著者の略歴−イェール大学法科大学院教授。法学博士。1962年、アメリカ合衆国イリノイ州生まれ。ハーバード大学法学部を首席で卒業後、同法学大学院を優秀な成績で卒業。国際ビジネス弁護士として活躍した後、コロンビア大学、スタンフォード大学客員教授を経て、デューク大学法学部教授、その後現職。専門は、グローバリゼーションと民族紛争と法の関係。両親は米国に移住の中国人。父親はコンピュータ・サイエンスの分野で世界的な研究で知られるカリフォルニア大学教授。夫は同じイェール大学法科大学院教授で推理作家でもあるジェド・ルーベンフェルド氏。著書として『富の独裁者』(2003年、光文社)、『帝国の日』(2007年、未邦訳)がある。 アメリカの有名大学では、アジア人の子供たちの成績が良すぎて、
一部の大学などでは入学制限をしているという噂を聞く。同じ土俵で競争すると、白人や他の出身地の子供たちは圧倒的に負けてしまう。
そのために、一種のアファーマティブ・アクションとして、アジア人の入学枠を狭くしているのだとか。
何気なく聞いていると、アジア人は人種的に優秀なのかと誤解してしまう。 そこには本書のような裏があるのだ。 筆者の子育ては、筆者自身が言うように中国式である。 この中国式という表現はとても危なく、あくまで移民アジア人、 もっと言えば後進国から先進国へと移民してきた人たちのものだ。そして、途上国の一部で行われている教育である。 筆者は中国からの移民2世である。1世の父親は優秀な人でMITに入学し、2年たらずで博士号を取得した。 パデュー大学の助教授からUCバークレイにうつり、後にカオス理論で世界的な名声を獲得する。 母親も優秀だったらしく、サント・トーマス大学で化学の学位を取って、しかも首席で卒業している。 そんな両親の元に生まれたのだから、筆者も優秀で最後はイェールの法学部教授になっている。 さて、そんな筆者に2人の子供が生まれた。彼女は下記のようなルールで子育てに臨んだ。
・「お泊まり会」に行ってはいけない
彼女の信念は次のようなものだ。
予定をぎゆうぎゆうに詰め込む欧米の典型的なサッカーママと違って、中国の母親は次のような信念を持っています。
我が国の教育ママも真っ青のポリシーである。筆者は子供に人格を認めない。
子供は親の支配下にあり、親が子供進路を決め、厳しく躾けて親の望む方向に育てていく。 それが愛する子供のためだから、一時的には親子間で緊張が生じるが、結果として子供からも感謝される。 アメリカ人の親のように子供に人格を認め、子供を励まし自主性に任せたら、たちまち成績は下がり麻薬におぼれるという。 いわゆるスパルタ式の教育なのだが、長女のソフィアは筆者のスパルタ式のムチに従った。 しかし、次女のルルは13歳で反抗し、反逆して自分の道を歩き始めた。 本書は子供が中学生くらいで終わっているので、成人後にどうなったかは分からない。 それでも思春期の精神的に不安定な時期にも、親子4人で暮らしているところを読むと、親子関係は破壊的になったわけではないようだ。 訳者の斉藤孝が、かつて我が国でも本書のような子育てが行われていたと書いているが、表面上は似ていながら実はまったく違うことを理解していない。 農村共同体が盤石だった時代には、スパルタ教育などしなくても子供はふつうに育った。 スパルタ教育をするタイガー・マザーが登場するのは、階層間移動の可能性が見え、教育が階層上昇に有効だと認識されて以降である。 裸一貫で渡米した移民1世は、歯を食いしばって質素な生活に耐え、子供たちに教育を残して、報恩思想を注入した。 上昇志向を実現すること、それが移民にとっての自分の老後を確保する方法だったのだ。訳者が我が国でも同じだというのは、 筆者が階層間移動が激しくなった時代に育ったからなのである。 しかし、筆者には日本の親たちと違うところがある。それは筆者自身もすさまじく多忙な日常を送っており、 子供以上のハード・スケジュールだということである。 筆者はヒマな専業主婦ではないのだ。
私の生活はまるで二重生活です。朝は5時に起き、半日は執筆に当てる他、イェール大学の法学教授となり、
その後、急いで家に帰ると二人の娘の毎日の練習に付き合います。ルル(次女)との練習ではお互いに相手を威嚇したり、
あるいは恐喝やゆすりめいたことをしない日はありません。
P50
確かにタイガー・マザーたちは、子供の自主性や自発性を認めない教育を行い、子供たちは学業や出世競争で良い成績を収めている。
ヨーヨー・マのように芸術の世界でも名をはせている人もでた。しかし、階級間移動が一周し、移民たちも3世、4世となると、
豊かになる人は豊かになり、強烈な上昇指向性は衰えてくる。それは豊かな先進国に共通の現象である。
我が国の子供たちからガッツが失われて、我が国も衰退期に入ったと言われる。だから厳しい教育を取り戻せと言われる。 しかし、本当にそうだろうか。タイガー・マザーたちのような教育は、近代が始まる一瞬のあいだだけ通用するのではないか。 豊かな社会へは常に移民がやってくるから、タイガー・マザーが再生産されているのだろう。 筆者もタイガー・マザーは中国人の専売特許ではなく、韓国人、インド人、ジャマイカ人など同じだという。 筆者は次のように言って、タイガー・マザーを正当化する。 欧米人の親は子どもの人格を尊重しょうとし、子どもたちが真に情熱を傾けられるものを見つけるよう勧め、 その選択を支え、励ましの言葉をかけ、そういった環境を整えてあげようとします。 対照的に、中国人の親は子どもを守る最善の方法は、彼らのために将来を用意して、子どもたちが自分たちに何ができるか気づかせてやり、 才能や勤労習慣、それにゆるぎない内なる自信で身を固めることだと思っているのです。 P83
しかし、やはり人間は尊重されたいものだから、褒めて育てるべきではないだろうか。
これだけ抑圧的な教育を受けると、自己肯定感がうまれず、たとえ出世しても幸福感が生じるだろうか。
そのうえ、タイガー・マザー的子育ては、必ずしも成功するとは限らない。同じように育てられた父親は、祖母とは疎遠になったままである。 立派だと思うのは、ユダヤ人の夫との関係の作り方と夫の生き方である。筆者に夫と子供のどちらが大切かと聞けば、おそらく夫と答えるだろう。 それを知っているからか、夫も文句を言いつつ妻の子育てに協力している。いずれにせよ移民生活というのは厳しいものだ。 (2018.10.31)
参考: 伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998 永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994 梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965 楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005 シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000 鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004 ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006 水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979 細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980 モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992 R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987 ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952 斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003 光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009 奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997 ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992 マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006 シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997 亀井俊介「性革命のアメリカ」講談社、1989 イーサン・ウォッターズ「クレージ・ライク・アメリカ」紀伊國屋書店、2013 岩村暢子「変わる家族、変わる食卓」中央公論新書、2009 山本理顕、仲俊治「脱住宅−「小さな経済圏」を設計する」平凡社、2018 エイミー・チュア「Tiger-Mother:タイガー・マザー」朝日出版社、2011
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