著者の略歴−シンジア・アルッザ(Cinzia Arruzza) ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ(the New School for Social Research) 哲学科准教授。 著書に A Wolf in the City: Tyranny and the Tyrant in Plato's Republic (2018, Oxford University Press)など。 ティティ・バタチャーリャ(Tithi Bhattacharya) パデュー大学歴史学准教授。著書に The Sentinels Of Culture: Class, Education, And The Colonial Intellectual In Bengal (2005, Oxford University Press)など。 ナンシー・フレイザー(Nancy Fraser) ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ (the New School for Social Research)政治・社会科学科教授。翻訳書は向山恭一訳『正義の秤――グローバル化する世界で政治空間を再想像すること」(2012年、法政大学出版局)、共著に『再配分か承認か???政治・哲学論争」(2012年、加藤泰史監訳、法政大学出版局)など。 フェミニズムに限らず思想界が分裂して久しい。とりわけフェミニズムは、ラディカル・フェミニズム、リベラル・フェミニズム、社会主義フェミニズムなどと、以前から各派入り乱れていた。
我が国では、フェミニズムが大学に立て籠もってしまい、働く女性たちから見放されているように感じる。しかも、今ではフェミニズムという言葉は使われずに、ジェンダーが主流になっている。
「99%のためのフェミニズムは反資本主義をうたう不断のフェミニズムである―平等を勝ち取らないかぎり同等では満足せず、公正を勝ち取らないかぎり空虚な法的権利には満足せず、 個人の自由がすべての人々の自由と共にあることが確証されないかぎり、私たちは決して既存の民主主義には満足しない。」(本文より)と表紙の見返しに書かれている。 1980年頃から女性の社会進出が始まり、西洋諸国では多くの女性たちが、社会でそれなりのポジションを占め始めた。 政治家にしても、経営者にしても、男性と同等以上に活躍する女性も出始めている。しかし、それと相反するように、貧困に苦しむ女性も増えた。 女性間でも格差が開き始めたのだ。金持ちが生まれれば、貧乏人が生まれるのも世の常である。 フェミニスト・ストライキは2016年にポーランドの中絶禁止に反対して始まったという。 我が国では経済的理由での中絶が認められているが、世界を見回すと経済的理由での中絶は、必ずしも認められていない。 このストライキに端を発した流れは、国境を越えて南米へと広がった。
女性たちのストライキ運動は、有償労働のみに「労働」のカテゴリーを限定することなく、家事、性交渉、そして笑顔からも撤退する。
資本主義社会における、ジェンダー化された無償労働が担う必要不可欠な役割を可視化することによって、資本主義が利益を得つつも対価を支払わないでいるそれらの行為に光を当てるのである。 P22
資本主義が女性の従属を生み出したわけではない。女性の従属は過去のすべての階級社会においてさまざまなかたちで存在していたのだ。
しかし資本主義は、新たな制度的構造に支えられた、非常に「現代的」なセクシズムのかたちを打ち立てた。
このセクシズムの特徴は、人間の形成 (the making of people) と、利潤の形成 (the making of profit) を分けることだ。
また、前者を女性に委ね、それを後者の踏み台にすることだ。この一手をもって、資本主義は女性に対する抑圧のありかたを作りかえ、それと同時に全世界のありかたをひっくり返してしまったのである。 P47 我が国の女性運動は、市川房枝をはじめ良妻賢母を良しとしてきたが、良妻賢母こそが女性の劣位化を招いたものだったのだ。 子供を産み育てる人間の再生産こそ、体制側が女性に希求するものなのだ。日の当たる人間社会には、決して貧乏人は含まれておらず、金持ちたちのものなのだ。
社会的再生産の責任を他者に押しつけることのできる、有利な立場に置かれた賃金労働者に対しての従属でもある。 近代に入って工業化したときに、家族が生産組織でなくなり、女性の稼ぎが奪われた。 稼ぎのない女性、男性に従属しなければ生きていけなくなった。そこから、女性運動が女権拡張を主張しながら、母性保護を打ち出し良妻賢母路線を走ることになった。 これは結局、兵隊を作るために協力する道だった。社会的再生産を、女性=フェミニストの問題と受け止めてしまうから、女性の生きる道は良妻賢母になってしまうのだ。 女性は「生産的な仕事」参加する能力を制限されていると本書は言う。そして、マイクロ・クレジットは少額融資によって、女性が債権者に依存的になったからダメ。 出会い系サイトを基礎とする異性愛文化は、少女たちに少年たちを喜ばせようとプレッシャーを掛けるからダメ。「多様性」の許容は、才能ある女性をトップへ駆け上がらせるものだからダメ。すべてダメダメである。
つまるところ、真に反人種主義・反帝国主義のフェミニズムはやはり、完全に反資本主義でなければならないのだ。P86 フェミニスト・ストライキは2016年にポーランドの中絶禁止に反対して始まったという。 だから、不本意な妊娠をさせられてしまう女性には同情するし、女性は避妊と中絶の権利をもつべきだと考える。 しかし、今日では手軽で安全確実な避妊方法もある。また、我が国では未承認だが、中絶薬で安全に中絶することもできる。 中絶禁止反対をいきなり反資本主義の運動へつなげるのは無理だろう。
99%のためのフェミニズムは、地球上のあらゆる反資本主義の運動と力を合わせなければならない。
つまり私たちは、環境活動家、反人種主義者、反帝国主義者、そしてLGBTQ + の運動や労働組合と協力しあうのである。
そして何よりも、私たちはそうした運動においか左派の反資本主義流れと連携する必要がある。それらもまた、99%の人々な運動の主体に置いているからだ。P105 興味深い例が掲載されている。
ルオ(姓以外非公表)は台湾人の母親で、2017年に息子に対して訴訟を起こした。
その内容は、彼の養育に費やした時間と費用に対して賠償金を払うことを求めるものだった。
ルオは二人の息子をシングルマザーとして育てあげ、その双方を歯学部に入学させた。
それに対する返礼として、彼女は息子たちに自分の老後の面倒を見てほしいと考えていた。息子のうち一人がその期待を裏切ったとき、彼女は彼を訴えたのだった。P123 働く環境が劣悪化しているのは、世界中で進行している。経済格差が地球規模で拡大している。 だから、本書のような主張が出てくるのは理解できる。本サイトも「多様化」には大いに疑問を感じている。 多様化とは弱肉強食を認めることであり、結局何も言ってないに等しいからだ。本書の熱く訴えることは良く伝わってくる。 しかし、本書の主張する方向では、運動のエレネルギーが体制側に上手く使われるだけだろう。 99%のためのフェミニズムが言うべきは、映画「クレーマー、クレーマー」が主張したように何よりも育児の拒否だ。その意味では、スペインで発生したフェミニスト・ストライキの主張が近いのだろう。 子供が産まれても、育てる責任は女性にだけあるのではない。むしろ稼いでいる男性にこそ責任はある。 とすれば、産んだ女性は子供を男性に押しつけて、自分だけの生活をすればいいのだ。少なくとも、子供は産んでいるのだから、女性の責任を果たしている。責められるべきは男性だから。 2011年9月に生まれた「ウォール街を占拠せよ」の 私たちは“99%”だのコピー本にみえる。 本書の主張はフェミニズムといわずに、貧乏な労働者よ連帯しようと言うべきだろう。個人化が進行するなかでの連帯は難しい。 プライバシーを知ってしまった以上、伝統的社会に戻るわけにはいかないのだから。 最近では不人気なジャンル本でありながら、本書はよく売れている。それだけに世界では貧困化が厳しいのだろう。 しかし、西側諸国の対応が難しいのは、中国が台頭しているので、M+GAFAなどの企業活動を制限できないでいる。 M+GAFAを企業分割してしまうと、バイドゥやアリババ、Wechatなどに負けてしまうからだ。それとも、本書は中国をエコ社会主義と認めるのだろうか? (2021.1.31)
参考: 伊藤友宣「家庭という歪んだ宇宙」ちくま文庫、1998 永山翔子「家庭という名の収容所」PHP研究所、2000 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994 梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965 楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005 シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000 鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004 ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006 水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979 細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980 モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992 R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987 ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952 斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003 光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997 ミシェル・ペロー編「女性史は可能か」藤原書店、1992 マリリン・ヤーロム「<妻>の歴史」慶應義塾大学出版部、2006 シモーヌ・ド・ボーボワール「第二の性」新潮文庫、1997 亀井俊介「性革命のアメリカ」講談社、1989 イーサン・ウォッターズ「クレージ・ライク・アメリカ」紀伊國屋書店、2013 エイミー・チュア「Tiger-Mother:タイガー・マザー」朝日出版社、2011 清泉 亮「田舎暮らしの教科書」東洋経済新報社、2018 柴田純「日本幼児史」吉川弘文館、2013 黒川伊保子「妻のトリセツ」講談社α新書、2018 先崎学「うつ病九段」文藝春秋、2018
|