匠雅音の家族についてのブックレビュー   変わる家族 変わる食卓−真実に破壊されるマーケティング常識|筆者 岩村暢子

変わる家族 変わる食卓
真実に破壊されるマーケティング常識
お奨度:

筆者 岩村暢子(いわむら のぶこ)  中央公論新社 ¥895 2009(2003)年

編著者の略歴−1953年北海道に生まれる。法政大学卒業。1960年以降生まれの人びとを対象とした継続的な調査研究に基づき、現代の家庭や社会に起きるさまぎまな現象を読み解くことをテーマにしている。潟Aサツーディ・ケイ200]ファミリーデザイン室長。著書に『(現代家族)の誕生』『普通の家族がいちばん怖い』などがある。
 朝は起きないお母さん、お菓子を朝食にする家族、昼食を一つのコンビニ弁当で終わらせる幼児と母、夕食はそれぞれ好きなものを買ってくる家族などをはじめ、テレビも雑誌も新聞も取り上げることのなかったごく普通の家庭の、日常の食卓の激変ぶりがこの調査によって初めて見えてきたと思っている。P11

 上記のように、<まえがき>で筆者は書いている。
本書は1998〜2002年にかけて調査したものを元に、2003年に上梓されている。
今日では、食事のあり方が1980年頃とは、大きく変わっていると認識されている。
しかし、本書が上梓された頃は、家庭内の食事がどのようになされているかは、認識が定かではなかった。

 本サイトは、2008年に同じ筆者の「<現代家族>の誕生」と、「普通の家族がいちばん怖い」とを取り上げている。
前者は2005年に、後者は2007年に出版されているので、本書のほうが先に出版されていた。
本来なら、出版された順にまず本書をとりあげてから、上記の2著を論じるべきだった。

 本書は調査の生データーが新鮮な時に書かれているので、それなりに説得力がある。
前2著のように、筆者の想定する<あるべき家族像>を是として、それからの乖離で論じるという姿勢が比較的に薄い。
そのため読みやすい。
しかし、それでも筆者の幻想家族が、すでに垣間見えており、後年書かれる前2著を彷彿とさせる記述も多い。

 第一章 食を軽視する時代
 第二章 「私」指向の主婦たち
 第三章 子供で揺れる食卓
 第四章 個化する家族たち
 第五章 外向きアンテナの家族と食
 第六章 現代の「食」志向の真相
 第七章 言っていることとやっていることは別

 という章立てで、「定性調査」の結果を論じている。
本書は徹底して、食卓に並んだ物に拘っている。
どんな食べ物が並んだか、なぜその食べ物が食卓に出たかを記述している。
こうした食卓の物に拘る調査というのは、筆者が初めて行ったのであろう。
この着眼には敬服する。
なお、定性であるために仕方ないとは言え、定量的な記述がないのは物足りない。

 家庭の食事に対する筆者のこだわりは、栄養と躾にあるように感じる。
栄養が豊富でバランスの良い食事こそ、家庭で提供されるべきであり、食生活を通じて子供の躾がなされるべきだと信じているようだ。
たしかに正論のように思えるが、食事とは楽しく食べるものでもあるだろう。

 子供を食べさせてやっていると考える母親は皆無で、今の母親は子供に食べて貰っている立場だという。
いろいろと具体的な発言がひかれて、食事を巡る子育てで戦々恐々としている母親が想像できる。
しかし、飽食時代の子供は腹を空かせてはいない。
飽食の子供であれば、食べさせようにも子供は食べないはずだ。
食べない子供に無理矢理でも食べさせようとすれば、食べて貰う立場にならざるを得ないだろう。

 しかし、鋭い指摘もある。自己を相対的に見ることのできない主婦たちという指摘は、「<現代家族>の誕生」でも見られたが、本書では、<言っていることと、やっていることは別>という恐ろしい指摘となっている。

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 このような「言ってること」と「やってること」の乖離は年々大きくなり、数えるとこの3年間にも3倍くらいの量に増えている。だから1960年以降に生まれた現代主婦のアンケート回答は、「現実に今日したこと」「いま持っているもの」などを具体的に尋ねたもの以外、ほとんど当てにならないと私たちは考えているくらいだ。「日常どう考えているか」などの意識調査は、実場面で大きくブレてしまうからほとんど役に立たない。
 いま、現代主婦へのアンケート調査で得られる確かなものは、「聞かれたら『そういう答えをする人』が何人いるか」ということだけで、「『そのような人』が何人いるか」ではない。マーケティングリサーチでそれを実態と見なし「策」を講じるようなことは、慎重に行わないと大変危険なことになってきている。P251

 「言ってること」と「やってること」の乖離が、年々大きくなっているのは筆者の言うとおりかも知れない。
しかし、もともとアンケート調査とは両者の乖離があるものだろう。
味噌汁を毎朝飲みますかと言う質問に、イエスという返事には<飲みたい>という希望者が混じっているだろう。
我々はもともと事実と希望的事実が区別できないのだ。

 周囲への思い測りによって、自分の意見を変えてしまうのも、和をもって貴しとする国民だから、それほど不思議なことではない。
しかも、自分の意見を変えても、変えたという自覚すら起きない。
それは戦争へ進んでいった道と、戦後責任のあり方を見ても判るだろう。
マッカーサーの離日には、小旗をたててて見送る国民なのだ。
昭和天皇が死んだ時に、悲しくて涙した人間がいたり、アジア侵略への思いが欠落している人がいることでもわかるだろう。

 しかし、傾注すべき意見もある。付論で、<家庭科で習った通り>と書かれており、2002年時点で43歳前後と34歳前後あたりに断層が見られるという。
その原因として、家庭科の指導要領の改訂関係があるという。

 2001年の夏、中学・高校の戦後50余年の家庭科の主要教科書を全て収集し、読み込み、分析したところ、実は彼女たちが中学校で受けてきた家庭科教育と密接な関係があると発見したのである。それは中学校の学習指導要領、「技術・家庭」教科書の改訂・改変と、時期も特徴内容も奇妙な一致を見せていることが分かってきたのである。
 例えば、43歳前後から下の主婦が使った教科書は、それまでの「調理」を「食物」と改め、技術重視から消費生活者教育寄りに変更されたものだ。(中略)34歳前後から下の主婦が使用した教科書は、男女別学からの「相互乗り入れ」で初めて共通の一冊となったものだ。P277

 親が子供に家事を手伝わせなくなったので、家事を身につける場は学校になったという。
そのため、家庭科の果たす役割が、きわめて大きくなったという。
この指摘は興味を覚えるが、1960年以前の子供たちは、家事の手伝いをしただろうか。
団塊の世代といえども、母親から食事作りを躾られた者は、どのくらいいるのだろうか。

 本書が主張する問題は、貧しい社会の家庭と、豊かな社会の家庭との違い、と見たほうが良いのではないだろうか。
豊かな社会では、食事に限らずテレビも電話も個化するし、何事も自発性を大切にし、他人に押しつけなくなる。
そして、個性を尊重し人を褒めて育てるようになる。
それは子育てであっても同様であろう。

 食卓は筆者が調べた風景が事実だろう。
しかし、本書の言う傾向が、社会全体の個人化という流れの中で起きているとしたら、食事では如何とも言いようがないではないか。
また入社式に親が同伴するということとも関係しているのだろう。
もし、日本の子供が自立しないと見るなら、それは日本人の性質と捕らえるべきだ。

 筆者が食生活が乱れ、躾がなされなくなったと嘆くが、最近の若者たちの体位の向上は大きいものがある。
菓子パンを食事代わりにしたにしては、大きな身体に育って栄養が悪いとは思えない。
また、若者たちのマナーの良さは特筆すべきで、高齢者たちのマナーの悪さと比べる時、若者を絶賛すらしたくなる。(2014.07.30)
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参考:
伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998
永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
信田さよ子「母が重くてたまらない」春秋社、2008
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992
マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006
ジャーメン・グリア「去勢された女」ダイヤモンド社、1976
シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997
亀井俊介「性革命のアメリカ」講談社、1989
イーサン・ウォッターズ「クレージ・ライク・アメリカ」紀伊國屋書店、2013
岩村暢子「変わる家族、変わる食卓」中央公論新書、2009

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