匠雅音の家族についてのブックレビュー    江戸幻想批判−「江戸の性愛」礼讃論を撃つ|小谷野敦

江戸幻想批判 
 「江戸の性愛」礼讃論を撃つ
お奨度:

著者:小谷野敦(こやの あつし)  新曜社、1999年 ¥1800−

 著者の略歴− 1962年茨城県に生まれる。1987年東京大学文学部(英米文学)卒業。1997年同大学院比較文学比較文化博士課程修了。学術博士(超域文化科学)。1990〜92年,カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に留学。1994年より大阪大学言語文化部講師・助教授を経て,現在,明治大学兼任講師。
著書:『八犬伝綺想』(福武書店),『夏目漱石を江戸から読む』(中公新書),『男であることの困難』(新曜社),『〈男の恋〉の文学史』(朝日選書),『間宮林蔵〈隠密説〉の虚実』(教育出版),『もてない男』〈ちくま新書),『文明としての徳川日本』(共著,中央公論社),『日本文学における〈他者〉』『日本の母生』〈以上,共著,新曜社)。

E-mail:VEF03454@nifty.ne.jp

 江戸時代の性はおおらかではなかった、という本書の主張には、半分賛成半分反対である。
しかし、本書の「江戸幻想」批判には、全面的に賛成する。
封建社会だった江戸時代は、武士が支配者であり、男尊女卑がまかり通っていたはずである。
女性の地位は低かったのが定説である。
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 本書は、大きく2部構成になっており、第1部は江戸幻想をあつかい、第2部はさまざまな近世文化を扱っている。
読み手にとっては、書名にもなっている第1部のほうが、だんぜんに面白い。
筆者は江戸幻想を創り出した人として、佐伯順子氏と田中優子氏を上げて、両者を批判している。
そして、彼女たちを補完する働きとして、高木侃氏や氏家幹人氏などあげている。

 佐伯順子氏は、本サイトではまだ取り上げていないが、他の3人はすでに取り上げている。
三くだり半と縁切寺」の高木侃氏と、 「江戸の少年」や 「大江戸残酷物語」の氏家幹人氏に関しては、実証史家として一定の評価をしている。
しかし、「張形−江戸をんなの性」を書いている田中優子氏に対しては、肯定的な評価をしていない。

 筆者は、江戸幻想の登場は、フェミニズム内の方向転換とも、関係していたとして、次のように言う。

 この3年ほどの間にフェミニズムのなかに生じた「売春」をめぐる評価の転換と関係している。10年前のフェミニズムは、売春を、男による女の搾取としてほぼ全面的に否定していた。それが今では、「性的自己決定権」という言葉で、自由意志による売春は容認し、労働者として権利を保護していくべきではないかという方向へと転換しつつあるのである。P37

 現代から過去を見るので、どうしても現在の価値観に引きずられやすい。
現代において、売春の全面的否定から、自由意志による売春肯定へと転じると、過去の売春も肯定しがちになる。
しかし、江戸時代の売春は、身売りされた女性たちによるものであり、現代の売春とは違うという。
まったく当たり前のことで、現代の売春と前近代の売春を、同列に論じることはできない。

 今日では、大金持ちと庶民といった身分分けが、性の意識面においては余り意味をもたない。
階級による性意識の違いは薄い。だから江戸時代も、単一の性意識が支配していた、と考えがちである。
しかし、本書が優れているのは、江戸時代を一様なものとしてみないことだ。
支配階級と庶民の性意識を、別なものとしてみている。

 近世における「恋愛」の様相を階級別に見るならば、武家や上層町人以上の階層では結婚は親が取り決めるものであり、下層町人や豪農では、親の取り決めと、事実上の「恋愛結婚」が入り交じり、下層農民では若衆宿のような世界で「恋愛結婚」に近いものが行なわれていた。P44

というのは当然だが、こうした論の立て方を、余人ではあまり見ない。

 労働が人間の身体に負っていた前近代では、性にかんする意識も、労働との関係が強かったはずである。
子供を産むこと以外に役目のない支配階級の女性は、結婚について自己決定権などほとんどなく、男性に比べれば劣位におかれていただろう。
それに対して、誰でもが働かなければならなかった下層農民では、女性の労働力も評価の対象になっていただろうから、男女の評価は相当に接近していたに違いない。

 機械文明の発達した現代社会から見ると、個人の体力など大したものではないと思いがちである。
しかし、瀬川清子氏が「若者と娘をめぐる民俗」でいうように、人間の肉体に頼らざるを得ない社会では、個人の身体をきわめて大切に扱って、きっちりした評価基準をもっていた。
だから、個人的な労働力が評価される階層の違いに、男女の評価も平行関係になった。
そう思えば、一律に江戸時代の性はおおらかだったとは言えない。

 上記のかぎりでは筆者に同意するが、文献からの考察に終始する点に疑問を感じる。
文献に依拠するのは限界がある。結局、現代社会からの価値観のすり込みから自由になれない。
筆者の姿勢では、依拠する文献によって、結論が左右されるのは避けられない。
また反対に、文献のみによらないと言えば、文献に依拠することができなくなり、自己撞着に陥る。

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 本サイトが、筆者の主張を評価しつつも、半分しか賛成しないのは、直接的な文字文献のみに頼り、学者の世界に閉塞しているように感じるからだ。
そして、肉体労働者への距離を感じるからだ。
江戸の肉体労働者たち=下層農民は、性に関して比較的おおらかだったが、肉体労働から離れるにしたがって、性の規範は厳しくなっていった、と本サイトは考えている。

 現代よりもずっと多くの労働が、直接に肉体でなされていた時代には、性にまつわることが大ぴらに口にされた。
凸をオスと言い、凹をメスと言ったり、物を立てることを、<男にする>と言ったりした。
また今日より娯楽の少なかった時代、男女にとって性は大きな娯楽でもあった。
その時代、しばしば猥談が語られた。
猥談自体が廃れた現在では想像しにくいが、女性たちも猥談に参加していた。

 肉体労働に参加していた女性は、平気で性的なことを口にした。
若かった頃の私は、農村の力強い女性たちから、性的なからかいを受けて、一言も反論できなかった。
そうした体験を持つだけに、肉体労働者の性規範は、おおらかだったと考えるのである。
もちろん腕力において男性が優位するがゆえに、社会的に完全な男女平等とはほど遠かったろう。
しかし、女性が労働力評価される程度には、女性にも性の自己決定権があったと思う。
とりわけ個人的な男女間においては、女性も性的な世界を堪能したに違いない。

 しかし、今日的な人権感覚で、男女同権を近世に持ち込めば、当時は男尊女卑としか言いようがない。
男女差別は肉体的な違いに起因するがゆえに、歴史のどこでも見られたのである。
肉体がきわめて有意だった時代に、男女同権を持ち込むことは、その時代を否定することに繋がる。
源氏物語をフェミニズムというイデオロギーで批判したら、文学としての命は何も残らないだろう。
 
 私はかつて思い悩んだことがある。フェミニズム批評が芸術の世界に進軍して討伐を始めたら、浄瑠璃や歌舞伎は全滅状態になってしまうのではないかと。おそらくこの危惧は正しいのであって(後略)P132

という筆者だが、近代と前近代の違いが、何に由来するかをきちんと押さえるべきだろう。
近代と前近代の違いと同様のことは、現代のイスラム社会についても言える。
フェミニズム批評がイスラム芸術に進軍したら、イスラムの表現は全滅状態になってしまうだろう。
いまだ前近代にあるイスラム文明は、肉体優位の支配する社会なのだ。
だから、現代の性意識を持つ者は、イスラムの男女観とは共存できない。

 前近代で女性が劣位におかれたのは定説である。
しかし、佐伯氏の「江戸幻想」を批判するあまり、生身の人間が生きていた息吹を、拾えない仕儀に陥らないよう願う。
学者は文献に思考の基礎を求めるのかも知れないが、文字には表れてこない部分があることを忘れないで欲しい。
なぜ女性が差別されてきたかを考えれば、大きな逸脱はしないように思う。 

 今まで男女差別の原因を考えずにきたことが、「江戸幻想」を語らせてしまったり、近世を懐古させる理由だろう。
その意味では、本書もなぜ女性が劣位におかれてきたのか、を考察していない。
男女差別の原因に論及せずに、差別の結果だけを論じているかぎり、
過去を肯定するような言説が何度でも登場するだろう。   (2005.11.22)
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補足
 書評を掲載したことを、筆者にメールしたところ、「あれを書いた当時は、売春否定論にたっていましたが、今は必要悪論です」という返事を頂いた。発言を変えるのは仕方ないとしても、原理的な考察に欠けるから、たった5〜6年で意見が変わってしまうのだろう。当方は40年近く一貫して、男女平等の立場から売買春を肯定している。
 誤字の指摘、感謝です。

参考:
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、183
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995

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