著者の略歴−地方移住歴20年超のベテラン・イジュラー。1974年生まれ。幼少期から20代前半まで米国で過ごす。1990年代半ばから週末移住をはじめ、過去20年以上にわたり東北から沖縄まで日本各地を転住しながら暮らす。現在は本州中部を拠点に、村落で古老からの聞き取りをしながら、移住者への適応アドバイスや、移住地での生活トラブルの相談に乗っている。 田舎暮らしを薦めるために、本書を取り上げるのではない。
本書が語る田舎なるものが、実は日本そのものではないか、と感じたので取り上げるのだ。 田舎は都会と対立的にとりあげられ、現在の日本の主流は都会であると言われているように感じる。 本書も都会生活者がメジャーで、マイナーな田舎はすさまじい断絶があるのだ。その断絶を知らずして田舎に移住すると、 大変なことになると警鐘を鳴らしている。本書に語られている事実は、やや大げさにしても実感するところで、 閉鎖的な田舎の体質がよく書かれている。
都会に暮らしてきた人間が、田舎のきれいな空気や風景にあこがれて、田舎に移住したいという話はよく聞く。
田舎暮らしを薦める記事や、テレビ番組には事欠かない。しかし、こうした媒体で語られるのは、
心地よく書かれたシナリオに従った劇だ。こんな情報にしたがって移住したら、あとで地獄を見ると筆者は言う。
なぜ田舎暮らしに憧れるのか、いささか理解に苦しむが、それは問わないことにしよう。 田舎のノンビリさに憧れるのは、理解できなくもないから。しかし、農業に支えられてきた田舎の生活は、 都会の給料取りの生活とはまったく違うのだ。 旅行者として田舎を訪れると、田舎の人は親切な顔を見せる。しかし、定住者となると豹変すると筆者は言う。 田舎は村なのだ。村の掟に従わなければ、田舎では生きていけない。土地を耕して生きてきた人間が、 移住者を簡単に受け入れるはずがない。移住者は、田舎の人たちが土地を耕して得た有形無形の財を、 労せずに手に入れようとするのだから、摩擦が生じるのが当然である。 まず田舎は金が第一である。金持ちが大きな顔をしている。都会なら誰が金持ちだかわからないが、 田舎では金持ちだかは一目瞭然である。多くは大地主が立派な屋敷に住んでおり、 金の多寡に従って田舎の秩序ができあがっている。しかし、現在の田舎はお金がなくなっている。 農業では豊かになれない。移住者がお金をもたらしてくれると、田舎は期待している。
都会に疲れた移住者に人気なのは、どうしても市街地ではなく、空気風光明媚で人も少ない、
そんな山間部の過疎地域になる。しかし、そうした地方の自治体が移住者に期待するのは、
決して人口増ではなく、村への実入り、つまり税収増への期待なのだ。だがその期待の一方で、
年金生活者や就農希望者など、地方に来る人たちは、大きな納税余力を持っていないという現実がある。
そこに、地方のいらだちが見える。 田舎の人は、部外者には本音をけっして言わない。こちらのことはしつこく聞いてくるが、
自分のことは決して話さない。例外はお寺の住職と、駐在さんだという。この2人は田舎の秩序に組み込まれていないから、
比較的自由にものが言えるのだ。しかも、この2人には違いがある。
住職は守秘義務がないから教えてもくれるが、こちらの話も吹聴されてしまう。それに対して、駐在さんは公務員であり職業上の守秘義務を負われているので、 あまり口外しないのだという。それにしては移住者に教えてくれるのは疑問にも感じあるが、 とにかく駐在さんは良い情報源だという。 自分の土地のことを教えてくれない田舎の人だが、 隣の市町村のことならペラペラ喋るのが田舎の人なのだという。
もとより、自分たちのこと土地のことを外の者には本音で明かさないのが普通なのだから、
そこに移住してこようとする者に下手な内情など漏らすわけがないのは当然だろう。
田舎は田舎で生活を成り立たせてきた。それで生活が回ってきた。移住者を不可欠としているわけではない。
移住するのはあくまで都会生活者なのであって、都会生活者の都合で田舎へと移住するのだ。
田舎の秩序に割って入るようなことはするな、と筆者は言う。具体的には、ゲートボールに参加するな、孫の話はするな、
無能を装えという。名言だと思う。
有能な者は田舎の秩序を崩しかねないから、危険人物とみられる。孫の話は、 田舎の人同士の内輪話としてだけ許されるのだ。内輪話に移住者が加わることは、歓迎されておらず危険極まりない。 本書の各所にちりばめられた忠告は、ほんとうに実感するものばかりである。 ちょっと長くなるが、本書の白眉だと思われる部分を引用する。
地方の人間は決して都会の人間を尊敬もしていないし、快くも思っていない。
ここが出発点であり、大前提である。
こうした閉鎖性は、海外から我が国を見た時にも、同じことが言えるように感じる。
労働力が逼迫していると言っても、けっして移民を受け入れない。外国人には納税などの義務だけ負わせて、
選挙権はもちろん市民権などの権利は与えない。 お金を落としてくれる旅行者は大歓迎だが、外国人移住者は他所者として扱う。田舎対都会の構図は、そのまま日本対海外の構図に重なる。 都会に住む日本人は、世界の田舎者であることに無自覚である。本書は実にシャープに日本人のメンタリティを表している。 (2019.1.24)
参考: 伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998 永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994 梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965 楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005 シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000 鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004 ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006 水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979 細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980 モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992 R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987 ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952 斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003 光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009 奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997 ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992 マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006 シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997 亀井俊介「性革命のアメリカ」講談社、1989 イーサン・ウォッターズ「クレージ・ライク・アメリカ」紀伊國屋書店、2013 岩村暢子「変わる家族、変わる食卓」中央公論新書、2009 山本理顕、仲俊治「脱住宅−「小さな経済圏」を設計する」平凡社、2018 エイミー・チュア「Tiger-Mother:タイガー・マザー」朝日出版社、2011 清泉 亮「田舎暮らしの教科書」東洋経済新報社、2018
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