匠雅音の家族についてのブックレビュー     母性という神話|エリザべ−ト・バダンテール

母性という神話 お奨度:

著者:エリザべ−ト・バダンテール 筑摩書房、1991年  ¥1、400−

著者の略歴−1944年生まれ。心理学・社会学を修めたのち、エコール・ポリテクニークほかパリの大学・専門学校で教鞭をとる。1980年に刊行された本書をきっかけとして、「ふたりのエミリー」筑摩書房、「男は女、女は男」筑摩書房など、女性史と思想史の両面から今日的な問題を追究している。
 母性愛は女性の本能ではない。
この主張は、女性にとって両刃の剣である。
わが国の女性運動は母性信仰が強いので、
母性愛は本能であるといったほうが、都合のいいことが多かった。
わが国のフェミニズムは母性を謳ったので、
子育ての専門家である専業主婦なる女性を味方にできた。
しかし、働く女性たちにとっては、母性愛は本能ではないのは当然である。
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 フェミニズムの影響を受けた人たちは、母性愛とは父権社会のイデオロギーであり、
資本主義が生んだものである、と考えているかも知れない。
資本主義といえば近代である。
しかし、1980年に書かれた本書は、母性愛が18世紀の発明品だとは言っていない。

 私は、母性愛は18世紀の発明であるとはけっして書いていない。むしろ、それとは逆のことを繰り返し強調したつもりだ。だがこの題そのものは性急な読者に、母性愛は18世紀の発明だというのが私の言いたいことなのだと思わせてしまったかもしれない。私が言いたかったことはただ、ある感情を評価しない社会は、その感情を弱め、押し殺し、ついには多くの人の心から完全にその感情を取り除いてしまうこともある、ということである。そのような社会に母性愛がまったく存在しないということではない。(新版への序文)

 フェミニズムが明らかにしたのは、男性とか女性といった生物的な性別と、
社会によって規定された性別による異なった様相つまり性差は、次元が違うということだ。
男性という性別が、社会において支配的だったのは、体力に勝るという理由があった。
しかし、その理由はいまや消滅しつつあるから、男女は社会的に等価だという。
母性も女性に担われたように見えるが、それはその社会が女性と母性愛の連結を、必要としていたに過ぎない。
この意見は、まさに正しい。

 アリストテレスは、哲学的な視点から夫と父親の権威を正当化した最初の人物であり、
西洋における家族の歴史をどこまで遡っても、父親の権力に出会う。
それは夫としての権威を伴っている、と筆者はいう。
それは当然だろう。肉体労働が優位していたので、肉体的な強者が社会的な優位とされた。
成人男性に有利な解釈がえんえんと続いてきた。
今までの歴史に、女性が主人公だった例はない。
女性は常に第2の性だった。

 誤解してはいけない。
ここでいう男性とは、単なる男性ではなく、成人の男性である。
女子供といわれるように、子供は非力であるがゆえに、女性と同じくくりだった。
男性であっても、子供はここでいう男性ではない。
18世紀まで子供なる概念は存在しなかったが、小さな男性は第1の性ではなかった。
同様に女性なる性別が、男性と社会的に等価だとは、女性を含めて誰も思っていなかった。

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 いつの時代でも人間は育つ。
親世代と子供の接触があれば、そこに愛情がわくのは自然なことだ。
男性が注ぐ愛情を父性愛、女性が注ぐ愛情を母性愛といったに過ぎない。
それが女性も労働力だった農耕社会の話である。

 しかし、工業社会になって、女性が労働力ではなくなったので、女性には仕事がなくなった。
そのときに、女性の存在意義を確保するために持ちだされたのが、
母性愛は女性の本能である、という主張だった。

 わが国の女性運動の歴史を見ると、
女性の権利獲得のなかでは、母親としてのものが強く打ちだされている。
つまり母性保護こそ、女性運動の華だった。
ここでは母性愛は女性の本能である、という主張がきわめて適切だった。
しかし、女性の社会進出にとって、子育てが女性の役割とされることは、おおきな足枷である。

 出産は性に固有のものだが、子育ては性に固有のものではない。
そこで、映画「クレーマー・クレーマー」が描くように、女性たちは子育てを手放し、
個人としての自立をはかった。
女性も男性と等質になった。
ここが現代のフェミニズムが、かつての女性運動と異なる点であり、大きく飛翔できた原点である。

 本書は、反動的なルソーの分析や、家父長的で保守的なフロイトに言及しながら、女性が子育てから離れる正当性を展開する。
 
 新しい愛の線、すなわち父親の愛の線を書き入れなければならないだろう。明らかに、母性愛はもはや女だけの特性ではない。新しい父親は、母親と同じように行動し、母親と同じように子どもを愛する。このことは、もう母性愛にも父性愛にも特殊性は存在しないという事実を証明しているように思われる。P362

 母性愛は女性の本能ではないと、きわめて当然のこと言っている。
男性であるがゆえの特権がないのと同様に、女性であるがゆえの特権はない。
また男女の役割の特殊性ももはや存在しない。
ますます、男女の同一化へ向かっている。
そこでは社会的には、男性とか女性といったくくりは意味を失い、男女で構成される家族は消滅する。
今後の家族は、単家族であり、単家族の同居である。    (2002.8.9)
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参考:
芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
須藤健一「母系社会の構造:サンゴ礁の島々の民族誌」紀伊国屋書店、1989
エリザベート・パダンテール「母性という神話」筑摩書房、1991
斉藤環「母は娘の人生を支配する」日本放送出版協会、2008
ナンシー・チョドロウ「母親業の再生産」新曜社、1981
石原里紗「ふざけるな専業主婦」新潮文庫、2001
石川結貴「モンスター マザー」光文社、2007

イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997


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