匠雅音の家族についてのブックレビュー    ユートピアと性−オナイダ・コニュビティの複合婚実験|倉怐@平

ユートピアと性
オナイダ・コニュビティの複合婚実験
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著者: 倉怐@平(くらつか たいら)   中央公論社 1990年 ¥1850−

 著者の略歴−1928年広島に生まれる。1952年東京大学法学部政治学科卒業。現在、明治大学政治経済学部教授。専攻、政治思想史、宗教改革史。著書『異端と殉教』、編著『宗教改革と都市』、編訳書『宗教改革急進派』、訳書『カール・マルクス』などがある。

 人はユートピアを求めるものだ。
しかし、ユートピアはどこにもない。
社会主義ユートピアと宗教ユートピアがあったが、社会主義ユートピアはすべて消滅した。
ユートピアの実現を目指した運動は、どこでもことごとく破綻している。
北朝鮮は言うまでもなく、武者小路実篤の「新しき村」は現在でもあるが、存続がなかなか難しいのが現実である。


 アメリカはヨーロッパから自立を夢見て渡米した人が多いせいでか、とりわけユートピア実現の運動が多かった。
とりわけ悲劇的な結末に終わった「ガイアナ人民寺院」などを想像して、ユートピア運動には否定的な気持ちになりがちである。
本書はジョン・ノイズによって率いられたオナイダ・コミュニティの栄枯盛衰を描いたものである。

 通常の家族は一夫一婦制を守っており、配偶者とだけセックスを行う。
配偶者以外とのセックスは不倫とか姦通と呼ばれて、良くないことだとされている。
しかし、一夫一婦制は性を固定的な関係に閉じ込めて、人間の本能を抑圧するものだという批判が古くからあった。
だからというわけではないが、1811年生まれのジョン・ノイズに率いられたオナイダ・コミュニティは、一夫一婦制を否定し、複合結婚をしたことで有名である。

 彼らは2つの社会原理をもっていた。

第一は財産の共産主義つまり共有である。
第二の社会原理は情愛の共産主義だった。

第二の原理を地上に実現するには、次のように考えられた。

 彼(ジョン・ノイズ)にとって性交それ自体は自然な行為で飲食と同様恥ずべきものでほない。いやそれどころか、愛という崇高な目的に奉仕する。神はそのためにこそ男女の性器を作られたのだから、それを使用しなければならない。
 さらにノイズは1846年ごろになって、性交に按手と同じような神の生命の霊を媒介伝達する機能を認めた。按手礼とほ聖職者を叙任するとき、上位の聖職者が彼の肩に手を置いて、神から発し教会ヒエラルヒーを通じて流れてくる霊能を伝達する儀式であるが、性交は「按手よりもっと密接で完全な接触であり、効果はより大きい。かかる原理に基づいて性交は本質的に按手の最も完全な方法であり、適切な状況下では生命を肉体に、いやさらに神の霊を精神と心に伝える最も強力な外的手段である」。P59

 性交は神の霊の媒介手段だから、神に近い高位者によって性交を行うべきだというのだ。
セックスには生殖機能と愛の機能があり、愛の機能こそ賛美されるものだった。
当初、スワッピングが行われたが、やがて複合婚へとすすんでいく。

 財産の共産制をとるユートピアはたくさんあったが、性関係を固定しないユートピアは少ない。
そのうえ、複合婚は好色的な集団と見られやすい。
しかも、複数間でセックスを行うと、生まれてくる子供の親が特定できなくなる。
また、セックスには愛と快感がつきものだから、嫉妬心が混じってくることは防ぐのが難しかった。

 オナイダ・コミュニティでは乱交を行ったのではない。
メイル・コンティネンスという留保性交を考え出した。
留保性交とは女性にだけオルガスムを与え、男性が射精せずに自制するというものだ。
つまり訓練された男性が若い女性相手にセックスをするが、男性は挿入するだけで射精をしないという。
これを神の与える愛の儀式であり、霊的な交流を地上で実現するものだとしたのである。
メイル・コンティネンスによって望まぬ妊娠は避けることができた。

 メイル・コンティネンスによって女性は何度もオルガスムを得た。
しかし、それは男性器によって操作されているものであり、男女が共に楽しむものではない。
若者は射精をコントロールできず、留保性交ができるのは高齢者になった。
高齢男性が男性器の挿入具合を調節しながら、女性にオルガスムを与えることによって、セックスをつうじて女性を支配し始めたのである。

 当時の社会における男女関係は、男性支配も甚だしかった。
<すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストかしらは神である>というコリント人への手紙がそのまま実践されていた。
また、庶民たちは男女ともに厳しい肉体労働に従事し、ましてや女性には教育も与えられず、男性より劣位に置かれ続けたのである。
そのため、セックスをつうじての女性支配も必ずしも女性に忌避されたわけではない。
しかし、後年、教祖だったノイズからの呪縛が解けると、次のような声があっていた。

 メイル・コンティネンスを挺子とする複合婚は、人間のセックスの最重要機能を否定したいわば不完全なセックスであった。モリスがいうセックスの十の機能のうち、生殖セックスとつがい形成・維持のセックスは否定され、文明の高度化とともに極度にまで拡大されていったいわば人工的セックスの機能、すなわち探険的、純粋エロチシズム的、退屈療法的、支配従属的機能にだけ極限されたのである。
 宗教的ファナティシズムから脱しだした時、若い娘たちが真に欲したのは、ヴアラエティに富んだ多夫の御馳走ではなく、ジェシーの夫のマイロンのようなただ一人の誠実で有能で達しい男との燃えるようなセックスとそれに基づく三人の子の出産、そして死ぬまで変らぬ夫婦の濃やかな情愛であった。P177


 筆者はオナイダの女性は解放されたかという節を立てている。

 日々汗を流して厳しい労働にたずさわっていた農民や職人の妻たちからすれば、オナイダ・コミュニティは天国のように見えたかもしれない。およそ活字に接したことがない彼女たちが、新聞を読み、時事解説を聞き、世界への視野を開かれていった。ノールドホフのようなインテリからすれば、ここは知的刺激のない単調な生活の繰り返しに見えるが、彼女たちからすれば興味津々として倦きることのない世界に思えたかもしれないのである。
 次に、生活が安定していた。もう日々家計をやりくりする苦労をしないですむのだ。苦汗労働や煩瑣な家事育児労働もなくなった。次々と訪れる妊娠出産の恐怖からも解放された。性的快楽も十二分に与えられた。数えあげればきりがないほど、コミュニティが女性たちに与えたプラスの面は大きい。
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 だが他方、そのためには、愛する者と暮し、その子を育てるという女としての、また母としての喜びや楽しみを捨てなければならなかった。その代りにコミュニティという抽象物を愛するようにさせられた。具体的には申込んでくるどの男とも寝る義務であり、コミュニティの所有に帰する子を生むことである。P209


 宗教的なユートピアは教祖の力が衰えてくると、崩壊の運命に直面する。
オナイダもノイズが老年になってくると、彼の威光が衰えて崩壊に向かった。
オナイダは経済的な基盤を確立したので裕福になったが、こうした共産制にもとづくユートピアに暮らすことは、人間にとって幸福なのだろうか。

 貧しい時代にはユートピアの実現を夢見て、厳しい規律のもとで生活できるが、豊かになるとユートピアを実現する内的な必然性が失われてくる。
どうも、それが多くの現実のようである。  (2014.4.16)
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参考:
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倉恤ス「ユートピアと性」中央公論社、1990

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