惧も拭えなかったのである。民衆の素朴な自然信仰をかすめとって成立したらしい「天皇制」は、タテマエでみるかぎり、その<個>よりは<共同性>の尊重において、人間関係の家族的あり方の肯定において、どこやらに<女の論理>に通ずるところがある−。<自我>ではなく<母性我>を提唱した高群逸枝の戦時中の言動等を見開きするにつれ、私の危惧は強まったのであった。この私の危惧は杷憂にすぎないかどうか、<女の論理>を真に人間解放の武器とするにはどうすればいいのか− わが国の女性運動は、生む性としての女性といった側面を強調してきた。 女性の身体性にこだわり、いわば母性を大切にしてきた。 この姿勢は、思考よりも存在に基礎をおく発想である。 ある者としての人間存在を、丸ごと取り込むには便利だが、前近代の身分や立場でものを考えるものだ。 ○○であることを大切にするのは、 人間の意志や思想性といった、可変的な部分で人間を評価するのではない。 女性であるといった、人間の力では変えることができない事実に、評価の機軸をおいた発想である。 女性だから差別されたことに抗議の声を上げたとすれば、 女性であることに自己の思考基盤を置くことは、単なる裏返しでしかなく、自分の頭で考える姿勢はない。 女性としての存在に徹底して拘るというのは、一見するとかっこいいようだが、 この論理では女性が女性でありさえすればよく、思想的な努力はまったく必要がない。 しかも女性以外からの批判は、女性ではないという理由で拒否できる。 つまり何の批判も、受けつけない立場である。 先進国のフェミニズムは、女性であることを克服して、人間として社会的な平等を指向しているが、 わが国のフェミニズムは女性であることに安住している。
職業が女性の自立を支えるから、職業を求めて先進国の女性たちは立ち上がり、 そのためには産む性であることを手放したのである。 しかも手放したことが結果として、男性の育児参加を呼び込み、 少子化時代の子供の再評価へとつながった。 しかし、わが国のフェミニズムは、母性に安住して自立しなかった。 女=母であることに拘り続けるから、専業主婦を擁護せざるをえなくなり、働く女性たちから見捨てられた。 わが国のフェミニストたちは、天皇制という差別の象徴に対して、何の反対もしない。 小和田雅子氏が皇太子の妻となって、皇室に取り込まれたときに、 多くのフェミニストたちは賛同の拍手を送った。 それも上記の話を考えれば、当然のことだと納得がいく。 本書でも、田嶋陽子・福島瑞穂・山下悦子氏らの、結婚祝福宣言を憤りとともに引用しているが、 わが国のフェミニズムは差別の象徴である天皇制にたいして、まったく無力である。 というより、わが国の女性フェミニストたちは、天皇制を賛美している。 ハイジ・ハートマンの「マルクス主義とフェミニズムの不幸な結婚」にひっかけて、 「天皇制とフェミニズムの不幸な結婚」と、わが国のフェミニズムを筆者は嘆いてみせる。 問題の所在がどこにあるかを、筆者は薄々わかっているようだが、 最後のところでわが国のフェミニズム擁護=天皇制擁護へと転落していく。 フェミニストを自称する女性のなかでは、もっとも自覚的な反天皇制論者だっただけに、 筆者の姿勢は残念である。 もう、わが国のフェミニストには絶望しか感じない。 近代があるべき人間像を求めて、それまでの身分制社会を革命によって打破した。 それは神殺しだったし、父殺しだった。 近代の入り口で、女性は神殺しに参加できなかった。 それが今、西洋の女性たちはフェミニズムという形で、母を殺して神の死にとどめを刺している。 わが国の女性フェミニストたちには、西洋の女性たちが身を切られる思いで、 子供への愛情を対象化したことの意味は、永遠に判らない。 わが国のフェミニズムは、西洋諸国のそれとは、まったく別物だと言うべきだ。 西洋流のフェミニストはいないと見なすべきだ。 わが国のフェミニズムとは、母を大切にするがゆえに、封建的な身分社会を懐古している。 結果として、わが国のフェミニズムは、母なる天皇制と同衾する差別を肯定する運動である。 わが国のフェミニズムの主な担い手である大学フェミニズムは、 差別を拡大していると言っても過言ではない。 平塚雷鳥や高群逸枝氏が足をすくわれた戦前の翼賛運動と、 わが国のフェミニズムは何の変わりもない。 ほんとうに残念ながら、前近代を懐古する反動的な運動が、わが国のフェミニズムである。 わが国のフェミニズムは、自立の思想的拠点を与えることはなく、 女性に居直りと怠惰への安住を教えただけである。 本書を読んで、どうやらわが国のフェミニズムを、思考の対象から切り捨てる覚悟ができた。 (2002.12.13)
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