匠雅音の家族についてのブックレビュー    殴り合う貴族たち−平安朝 裏 源氏物語|繁田信一

殴り合う貴族たち
平安朝 裏 源氏物語
お奨度:

著者:繁田信一(しげた しんいち)  角川文庫、2005年  ¥820−

 著者の略歴−1997年東北大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。2003年神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科博士後期課程修了、博士(歴史民俗資料学)。神奈川大学日本常民文化研究所特別研究員、神奈川大学外国語学部非常勤講師。著書に「陰陽師と貴族社会」「平安貴族と陰陽師」(ともに吉川弘文館)などがある。

 紫式部の描いた平安時代の貴族といえば、
争いごとを好まず、和歌などを詠んで蹴鞠に興じていただけ、と思いがちである。
しかし、貴族が平和主義者だった証拠はない。
むしろ、農業が主な産業だった平安時代、貴族といえども暴力的だったはずである。
それを証明してくれるような本が出版された。
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 光源氏に象徴される平安貴族は、あくまできれいな部分だけを描いたのもで、
真実の貴族たちは切れやすく、しばしば暴力をふるったと本書はいう。
それは当然である。
農業が主な産業である社会では、肉体労働が社会を支えており、支配は肉体を通じて行われた。
だから、問題が生じたときは、肉体的な力によって解決されたはずである。

 肉体優位の社会では、武力が剥き出しで行使されることによって、
柔らかくいうと武力を背景にして年貢が収税されたのであり、
今日のように源泉徴収されていたわけではない。
そのため反対も成り立った。
農業が主な産業の社会では、武力がありさえすれば、中央の支配者の意志に反して、独立王国を築くことが可能であった。
群雄割拠といわれる時代がそれで、武器軍備を各自が所持して中央政府に反抗できた。

 農業という産業が、土地という生産手段を個人に所持させていたので、
土地を耕せさえすれば、周囲から孤立しても生活が可能だった。
そのため、各自は自分の領土に立て籠もることが可能だった。
つまり、他の土地に自己の生活が依存していなかったので、各自の自立を可能にしていたのである。
中央政府の力が強ければ、弱小独立国は成立し得ないが、原理的には自立が可能だった。

 工業社会になると、流通から始まってエネルギーなど、すべてを中央政府が掌握するようになり、
武力を持っても独立王国が成立できなくなる。
と同時に、庶民はサラリーマンとなって、土地という生産手段を持たないので、自立的な生活が不可能になる。
そこで、暴力的な支配が不要になり、きわめて平和的な社会となった。
それにたいして、農業しかなかった平安時代は、暴力的以外に支配は成立しない。
とすれば、そこに住む人々が暴力的であることは当然であろう。

 暴力を不適切に行使する不品行な貴公子は、何も藤原道長だけではなかった。光源氏のモデルと思しき道長以外の王朝貴族も、しばしばとんでもない暴力事件を引き起こしていたのである。現実世界の光源氏たち−光源氏のモデルとなった現実の王朝貴族たち−は、素行の悪い貴公子ばかりであった。P12

 農業を主な産業としている社会では、武士だけが好戦的で、貴族は平和的だということはない。
一つの社会には、機軸となる価値観は一つである。
むしろ貴族こそ武力的だったはずである。
今日、電車内などで暴力事件が起きて、人々は物騒な感じをもつが、そんなことはない。
武力の所持が禁止され、法の支配が貫徹しており、現代社会は非常に平和な社会である。

 しかし、農耕社会では、土地と生産手段が私有されており、
個人は権力者から自立的に生活ができた。
そのため、支配は直接的な武力によらざるを得なかった。
そして、武士には武力の所持が許されていたので、問題の解決は実力行使になりやすかった。
農業が主な産業である前近代では、腕力=武力が社会の平和を維持していた、といっていい。
平安時代とて例外ではない。

 本書は、貴族たちの暴力事件を、つぎつぎと書き記していく。
 
 1.中関白藤原道隆の孫、宮中で蔵人と取っ組み合う 
 2.栗田関白藤原道兼の子息、従者を殴り殺す
 3.御堂関白藤原道長の子息、しばしば強姦に手を貸す
 4.右大将藤原道綱、賀茂祭の見物に出て石を投げられる 
 5.内大臣藤原伊周、花山法皇の従者を殺して生首を持去る
 6.法興院摂政藤原兼家の嫡流、平安京を破壊する
 7.花山法皇、門前の通過を許さず
 8.花山法皇の皇女、路上に屍骸を晒す
 9.小一条院敦明親王、受領たちを袋叩きにする 
10.式部卿宮敦明親王、拉致した受領に暴行を加える
11.三条天皇、宮中にて女房に殴られる
12.内裏女房、上東門院藤原彰子の従者と殴り合う
13.後冷泉天皇の乳母、前夫の後妻の家宅を襲撃する 


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 現代社会においては、国会での乱闘事件はあるが、本書に登場するような刃物沙汰の事件は、まず想像つかない。
また、現代の皇族たちが、殺人を犯すとも考えることはできない。
国会議員や皇族だけではなく、庶民にあっても上記のような事件を起こすとは思えない。
それは法という観念によって、暴力が否定されている社会だからである。

 平安時代は、身分制が貫徹していたので、罪を犯した庶民は歩かされたが、
罪を犯した貴族は牛車に乗ることが許されていた。
同じ罪人であっても、身分によって処遇がまったく違っていた。
暴力事件を起こした人物も、その地位や生まれによって、責任を問われなかったりしている。

 今日では、貸した金を返さないときは、道義的に責められるだろうが、
暴力をもって処されることはない。
近世ヨーロッパでは、ジョン・ハワードが「18世紀ヨーロッパ監獄事情」で描くように、
金を返さないと監獄に収監された。
しかし、平安時代はもっと過激だった。

 王朝時代の貴族社会においては、債権の回収に暴力が用いられるというのは、それほど珍しいことではなかった。むしろ、相手が右の伴正遠のような悪質な債務者である場合には、王朝貴族たちは躊躇することなく暴力に訴えたようである。P169

 私的な人間関係にも、しばしば暴力が登場した。
婚姻届など存在しなかった当時、庶民はもちろん貴族ですら、当人たちが婚姻関係にあるか否かは、簡単には判らなかった。
本人たちが夫婦だと思っていれば夫婦だったから、周囲の人たちが夫婦だと知らないことも多かった。

 通い婚だったので、心変わりしたら、もはや夫婦ではない。
心変わりは人の常ながら、相方が同時に心変わりするとは限らない。
嫉妬がからむのも、いつの時代でも見ることができる。
そこで当時は、問題の解決に暴力が登場した。
 
 王朝時代の貴族社会においては、前妻が後妻に暴力的に迫害を加えるというのも、そうそう珍しいことではなかったのかもしれない。だからこそ、わざわざ「後妻打」などという言葉が存在していたのではないだろうか。P210

 ところで、女性たちがしばしば後妻打の暴力をふるった王朝貴族社会では、男性たちも「後夫打」とでも呼ぶべき暴力をふるうことがあったようだ。P214
             
 本書が書き記すのは、暴力のほんの一部だろう。
戦争のような大規模な暴力を別にすれば、時代が下るに従って、人間は暴力から遠ざかりつつある。
そのうえ、情報社会に入れば、腕力の価値が無化されるので、人はますます非暴力的になっていく。
しかし、いつでも支配者は、管理化を強化するために、より強力な武力をもつものである。

 貴族が非好戦的だというのは、ひょっとすると天皇制維持のための、支配のイデオロギーかも知れない。
しかし、昭和天皇は戦争を好んだのだから、けっして貴族が平和的だとは言えないはずである。
ちょっと気になったのは、こんな本を書いてしまった筆者は、学者の世界では出世は望めないだろう、ということだ。
通説に弓を引くことは、どんな社会でも爪弾きにされる。
しかし、頭の固い人たちと、立派に戦って欲しい。
切なる願いである。  (2006.4.18)
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参考:
イザベラ・バード「日本奥地紀行」平凡社、2000
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
繁田信一「殴り合う貴族たち」柏書房、2005年 
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001年
ジェリー・オーツカ「天皇が神だったころ」アーティストハウス、2002
原武史「大正天皇」朝日新聞社、2000
大竹秀一「天皇の学校」ちくま文庫、2009
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社学術文庫、2005
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
浅見雅男「皇族誕生」角川書店、2008
河原敏明「昭和の皇室をゆるがせた女性たち」講談社、2004
加納実紀代「天皇制とジェンダー」インパクト出版、2002
繁田信一「殴り合う貴族たち」角川文庫、2005
ベン・ヒルズ「プリンセス マサコ」第三書館、2007
小田部雄次「ミカドと女官」恒文社、2001
ケネス・ルオフ「国民の天皇」岩波現代文庫、2009
H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988)
A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985)
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980
イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000
リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993
ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003
渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
横山源之助「下層社会探訪集」現代教養文庫、1990

佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995

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