匠雅音の家族についてのブックレビュー    生命学に何ができるか−脳死・フェミニズム・優生思想|森岡正博

生命学に何ができるか
脳死・フェミニズム・優生思想
お奨度:

著者:森岡正博(もりおか まさひろ)   勁草書房 2001年 ¥3、800−

 著者の略歴− 1958年高知県生まれ。大阪府立大学教員。哲学・生命学。著書に、『生命学への招待』(勁草書房),『脳死の人』『宗教なき時代を生きるために』(法蔵館),『生命観を問いなおす』『意識通信』(筑摩書房),『引き裂かれた生命』『自分と向き合う「知」の方法』(kinokopress.com)など。生命学ホームページ:http://www.1ifestudies.org/jp/ 電子メール:1ifestudies@nifty.com

 本書の主眼は、生命学であろう。
生命学を考える過程で、ウーマン・リブや田中美津さんに出会って、
それらを論じることによって、自己の思考を鍛えてきたにすぎない。
だから主眼たる生命学を批判するのが筋だろう。
しかし、筆者には申し訳ないが、生命学はまだ学問と呼べる域には、達していないと感じた。
また一種の信仰告白のようにも感じた。
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 筆者の論理は、理解しはする。
しかし、筆者も言うように、本書は「正論の倫理学」に脱しかねない。
正義は悪があるから正義たりうる。
絶対の正義を主張することは、それ自体が間違いだろう。
少なくとも、相対の視点を手に入れた近代人にとって、悪を許容しない立論は息苦しい。
当方に言われるまでもなく、筆者は分かっていると思うので、あえて指摘するまでもないかとも思ったが、
論理の構造は思考の基本を決めもするので要注意であると思う。

 本書にかかれている事実から、懐かしい感じがよみがえってきた。
同時代に体験したことが、後年になって、若い筆者により文献から拾われるとは、こうしたことなのか、と感慨深いものがある。
おそらく歴史の出来事は様々だったろうが、今に残る文献や人名は、後世からの読み直しなのだ。
ウーマン・リブが華やかだったのは、たった30年前のことだが、歴史の中に位置づけられるとは、こういうことかと感じさせられた。

 1969年当時は、敵は機動隊やその向こうにある国家権力だった。
すべての精力が国家批判に向いた。
対権力闘争の過程では、男女差別は語られようがない。
学生運動の中でも、体制側と同様の性別役割分業が貫徹し、
それに批判的だったのは、ごく少数の者だけだった。
内部で違いや不満があろうとも、国家批判の前には、違いや不満は表面化しない。

 機動隊によって学生運動は、徹底的に完膚無きまで打ち破られた。
それはそれは見事なまでの敗北だった。
学生運動の敗北は、内部の違いや不満を表面化させ、運動は分裂していった。
分裂後の大きな一つは市民運動だったし、もう一つが女性運動だった。
もちろん市民運動や女性運動が、学生運動以前にまったく存在しなかったわけではない。
たしか中ピ連は、敗北前からすでに活動していたように思う。

 筆者が高く評価する田中美津さんは、筆者が思い入れるほどの名声はなく、
当時は元気な女性の1人だった。
そしてウーマンリブが、女性だけの集団へと閉じていったことも手伝って、
ウーマンリブの評価は定まらなかったように思う。
しかし、女性運動だけで独立した雑誌が刊行されるほど、当時の女性たちの発言は有力でもあった。

 この社会の中で、女はとても生き難い状況に置かれている。その原因は、この社会のからくりにある。この社会の中で、女は、自己を基準として生きるのではなく、男を基準として生きるように様々な形で仕組まれているし、女自身もそういう生き方を内面化してしまっている。P200

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 田中美津さんに関連して、筆者は上記のように言っている。
その後の女性たちは、大挙して専業主婦になっていったのだから、上記の論はあたっている。
しかし、筆者は「自己否定の論理」を誤解しているように感じる。
当時、学生たちが口にしていた「自己否定の論理」とは、けっして自己を否定することが目的ではない。
東大生や男子学生だから、否定すべき自己があるというのでもない。

 誰でも生きていくためには、支配の片棒を担がざるを得ない。
加害者的存在としての自己をみつめ、被害者である自己が加害者でもある構造を否定するとき、強烈な自己肯定へと転化する。
自己否定の徹底化が、自己肯定にいたりつく。
しかも自己否定を継続するほど、自己肯定も強くなる。
そうした論理が自己否定の論理だった。
だから、自己否定はエリート学生だけでなく、女子学生でも誰でも口にできた。

 ベトナム侵略に荷担する自己を否定する。より良き商品となる大学人の自分を否定する。
この論理は学生だけに影響を与えたのではない。
この論理をそのまま実行して、田川健三さんのように大学から解雇されたり、
また自発的に辞職した人も出たりした。
当時、大学を中退した学生もいたし、社会の日向に出ることを、一生拒否し続ける決意をした男性たちもいた。
彼等は出世しないという枷を、自分に課して今も生きている。

 田中美津さんにかぎらず我が国の女性運動は、結局、母性信仰から自由になれなかったように思う。
むしろ母性信仰が、運動の底辺を支えていた、と言っても過言ではない。
産むという生理的な部分に拘り、男女に共通に所有される観念へと上昇させることができなかった。
だからその後、我が国のフェミニズムは、大学内にしか残ることができず、
働く女性たちから見放されて、簡単に壊滅してしまったのだ。

 女性の解放が、理論的には達成された1995年以降、子供からの異議が噴出する。
しかし、母性に拘束された我が国のフェミニズムは、子供からの異議をまともに捉えることができない。
子供にとっては、女性も抑圧者だと言われたとき、母性信仰では何の反論もできない。
我が国の女性運動は、生身の女性から観念としての女性を抽出してこなかったので、
個人と社会の位相の違いに、しっぺ返しを食らってしまった。  

 プロライフというフェミニズムは、二律背反であるにもかかわらず、
荻野美穂さんは「中絶論争とアメリカ社会」で、プロライフ・フェミニズムという言葉を使ってしまう。
おそらく、我が国の女性運動は、プロライフ・フェミニズムという倒錯した感覚が、もっとも適合するのであろう。
だから、中ピ連があれほど評判が悪いのだ。

 生命学における筆者の格闘は、今後も続くであろうが、
筆者からは我が国のフェミニズムに通底する<感覚への依存>を感じる。
感覚は個人的なものでしかないから、感覚を共感できるのは、共通の体験が支える時でしかない。
感覚を観念に昇華しないと、未知の他人は共感できない。
観念の体系は嫌いだと筆者は言うだろうが、思想はすべて観念である。
是非、生命学という壮大な観念の体系を構築して欲しい。

 本書の中では、何も新しいことは語られていない。
古典となるような重要な指摘がなされているのでもない。
しかし、筆者は自己の土俵を定め、そのなかで徹底した思考を続けている。
読者にとっては、息詰まるほどの執念でもって、本書を書き続けている。
その執念に、本サイトは星を献上する。   (2005.12.25)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002年
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001

奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009


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