著者の略歴−1960年生れ。1987年東京大学大学院社会学研究科博士課程中退(社会学専攻)。日本女子大学助教授を経て、現在 お茶の水女子大学文教育学部助教授。主論文「家族らしさ」『現代のしくみ』吉田民人編,新曜社,1991;「行為論への一視角」『社会学評論』159号,1989;「社会現象としての差別」『ソシオロゴス』10号,1986;「ステイグマ分析の一視角」『現代社会学』22号,1986ほか著訳書 グレノン『フェミニズムの知識社会学』勤草書房,1991;『フェミニズム・コレクション』T・U・V(共編著)勤草書房,1993;『社会学のエッセンス』(共著)有斐閣,1996ほか 我が国の1950年頃の家族像の変化を、映画を通して分析した力作である。 本書は当然のことながら、映画そのものの批評ではないと言う。 映画に表れた家族像を見る、といったらいいだろう。400ページ近く、4部構成になっている。
第1部 家族イメージ研究の理論と方法 第2部 日本の家族イメージの変遷 第3部 家族の物語の形成 第4部 結論 第1部がきわめて長く、ほとんど第3部と同じくらいのページ数が割かれている。 そのため、面白い部分になかなか到達しないが、筆者の丁寧な研究資質の現れだろう。 実に細かく文献や古い映画を参照しており、まじめな研究姿勢に感心する。 本書に掲載された映画を、全部見るだけでも、とてつもない時間がかかる。 戦前は家制度が健在で、サラリーマンの核家族が誕生していたとはいえ、まだまだ大家族理念が主流だった。 戦後になって、農業人口が実数として減り始め、高度経済成長とともに、性別役割分業に基づいた核家族が主流になっていく。 本書は、戦後の家族映画から話を始める。 一般に、我が国の家族映画は、母ものと呼ばれる。 その源流はじつはアメリカにあり、母性愛をテーマにした映画は、「ステラ・ダラス」などアメリカ映画の影響下で成立したものだという。 この指摘はなかなか新鮮だった。 映画そのものが輸入物なのだから、おそらく事実なのだろう。 しかし、戦後に流行った母ものは、ちょっと異例だった。 母ものは、その初期から多くの観客を動員する作品を作りだしたが、なかでも1949〜54年は、大映による「母ものブーム」と呼ばれる流行現象を生みだし、同じ会社の同じ顔ぶれで「母もの」と銘打った似た作品を次々と作りだし、それらのすべてがヒットしていくという状況が生まれた。しかし、そのブームを最後に、母ものはあまり作られなくなった。P96 という一過性をともなったものだったが、三益愛子の母役が強烈な印象に残っている。 しかも、子供のために母親が不幸を感受するといったパターンだったために、暗く耐えるイメージが強い。 その後の<ホームドラマ>と比べて、いかにも日本的な忘れたい原風景だった。 それが、1950年代から、明るいホームドラマへと変わっていく。
そのため、農村部で好まれた映画と、都市部で好まれた映画は違った。 極論すれば、日本的な暗いイメージの母もの映画は、農村部で見られた。 それに対して、ホームドラマは都市の新興サラリーマンを対象にしていた。 映画表現としては、母ものからホームドラマへの転換は、大きな意味をもっていた。 涙を誘った母ものから、メロドラマ性が抜け落ちていく。 親子の愛情表現がメロドラマでなくなったということは、同時に、母性愛も恋愛もメロドラマであったものが分化し、異なる愛情表現の形式をもつようになったということを意味している。家族の愛情表現は、ホームドラマに移行することによって、淡々とした、日常生活上の思いやりとなり、そのことによって、メロドラマにおける表現を、セクシユアリティに固有の領域に閉じ込める。いいかえると、セクシュアリティをともなう愛が、他の愛とは異なる特別なものとして分化し、セクシュアリティヘの注目が高まったともいえる。ともあれ、家族の愛情表現は、完全に恋愛表現から分別して描かれるようになり、いまや家族のコミユケニケーションのなかでメロドラマ的表現が登場すると、恋人関係の文脈にそって性への欲望が読みとられてしまう。P246 ホームドラマというのは、農村での男女がならんで働く姿から、核家族のなかで男女が性別に従った役割分担へと転じる姿を描いていた。 だから、階級闘争とか涙にくれる姿があってはならなかったし、明るく上昇指向的で、しかもセックスを排除していたのだ。 男女はすでに対になっており、現実のごみごみした風景や労働の辛さは描かなかったのだ。 それが観客に受けた。 筆者は、家族生活という画一化への志向と、女性が対象であったことが、ホームドラマの特徴だったという。 その通りであるが、同時に、ホームドラマが歓迎されたことは、斉藤美奈子が「モダンガール論」で書くように、女性たちが性別役割の世界に嬉々として入っていったことでもあった。 貧乏は社会から強制された。職業を奪われて、人は心ならずも貧乏へと突き落とされたのだ。 しかし、女性たちは性別役割の専業主婦に、自ら好んで自発的になったのだ。 それだけ、当時の専業主婦は魅力的に見えたのだろう。 専業主婦とは格子のない牢獄だった。 そのため、1970年以降、ホームドラマは人気を失っていく。 その後、我が国は、女性の自立をめざしたかというと、残念ながら女性たちは自立の道を模索しなかった。 ホームドラマの本場アメリカでは、ホームドラマの後、女性の自立を志向する映画がたくさん撮られる。 それは「単家族的映画論」に書いた通りである。 本書の論理に従えば、アメリカで女性の自立志向の映画がたくさん撮られたことは、アメリカの女性たちが自立を求めていたからだ。 我が国で、そうした映画が撮られなかったことは、女性が自立しようとしなかったことの反映だろう。 ホームドラマが女性の生き方を反映したがゆえに、我が国の女性たちに好まれたとすれば、女性の自立映画は、女性の生き方を反映していなかったのだ。 筆者はとても丁寧に映画を分析しているが、女性であることに立脚しており、映画が観客に支えられている面を閑却しているように感じる。 映画は製作者たちが作るのではあるが、大衆という観客がいなければ、映画は成立しない。 丁寧に分析されているが、何だか消化不良になったような読後感が残った。 (2010.1.12)
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