匠雅音の家族についてのブックレビュー     これも男の生きる道|橋本治

これも男の生きる道 お奨度:

著者:橋本治(はしもと おさむ)−−ちくま書房、2000 ¥660−
(「橋本治の男になるのだ」ごま書房、1997を改題)  

著者の略歴−1948年3月25日、東京都杉並区に生れる。小説家。著書に、「桃尻娘」講談社、「花咲く乙女たちのキンビラゴボウ」北宗社・河出文庫、「秘本世界生玉子」北宗社、「悔い改めて−糸井重里との対談」北宋社、「シンデレラボーイ・シンデレラガール」北宋社、「暗野」北宗社、「熱血シュークリーム(上)」北宋社、「蓮と刀」作品社、「よくない文章ドク本」大和書房、「その後の仁義なき桃尻娘」講談社、「極楽迄は何哩」河出書房新社、「ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件」徳間書店、「橋本治の手トリ足トリ男の編物」河出書房新社、「S&Gグレイテスト ヒッツ+1」大和書房、「とうに涅槃をすぎて」徳間文庫、「帰って来た桃尻娘」講談社、編著に、「復刻版 恋するももんが」扶桑社がある。
 男には男の自立があると書き始めながら、はやくも男の自立はうさん臭い、という。
そして、男は自立が好きではない、と本書は展開されていく。
男女関係を考えるために、凡百のフェミニズム関係の本を読むなら、本書を読むことをすすめる。

 男による男のためのフェミニズム書でもある。
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少なくとも、歴史がよくわかる。
そしてなぜ、女性の書く多くのフェミニズム書が駄目なのかが、よくわかる。

 女の自立は、職業をもつことだった。
家事労働という手応えのない仕事ばかりやらされ、女性は家庭のなかで窒息しそうである。
女性は家事労働の担当者ではない。
女性も男性と同じ社会的な動物である。
自分たちも働いて、独自の経済力をもちたい。
何よりも、自己決定権を自分の手に取り戻したい。
誰とデートするか、どんな服装をするかなど、
とにかく自分のことはすべて自分で決めたい。

 自分で自由に使えるお金が欲しい。
そのためには、職業につかなければならないが、現実の職場は女性の就業に対応していない。
そこで自立のために、男女別の採用基準をやめろ、
女性だけの差別的な扱いをやめろ、と女性はいってきた。
男女が同じ立場で職業につこう。
これが女性の自立である。
女性自身の内部から誕生したのが、フェミニズムであり女性の自立である。

 外で気ままにやってくる男性たちをみて、女性たちが嫉妬したわけではない。
家事労働の見直しが、フェミニズムの主張ではない。
アンペイドワークの見直しは、フェミニズムとは関係ない。
家庭内で養われていたほうが、はるかに気は楽なのである。
それにもかかわらず、女性は自己の尊厳を回復するために、自立しようとし始めたのである。

 これは近代の入り口で、自分たちも人間だと叫んだ市民革命と、まったく同じ叫びである。
市民革命は貴族や王様だけが人間だった時代に、庶民も同じ人間だといって反旗を翻した。
人権宣言や権利宣言が発布され、アメリカ独立宣言が高らかにうたわれた。
貴族や王様そして聖職者が、神の近くにいた。
王殺し、神殺しの嵐が吹き荒れた。
神が決めた秩序に反して、市民たちは神を殺して自立した。

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 この時代に市民と見なされたのは、男性だけだった。
女性は市民の仲間ではなく、子供と一緒にくくられて半人前扱いだった。
だから女性には選挙権もなければ、財産を所有する権利もない。
移動の自由もなければ、居住の自由もなかった。
近代の初めから自分たちが劣位にあることに、女性は反発し自立をめざした。
今やっとその果実が収穫できる。
そこで男性である。
男性たちは誤解している。
 
 筆者のいう結論とは、次に要約される。
といって本書から引用したいのだが、
筆者の文章はあいかわらあずぐちゃぐちゃと長く、まとまりが悪い。
そこでボクが次のようにまとめてみた。

 女性の自立は女性たちの内発的なものだが、男性の自立は女性に迎合しているだけである。
すでに男性は自立しているのだから、男性にとって重要なのは1人前になることである。

 男性はすでに自立しているという指摘が大切であり、
男性の自立は男性が家事をやることではない、と断定している。
筆者は家事労働を低く見ているのではない。
彼は独身だから家事労働はできる。
そして彼は、男性の自立が男性の家事となってしまうのは、男性が家事をやって女性にもてたいだけだと、鋭く看破している。

 家事労働は誰でもが自分のこととしてやれば良く、人間の自立とは関係ない。
男性を家事に引き込むのは、ごりごりの保守主義者の言うことである。
フェミニズムは進歩の思想であって、保守の思想ではない。
筆者は男性が近代の入り口で、神を殺し市民革命をおこしたことを、視野に入れているはずである。
筆者の言葉は平易だが、きちんと歴史が踏まえられている。

 自立とは甘えないことであり、嫌われることであるともいう。
自立した女性はかわいくない。
自立した男性もかわいくない。
他人とは違う信念をもてば、自動的になれ合いからは脱皮する。
本書から見えるのは、男性論だけではない。
甘えを許容し、互いに傷を舐めあうわが国の、精神構造までもが透かされている。
そう考えると、日本的な甘えも相手にせざるを得ず、
男性の自立よりも女性の自立のほうが、数倍も困難だと判る。

 おそらくゲイだろうと思われる筆者だが、ゲイであるがゆえに見えてくる視点でもある。
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006
礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987
プラトン「饗宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002
東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994

バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985

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