著者の略歴−1966年米国ニューヨーク州イサカ市生まれ。ハーバード大学卒業後、コロンビア大学で博士号を取得。94〜96年、北海道大学法学部助手・講師を務める。英語圏における現代天皇制研究の第一人者として知られ、紀元二千六百年についての新著が近く刊行される。現在、米国ポートランド州立大学助教授、日本研究センター所長。 ハーバート・ビックスが「昭和天皇」を書いて、我が国の天皇を冷静に分析していた。 本書は、昭和天皇に限らず、戦後の天皇について書いたものである。 なぜ、外国人の書いたもののほうが、説得的なのだろうか。 おそらくイデオロギー的な色眼鏡から自由なせいだろう。 それと、読者のほうが西洋流の近代史観に、慣れているからだろう。
本書は、天皇制の歴史から書きはじめるが、それは戦後の天皇制分析に必要な限りでである。 そして、明治以前の天皇制と戦前の天皇制、それに戦前の天皇制と戦後の天皇制を比較すると、後者のほうがはるかに連続性があるという。 戦後の天皇制は戦前の天皇制の改良版に過ぎないと言う。 当然だろう、少しものを考える人間には、それは常識である。 天皇制は明治に作られたと言っても過言ではなく、支配の正当性のために、歴史をさかのぼったに過ぎない。 戦争への過程で、天皇がどのように関わったかは、本書はほとんどふれていない。 敗戦により天皇の位置づけが変わって、戦後の天皇への位置づけに変質していく。 そして、天皇を取り巻く人たちが、どう関わったかを丁寧に論じている。 しかも、戦前の天皇制に戻そうとする動きは、憲法改正という動きとなって、ずいぶんと長くつづいた。 戦前の天皇は国体そのものであり、敗戦にあたり国体の護持が最大の課題だった。 それは天皇の意志如何に関わらず、当然の前提だった。 最初の降伏通告に対して、国体の維持を条件にして、連合国から拒否されている。 昭和天皇に全部戦争責任を押しつけるのは間違っているし、歴史的にも正確ではない。天皇はヒトラーのような強力な指導者というわけではないからである。にもかかわらず、昭和天皇の戦争責任は一般の日本人よりずっと重い。天皇が戦争の行方にずっと深い関心を抱いていたことを知ると、藤樫が根っからの平和主義者として昭和天皇を描いているのは辻褄が合わない。さまざまな機会に昭和天皇が外国との開戦に留保を表明しているとき、最大の関心は日本が勝てるかどうかに向けられている。その上、日本を降伏に導く過程で昭和天皇がいちばん関心を持っていたのは、国体ないし万世一系の皇統の維持であって、これ以上犠牲を多くしないようできるだけ早く戦争を終わらせることではなかったのである。P206 しかし、不思議なことに、天皇は平和主義者であり、国民の平和を願って、降伏を受け入れたという神話ができあがっていく。 本書は、そのあたりの事情を克明に分析している。
日本人も書き及ぶことがあるが、天皇が内奏を要求し続けたことは自明だし、共産党対策などを発言している。 平成になっても、内奏は続けられている。 本書がいうのは、戦後は右派が象徴天皇制に反対し、なんとか戦前の天皇親政に戻そうとした。 それにたいして、左派は天皇制を否定した。 それがいつからか、右派が象徴天皇制を支持するようになっていく。 左派は天皇が戦争責任を認めることは、天皇の統治行為を認めることになるから反対だが、右派も天皇は象徴だから、外国に向けて謝罪できないという。 戦後は天皇親政の復活を目指した右派だが、時間がたつにつれて主張が変わっていく。 天皇は歴史的に、権威者であり、統治者ではなかった、というのが右派の主張になっていく。 そして、津田左右吉や美濃部達吉・石井良介などの戦前の自由主義者たちが、天皇をみとめ、天皇制の支持者になっていく。 右派の変節していく過程が、じつに克明に記されている。 平成天皇である明仁についても、よく調べてある。 皇太子時代に海外旅行をしたので、出席日数が不足し、卒業できなかったという。 出席日数不足を言いだしたのは、清水幾太郎だったというから、その後の彼の発言を考えると驚きである。 実際に、明仁は卒業したことになっていないらしい。 象徴天皇制というのは、ヌエ的なものだ。 そのなかで、明仁夫妻は障害者への援助など、良くやっているというのが本書の言うところである。 そして、彼らが核家族化の普及に果たした役割を、きちんと評価してもいる。 マスコミは若い皇室カップルを理想的な核家族として描くようになるが、皇太子夫妻の「核家族化」の道筋は、はかの家族とは異なったものとなった。それはどちらかというと、夫妻が自ら子供を育てたいという主張から生じたもので、天皇夫妻と別々に暮らしたいという決意から生じたものではなかった。実のところ、昭和天皇夫妻と生活空間をともにすることも、まずありえなかっただろう。日本の多くの夫婦が置かれた状況とは対照的に、皇太子夫妻が自宅に年老いた両親の世話をする部屋をつくるといったことは、想像だにできなかったのである。P342 性別役割分業の核家族化を、皇太子明仁と専業主婦の美智子たちは象徴していた。 天皇に関して英語で書かれた文献が増え、その内容が鋭いものであるのは、もはや自明であろう。 (2009.7.12)
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