匠雅音の家族についてのブックレビュー    国民の天皇−戦後日本の民主主義と天皇制|ケネス・ルオフ

国民の天皇
戦後日本の民主主義と天皇制
お奨度:

著者:ケネス・ルオフ  岩波現代文庫 2009年  ¥1400−

著者の略歴−1966年米国ニューヨーク州イサカ市生まれ。ハーバード大学卒業後、コロンビア大学で博士号を取得。94〜96年、北海道大学法学部助手・講師を務める。英語圏における現代天皇制研究の第一人者として知られ、紀元二千六百年についての新著が近く刊行される。現在、米国ポートランド州立大学助教授、日本研究センター所長。
 ハーバート・ビックスが「昭和天皇」を書いて、我が国の天皇を冷静に分析していた。
本書は、昭和天皇に限らず、戦後の天皇について書いたものである。
なぜ、外国人の書いたもののほうが、説得的なのだろうか。
おそらくイデオロギー的な色眼鏡から自由なせいだろう。
それと、読者のほうが西洋流の近代史観に、慣れているからだろう。
TAKUMI アマゾンで購入
国民の天皇

 本書は、天皇制の歴史から書きはじめるが、それは戦後の天皇制分析に必要な限りでである。
そして、明治以前の天皇制と戦前の天皇制、それに戦前の天皇制と戦後の天皇制を比較すると、後者のほうがはるかに連続性があるという。
戦後の天皇制は戦前の天皇制の改良版に過ぎないと言う。
当然だろう、少しものを考える人間には、それは常識である。
天皇制は明治に作られたと言っても過言ではなく、支配の正当性のために、歴史をさかのぼったに過ぎない。

 戦争への過程で、天皇がどのように関わったかは、本書はほとんどふれていない。
敗戦により天皇の位置づけが変わって、戦後の天皇への位置づけに変質していく。
そして、天皇を取り巻く人たちが、どう関わったかを丁寧に論じている。
しかも、戦前の天皇制に戻そうとする動きは、憲法改正という動きとなって、ずいぶんと長くつづいた。

 戦前の天皇は国体そのものであり、敗戦にあたり国体の護持が最大の課題だった。
それは天皇の意志如何に関わらず、当然の前提だった。
最初の降伏通告に対して、国体の維持を条件にして、連合国から拒否されている。

 昭和天皇に全部戦争責任を押しつけるのは間違っているし、歴史的にも正確ではない。天皇はヒトラーのような強力な指導者というわけではないからである。にもかかわらず、昭和天皇の戦争責任は一般の日本人よりずっと重い。天皇が戦争の行方にずっと深い関心を抱いていたことを知ると、藤樫が根っからの平和主義者として昭和天皇を描いているのは辻褄が合わない。さまざまな機会に昭和天皇が外国との開戦に留保を表明しているとき、最大の関心は日本が勝てるかどうかに向けられている。その上、日本を降伏に導く過程で昭和天皇がいちばん関心を持っていたのは、国体ないし万世一系の皇統の維持であって、これ以上犠牲を多くしないようできるだけ早く戦争を終わらせることではなかったのである。P206

 しかし、不思議なことに、天皇は平和主義者であり、国民の平和を願って、降伏を受け入れたという神話ができあがっていく。
本書は、そのあたりの事情を克明に分析している。

広告
 戦後になっても、天皇は政治に関心を持ち続けた。
日本人も書き及ぶことがあるが、天皇が内奏を要求し続けたことは自明だし、共産党対策などを発言している。
平成になっても、内奏は続けられている。

 本書がいうのは、戦後は右派が象徴天皇制に反対し、なんとか戦前の天皇親政に戻そうとした。
それにたいして、左派は天皇制を否定した。
それがいつからか、右派が象徴天皇制を支持するようになっていく。
左派は天皇が戦争責任を認めることは、天皇の統治行為を認めることになるから反対だが、右派も天皇は象徴だから、外国に向けて謝罪できないという。

 戦後は天皇親政の復活を目指した右派だが、時間がたつにつれて主張が変わっていく。
天皇は歴史的に、権威者であり、統治者ではなかった、というのが右派の主張になっていく。
そして、津田左右吉や美濃部達吉・石井良介などの戦前の自由主義者たちが、天皇をみとめ、天皇制の支持者になっていく。
右派の変節していく過程が、じつに克明に記されている。

 平成天皇である明仁についても、よく調べてある。
皇太子時代に海外旅行をしたので、出席日数が不足し、卒業できなかったという。
出席日数不足を言いだしたのは、清水幾太郎だったというから、その後の彼の発言を考えると驚きである。
実際に、明仁は卒業したことになっていないらしい。

 象徴天皇制というのは、ヌエ的なものだ。
そのなかで、明仁夫妻は障害者への援助など、良くやっているというのが本書の言うところである。
そして、彼らが核家族化の普及に果たした役割を、きちんと評価してもいる。

 マスコミは若い皇室カップルを理想的な核家族として描くようになるが、皇太子夫妻の「核家族化」の道筋は、はかの家族とは異なったものとなった。それはどちらかというと、夫妻が自ら子供を育てたいという主張から生じたもので、天皇夫妻と別々に暮らしたいという決意から生じたものではなかった。実のところ、昭和天皇夫妻と生活空間をともにすることも、まずありえなかっただろう。日本の多くの夫婦が置かれた状況とは対照的に、皇太子夫妻が自宅に年老いた両親の世話をする部屋をつくるといったことは、想像だにできなかったのである。P342

 性別役割分業の核家族化を、皇太子明仁と専業主婦の美智子たちは象徴していた。
天皇に関して英語で書かれた文献が増え、その内容が鋭いものであるのは、もはや自明であろう。    (2009.7.12)
広告
 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001年
ジェリー・オーツカ「天皇が神だったころ」アーティストハウス、2002
原武史「大正天皇」朝日新聞社、2000
大竹秀一「天皇の学校」ちくま文庫、2009
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社学術文庫、2005
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
浅見雅男「皇族誕生」角川書店、2008
河原敏明「昭和の皇室をゆるがせた女性たち」講談社、2004
加納実紀代「天皇制とジェンダー」インパクト出版、2002
繁田信一「殴り合う貴族たち」角川文庫、2005
ベン・ヒルズ「プリンセス マサコ」第三書館、2007
小田部雄次「ミカドと女官」恒文社、2001
ケネス・ルオフ「国民の天皇」岩波現代文庫、2009
H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988)
A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985)
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980
イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000
リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993
ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003
渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
横山源之助「下層社会探訪集」現代教養文庫、1990

北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる