著者の略歴− 1934年東京に生まれる。1958年東京大学教育学部卒業。1965年東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。同年7月国立教育研究所研究員となり、第一研究部教育史料調査室長を経て、現在同研究所第一研究部長。主要著書「井上毅の教育政策」共著、東京大学出版会、「日本近代教育百年史」全10巻、共編著、国立教育研究所、「明治前期文部省刊行誌集成」全11巻、一光社、「資料臨時教育会議」全五集、編集、文部省、「文部省掛図総覧」全10巻、共縞、東京書籍株式会社、「学校ことはじめ事典」小学館、「史料開智学校」 全21巻、監修、刊行中、松本市、「現代日本教育制度史料」既刊30巻、続刊中、共縞、東京法令出版株式会社ほか。 学校の生い立ちを考えるときには、その機構また歴史や社会的な背景を探る、といった記述になりやすい。 それももちろん意味のあることだが、学校で使われる道具も、文化の継承に大きな役割を果たす。 とかく見過ごされがちな紙と鉛筆の役割から、本書は学校を考えている。
筆記用具によって教育の方法が違ってしまうから、人を集めてなにか教える場を、同じ学校という言葉で呼ぶのは難しい。 学校の歴史をギリシャのスコーレや、江戸時代の藩校に求めたがる人が多いが、本書を読んでいると、それらと今日の学校は違うものだとよくわかる。 紙が登場する以前は、パピルスなどに文字を記したわけだが、パピルスは大変に高価だった。 だから、書物は王侯貴族の所有物でしかなかった。 なにせ200ページくらいの本をつくるのに、子羊25頭が必要だったのだから、文字は庶民には縁遠いものだった。 我が国では、江戸の中期から紙が大量に普及しはじめ、藩校では漢籍などが寺子屋などでは往来物が使われ始めた。 しかし、この時代の教育は、読ませるものだった。 なぜなら、筆記用具は筆しかなく、低学年の子供には筆が扱えなかったので、教授法は読む・暗記するといった形になった。 明治維新後に「教科書」が成立する以前、近世社会において上述のようにおびただしい種類の「読ませる」「読む」教材書籍がすでに作り出されていた。明治当初の「教科書」は、単にその記述内容を転換させたのであって、用紙・造本などの形式面に関する限りは、基本的に近世後半のそれを継承したものに過ぎなかったのである。P41 紙や鉛筆をもたなかった明治の学校教育が、江戸時代の教授法を引き継いだのは、当然だったと納得できる。 それも明治の末には、国産の洋紙が和紙の生産を追い抜いた。 この意味するところは、もはや自明であろう。 安価な洋紙と鉛筆の組み合わせこそ、書くことこを主体にした教育へと、転じるきっかけだった。
紙や鉛筆がいかに最近のものだかよくわかる。 洋紙と同様に、鉛筆もわが国の近代工業が、普及させたものだ。 1920年代(明治10)前後から、安価な国産鉛筆がこの国の子どもたちの学習に欠かせない筆記具として定着するようになった。それは、企業の存亡を託されたセールスマンたちの活動に負うところもあったが、比較的短い期間に広範に普及しえたについては、対象そのもののもつ機能がまさに子どもの学習用具として適していたからに他ならない。鉛筆のもつ学習用具としての通性とは何であったのか。学習史における鉛筆のキーポイントをなす、この点を検討してみよう。 第一は、従来の毛筆に比しての扱いやすさである。木軸とともに芯を削り出しさえすれば、ほぼ一定の細さ・太さの字や図を紙に書きつけることができる。一定の細さの字を書くという点では、ペン、とくに19世紀に入って鷲鳥ペンに替わって使用された金属ペンもほぼ同様なのだが、ペンが別にインクを必要とするのに比して、鉛筆はそのもの自体が字や図を印していくという点で、はるかに取り扱いやすかった。P258 ソフトはハードを超えられないというが、 ハードとしての道具が思考に及ぼす影響は、計り知れないものがある。 印刷術の発明が、近代を切りひらいたといわれる。 と同時に、近代こそ学校が誕生した時代であり、学校ができたから子供なる概念ができた。 子供なる概念は、前近代にはなかったとは、アリエスの「子供の誕生」に詳しい。 近代を本当に近代として普及させたのは、わが国では明治になってからであり、 それには学校と軍隊が両輪の役割を果たした。 紙と鉛筆、それに謄写版印刷の普及が、わが国の近代を決めたと言っても過言ではない。 書くことが紙と鉛筆によって行われ、文字が庶民のものになった。 文字とは思考の手助けをするものである。 現在、コンピューターが普及しているが、コンピューターはやはり思考を助ける道具である。 とすれば、コンピューターというハードの普及は、ふたたび新たな思考をきりひらくだろう。 文字を書くことによって、思考の深化をはかったとすれば、コンピューターはどんな思考を、人間に与えてくれるのだろうか。 紙と鉛筆のない時代の教育が劣っているとか、近代の教育が進んでいる、というのではない。 両者にはそれぞれ長所もあれば短所もある。 地味ではあるが、ハードとしての教育も、また考察すべき対象である。 コンピューターとの関係でも、本書は目を開かせてくれた。 (2002.7.19)
参考: 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993 奥地圭子「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998 広岡知彦「静かなたたかい:広岡知彦と憩いの家の30年」朝日新聞社、1997 クレイグ・B・スタンフォード「狩りをするサル」青土社、2001 天野郁夫「学歴の社会史」平凡社、2005 浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005 佐藤秀夫「ノートや鉛筆が学校を変えた」平凡社、1988 ボール・ウイリス「ハマータウンの野郎ども」ちくま学芸文庫、1996 寺脇研「21世紀の学校はこうなる」新潮文庫、2001 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 ユルク・イエッゲ「学校は工場ではない」みすず書房、1991 M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989 アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999 江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998 オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975 E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951 アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988 イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001 ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997 橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984 石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007 梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000 小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001 前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001 フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001 ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979 エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951 ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985 成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000 デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007 北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006 小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000 松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001 斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978 ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988 吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983 古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000 三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005 ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
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