編著者の略歴−1963年生まれ.筑波大学大学院博士課程退学.専攻は,ゲイ研究,社会学.現在,広島修道大学人文学部教授.共著に『ゲイ・スタディーズ』(青土社,1997年).論文に,「セクシュアリティの「応用問題」」(『現代思想』1999年1月号),「エイズ時代における「同性愛嫌悪」」(『解放社会学研究』13号,1999年),「不可視化する「同性愛嫌悪」−同性愛者(と思われる人)に対する暴力の問題をめぐって」(『身体のエシックス/ポリテイクス−倫理学とフェミニズムの交叉』ナカニシヤ出版,2002年),「「不自然な」同性愛」(『解放社会学研究』17号,2003年),「主体と欲望の「自由」」(『“ポスト”フェミニズム』作品社,2003年)など. 1980年代にアメリカで、エイズが猛威をふるった。 70年頃から台頭してきたゲイたちにとって、エイズは大きな試練となった。 エイズはゲイと結びつけられた。 男性同士でセックスを行うのは、神に逆らうことであり、エイズはゲイに対する天罰だという風評が広まった。 ゲイたちは孤立した。 そのときに、黙って耐えれば良かった。 しかし、ゲイたちは縮小した戦線を広げるために、ゲイ以外の人たちを巻き込もうとした。 ゲイ以外の人とは、性同一性障害の人だったり、レズビアンだったり、バイ・セックスの人たちだった。 こうした人たちを、性的少数者として括って、クイアと名付けたのだ。
ゲイと他の性的少数者たちは、まったく出自が違う。 にもかかわらず、一括りにして変態とか奇形といった意味の、クイアという言葉を宛てた。 性的少数者は少数者として、社会から抑圧されているという理由だった。 もちろん、ゲイと他の性的少数者たちが、違うことはゲイ自身も知っている。 そこで性的少数者たち間の、微妙な違いを問題にするという理屈をつけたのだ。 そして、それをクイア・スタディーと名付けた。これはアメリカの話である。 エイズの原因がわかり、ゲイとエイズは関係ないことが判った。 しかし、もはやゲイが性的少数者から逃れる道はなかった。 それまで、ゲイも同じ人間だと言っていたのが、ゲイは自分は変態だと言ってしまったのだ。 だから、普通の市民ではないことになる。 自分から変態だと言っておきながら、他の人から変態だというのは差別だ、というのは成り立たない。 遅ればせながら我が国のゲイが、アメリカ輸入のクイア理論に飛びついたのが、本書である。 フェミニズムがアメリカ輸入の理論で覚醒され、やがて日本的に換骨奪胎していったのとは反対に、ゲイは輸入理論に頼っている。 しかし、両者とも市井の人よりも、文字をあつかう人に利益を与えたのは共通している。 つまり、大学に職場をえたのだ。 本書の冒頭で、1969年のストーンウォールの反乱以前を書いている。 これは学者らしく、細かく拾っているので参考になる。 しかし、それ以降は、首をかしげる記述が多い。
判ったような判らないような解説である。 ジュディス・バトラーの「ジェンダー トラブル」あたりからの引用であろう。 おそらくアメリカのゲイたちが置かれた厳しい状況が、フランス現代思想もどきの不可解な理論を生みだしたに違いない。 こうした脱構築をやれば、ゲイの輪郭は広がるだろう。 しかし、ゲイ固有の特質が消えて、すべての違いが等価になってしまう。 たとえば、サド・マゾも女装趣味もスカトロジストも、窃視症なども、なんでもクイアになってしまう。 少しでも違いがあれば、あれもクイア、これもクイアというわけだ。 少数者たちの連帯と言ってしまえばそれまでだが、ゲイたちの根性が萎えたとしか言いようのない。 自らを変態=クイアだというのは、「常識を越えて」を書いた東郷健が、自らをオカマだと開き直るのと同じだろう。 両者は蔑視されることに開き直っている。 しかし、クイアのほうが、ゲイの存立基盤を薄めただけに、今後の展開に問題が多い。 ゲイがせっかく精神病ではなくなったのに、性同一性障害とおなじ病気になり、ゲイの正常さに区別が付かなくなってしまう。 クイア理論など持ちださなくても、いまでは一国の首相がゲイであるのだ。 そして、ゲイは市民権を得つつある。 にもかかわらず、ゲイは自ら運動を拡散させてしまった。 黒人の運動と違って、ゲイは差別の歴史が短かった。 ゲイだから殺されたのか、ホモだから殺されたのか。 なぜ、ゲイが差別されてきたのか、そして、なぜ1970年代になって、ゲイが表に出ることができたのか、それを考えなかったツケだろう。 ゲイとホモの区別をつけないできた結果である。 原始女性は太陽だったといって、女性が支配者だった時代を想定してしまった。 我が国のフェミニズムは女性が差別されてきた理由と、20世紀の後半になって女性が台頭した理由を考えなかった。 そのツケが、フェミニズムの崩壊となったように、ゲイも同じ道を辿るのではないか。 そう危惧されてならない。 本書はまじめな学者が、よく調べていますと言う印象で、フェミニズムで上野千鶴子が担ったと同じ役割を果たしているようだ。 筆者がまじめなことは認めるが、自分がゲイであることに執着して、自分の理論をつくって欲しい。 外国の理論の紹介では、思想はできない。 些細なことだが、ジョディ・フォスターの女性パートナーが人工授精で子供を生んだとある。 しかし、1998年と2001年に男児を出産したのは、ジョディ・フォスター本人だった。 同棲していたシドニー・バーナードとは別居して、いまでは一人で子育てをしているはずである。 (2010.11.18)
参考: 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006 礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987 プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002 東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991 風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010 匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997 井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994 編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009 ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986 アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993 河口和也「クイア・スタディーズ」岩波書店、2003
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