編著者の略歴− 1946年,パリに生まれる。リセ・アンリ四世校,エコール・ノルマルシュペリュール(高等師範学校)に学ぶ。1968年5月革命では学生運動の立役者の一人となる。1971年,ホモセクシュアル革命行動戦線(FHAR)の設立に参加。その後,『リベラシオン』紙,『ユーロプ!』紙等のジャーナリストとして活躍。パリ第八大学哲学部講師も兼任していた。また,小説家としても多くの作品を発表。1988年8月28日,AIDSにより死去。享年42歳。 主な作品には,理論的著作として,デビュー作の本書のほかに,『雑種の美しさ』,ルネ・シェレールとの共著『原子的魂−核時代の美学のために』など。小説では,『子羊の怒り』『イヴ』遺作となった『アンジュロ修道師のアヴァンチュールな大旅行』等が挙げられる。 本書は1972年という早い時代に、フランスで出版されている。 「ゲイ・アイデンティティ」の出版が1971年だから、ゲイの黎明期に出版されたと言っていい。 読んでいて痛ましくなる。 最近出されるゲイ関係の本は、いかにゲイが差別されているか、と訴えるものが多い。 ゲイである自分を問わずに、社会を指弾するといった傾向が強い。 風間孝と河口和也の「同性愛と異性愛」では、自分にゲイであることを問う姿勢は皆無である。 ゲイであることは自明で、自分たちが差別されている。 そして、差別は悪だから、差別を止めてくれという展開になる。
本書の筆者は社会的な差別を訴えるのではなく、ゲイの正当性を論じ、自分の存在証明をだそうと必死である。 ゲイであることが社会的な孤立を招き、自分自身のゲイであるを問わずには、自分自身が存在できない。 だから、必死になってゲイであることを究明しよう、そんな真剣さが痛いほど伝わってくる。 フランスでは、ベタン政権誕生までホモセクシュアリティに対する刑の宣告など存在しなかった。ホモセクシュアリティというこの言葉が姿を現わす最初の法は、1942年8月6日付のマレシャル条例である。「自分固有の情念を満足させるため、21歳以下の同性の未成年者とみだらな自然に反する行為を一回ないし何回か犯した者は誰であれ、……6ヵ月から3年の禁錮刑あるいは罰金刑に処す」。ドイツ占領下、ベタン首相のフランス国=ヴィシー政権(労働・家族・祖国)がこのような革新を行なうのを目にしても、驚く者は誰一人としていない。それまで、ヘテロセクシュアルであれ、ホモセクシュアルであれ、未成年者への誘惑に対しては同じ法が適用されていた。この法は、両親からの告訴があった場合、女性なら16歳以下、男性なら18歳以下の未成年者と性的行為を犯してしまった者を罰している。このようなベタンによる特殊化では、ホモセクシュアリティそのものが狙われている。しかし、もっと驚くことに、あのファシズムからの解放の後も、フランス刑法はベタン時代の条例の術語を正確に再び取り上げた条項を含んでいる。1945年2月8日の条例(第331条)によれば、「21歳に満たない同性の個人とのみだらで自然に反する行為を犯した者は誰であれ、……6カ月から3年の禁固刑あるいは罰金刑」に処せられる。P34 1960年以降も、この法律は生きていた。 1964年には31人、1966年には424人が自然に反する行為によって裁判で有罪判決を受けている。P33 隣国ベルギーでは、1965年にはホモセクシュアリティに対する特別法が可決されている。 こうした包囲網が、身のまわりに張りめぐらされてくると、否が応でもゲイの正当性を考えなければならなくなる。 ゲイ差別打破をいうのではない。 ゲイが法律で処罰の対象となっている以上、ゲイは正しいのだといわなければ、自分自身が存在できない。 フロイトなどがホモを精神分析の対象にしたことから、筆者は必死でゲイ精神の正当性を、精神分析をつかって模索する。 自己の存在証明を探る動きは、我が国のゲイには極めて弱い。 ゲイの存在証明を明らかにすることはなく、ただ差別されていると訴えるだけだ。
そして、60年代になって、なぜ女性が解放されはじめたのかも問わないのだ。 一時期の空気を支配して、流行で終わってしまう。 射精のない性行為が失敗として体験されるくらい、社会はファルス的だ。しばしば起こるケースだが、女性が感じないまま、何の享楽を得なかったとしても、結局それは男性に何の関係があるというのか。ファルス的享楽こそ、ヘテロセクシュアリティの存在理由なのだ。たとえどちらの性を考慮しようとも。P83 よく知られているように、ホモセクシュアルの愛撫は、明らかに固着した目標を持つへテロセクシュアルの愛撫より容易に身体全体の性感帯に拡散する傾向がある。ホモセクシュアルな行動における目標の相対的不正確さは、多くの形態(フェラチオから肛門性交まで)に余地を残す。そこで、諸選択に一つの意味を与え、それらに対象との関連で罪責感を与える努力をすることは、次にあげる等置にとってとくに重要だ。この三重の等置、即ち選択=排他的選択=人格性は、ホモセクシユアリティに関しなんらかの困難をきたすに違いない。しかしこの等置はそれでもやはり、見かけ上自然の確実性に基づいた行動様式としてホモセクシュアルな倒錯を構成するに至るだろう。P116 ゲイ(ホモかも知れないが)としての自分の存在、そして自分のセックスなど、自己の経験を必死で論理化している。 ここで導かれてくる論理は、個人的な体験を共有させるのに役立ち、体験が体験に終わらない構造を作っている。 現実と経験があるだけでは、認識されないのだ。 ジュディス・バトラーが「ジェンダー トラブル」で言うように、物としてのリンゴがあるのではなく、リンゴと名付けたから、リンゴと理解されるのである。 ゲイという生き物が存在するのではない。 ゲイと認識されてはじめて、生き物としてのゲイはゲイと認識されるのだ。 だから、海外のゲイたちは、必死でゲイであることに拘ってきたのだ。 本書で気がつかされたことに、核家族イデオロギーとゲイの二律背反性である。 近代的な核家族は、1対の男女による性別役割分担を原則にしている。 男性は社会に出て働き、女性は家庭で家事と子育てに専念するのが、近代的な核家族である。 ここでは1人の男性に1人の女性が配分される一夫一婦制が貫かれている。 男女はほぼ同数だから、同性を指向するゲイが存在することは、近代的な核家族にとって放置できないことなのだ。 だから工業化の進展により、国民皆結婚がすすむと、ゲイへの風当たりは強くならざるを得ない。 それは共産圏諸国が工業化をはじめると、同性愛を禁止しはじめたことでもわかる。 「1934年3月、男性問の性交を禁止し、処罰する法律が現われた……。この法によれば、男性問の性交は「社会的犯罪」とみなされ、比較的軽い場合でさえ、禁錮三年から五年の刑に処せられる……。こうしてホモセクシュアリティは再び、他の社会的犯罪即ちサボタージュ、スパイ行為などと同列に並べられることになった」P138 上記はライヒの「性の革命」からの引用で、スターリニズム批判の文脈で書かれたものだ。 しかし、スターリニズムであれ、工業化を目指したことは間違いなく、そこでは性別役割分担の一夫一婦制が敷かれていた。 男色のようなホモなら、近代的な核家族と両立する。 ホモは女性とも結婚し、少年を相手にするからだ。 だから、一夫一婦制とは矛盾しない。 しかし、同年齢の成人男性間で愛しあうゲイは、女性とは結婚しないから、一夫一婦制下では許されないイデオロギーなのだ。 1988年に筆者は42歳という若さで、エイズで死んだ。 その4年前に、フーコーがエイズで死んでいるだけに、筆者の必死さがいかに真剣だったか想像がつく。 今となっては、ちょっと古い記述もあるが、それを超えて必死さが良く伝わってくる。 (2011.2.8)
参考: 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と 共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣 人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、 2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」 ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及 川健二「ゲイ パリ」長 崎出版、 2006 礫川全次「男色の民俗学」 批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房 新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」 筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出 文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」 哲学書房、1987 プラトン「饗 宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出 版、2002 東郷健「常識を越えて オカ マの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」 現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」 河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛 鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」 新潮文庫、1991 風間孝&河口和也「同性愛と異性愛」 岩波新書、2010 匠雅音「核家族か ら単家族へ」丸善、1997 井田真木子「同性愛者たち」文芸春秋、1994 編ロバート・オールドリッチ「同性愛の歴史」東洋書林、2009 ミッシェル・フーコー「快楽の活用」新潮社、1986 アラン プレイ「同性愛の社会史」彩流社、1993 河口和也「クイア・スタディーズ」岩波書店、2003 ジュディス・バトラー「ジェンダー トラブル」青土社、1999 デニス・アルトマン「ゲイ・アイデンティティ」岩波書店、2010 イヴ・コゾフスキー・セジウィック「クローゼットの認識論」青土社、1999 デニス・アルトマン「グローバル・セックス」岩波書店、2005 氏家幹人「武士道とエロス」講談社現代新書、1995 岩田準一「本朝男色考」原書房、2002 海野 弘「ホモセクシャルの世界史」文芸春秋、2005 キース・ヴィンセント、風間孝、河口和也「ゲイ・スタディーズ」青土社、1997 ギィー・オッカンガム「ホモ・セクシャルな欲望」学陽書房、1993
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