匠雅音の家族についてのブックレビュー    男の凶暴性はどこからきたか|リチャード・ランガム、ディル・ピーターソン

男の凶暴性はどこからきたか お奨度:

著者:リチャード・ランガム&ディル・ピーターソン
三田出版会、1998年  ¥2400−

著者の略歴− リチヤード・ランガム:ハーバード大学人類学教授、オクスフォード大学卒ケンブリッジ大学、ミシガン大学などを経て現職。霊長類の行動に関する研究分野の世界的な第一人者。 デイル・ピークーソン:作家・フリーライター、多様なテーマでの著作が多数ある

 最近の社会は物騒になった、凶悪犯罪が多発するようになった、と警察やマスコミは騒ぎ立てる。
凶悪な犯罪はあっては困るし、平穏な社会が望ましいのは言うまでもない。
しかし、凶悪犯罪は激増していないし、殺人事件に関しては半減している。
1956年には殺人事件は2862件あったが、1996年には1242件である。
しかも、犯人が20歳代であるのは激減しており、代わって増えているのは高齢者による殺人である。
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 時代がすすむと人間は凶暴さを、失っていくとは限らない。
進んでいるように見えるアメリカでは、わが国よりはるかに高い殺人件数が報告されている。
人間だけが同種を殺すといわれてきたが、チンパンジーも仲間を殺すし、ゴリラもライオンも自分たちの子供を殺すことが判ってきた。
未開社会は平和だとのイメージがあり、マーガレット・ミードはサモアが平和な自然の楽園だと書いた。
しかし、実態はサモアも暴力がはびこる社会だった。

 本書は動物の生態から、人間のしかも男性の凶暴さを、論証していこうとする。
まず、男性と女性を比較した場合、女性より男性のほうが明らかに凶暴だ、との認識から出発する。
最近では、凶暴な女性も生まれてはいるが、おおむね男性のほうが凶暴だと考えて良いだろう。
その理由を、筆者次のように考える。

 父系、つまりオスの結びつきに基づいた集団を形成し、近親交配のリスクを減らすためにメスが近隣の集団に移籍して、そこのオスと配偶関係を結ぶという動物はきわめて少ない。オスが結束した社会をもち、オス主導の激しいなわばり争いのシステムがあり、隣接集団に侵入襲撃をしかけ、攻撃しやすい敵をみつけて殺すという動物は二種しかいない。このような行動をするのは、4000種の哺乳類、あるいは1000万種以上もあるほかの動物のなかで、チンパンジーと人間だけなのである。P46

 そして、人間社会を見回して、次のように言う。

 血縁の男たちがコミュニティを防衛するという制度は、人間の世界に共通する制度であり、時と場所にかかわらず確固たるパターンを確立している。P47

 部族間の戦いというのは、生存のためのなわばりをかけていたこともあろう。
人間に限らず動物たちは、生存可能な最低面積がある。
それを確保するために、命をかけて闘うのが生き物の宿命であり、適者生存の原則だった。
環境に適したものだけが、生き残ってきた。
確かに女性戦士というのは少なかったが、その理由は簡単に説明がつく。
男性は女性よりも体が大きいうえに、骨の密度や筋肉の付き方も、男性のほうが多い。

 近代兵器の場合はそのほとんどが化学的な爆発を動源にしているため体格の差はあまり大きな意味をもたないが、伝統的な武器の場合は話がちがう。伝統的な武器はおもにテコの原理を使って貫通力を増し、敵に致命傷を負わせようとするものであるから、もともとの上半身の力の差がさらに強調されるのである−むろん、もともとの差だけでも相当なものである。したがって女性戦士はまれだった、おそらく男性ほどは役に立たなかったからだろう。P155

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 人間同士が殺しあいをするのは、もちろん否定される。
戦争より平和のほうが、好ましいのは言うまでもない。
しかし、人間は戦争をしてきたし、争いの解決方法として、武力を用いることは消滅しない。
武力を否定したり、男性を非難したところで、問題を解決したことにはならない。
なぜ暴力を行使するのかの原因究明が、平和な社会をみちびく道程である。

 男性たちが闘ったがゆえに、その社会は維持されてきたのだし、その恩恵は闘わなかった女性も享受する。
ライオンたちの行動は印象的である。
集団を率いていたオスが、集団外からきたオスに敗れて、群れのリーダーがかわると、新リーダーのオスはそれまでいた子供を殺してしまう。
自分の子供を殺されたメスは、新リーダーに抵抗するかと思えば、現実は反対である。
子供を殺されたメスは、新しいオスに媚びを売って、ただちにすり寄る。
そして、メスは自分の遺伝子を残すために、新たなオスの子供を身ごもる。

 動物の行動を解明したところで、男性の凶暴さが完全に判るわけではないし、凶暴さが減るわけでもない。
しかし、人間も動物であるから、動物社会に暴力の源を探すのは、あながち無駄ではないだろう。
上記のような例から考えると、実際に暴力をふるうのは男性であっても、女性も男性の暴力をある面では支持していた、と考えるほうが自然である。
というのは、男性だけが社会の構成員ではないから。
 
 女性は暴力を望んではいない。女性はデーモニックな男に特有の行動の多くを嫌っている。だがこれと矛盾することだが、男のデーモン性と関連する資質や行動がまとまったもの巧みな攻撃、支配的な態度や支配力の誇示などに、きまって魅力を感じる女性は多い。男性も女性も、デーモニックな男が成功しつづけるシステムに積極的に加担しているのだ。デーモニックな男を中心に結ばれた進化の結び目をほどくには、男と女という二本の糸を両方ともほどかなくてはならない。P319

 暴力それ自体は決して歓迎されるものではない。
しかし、暴力を支えるのと同じものが男性の魅力でもあり、それが今までの社会を切りひらいてもきた。
暴力だけを取り出して、暴力だけを否定することは、きわめて難しい。
暴力を否定すると、男性の活力までをも、否定することになりかねない。

 原始的な武器で闘った時代なら、暴力もおおきな問題にはならなかった。
この時代には、暴力の行使には限界があり、一定のところで歯止めがかかっていた。
問題は暴力をもった男性が、賢い頭脳をも併せ持っていることだ。
賢い頭脳が生みだした近代兵器は、肉体の暴力を何万倍にも拡張する。
女性の細指でも簡単に大量殺人が可能な近代では、暴力を飼い慣らさないと人間社会の破滅になりかねない。
暴力のコントロールは不可避である。    (2002.7.5)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
H・J・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう:フロイト帝国の衰退と没落」批評社、1988
櫻田淳「『弱者救済』の幻影:福祉に構造改革を」春秋社、2002

ジョルジュ・ヴィガレロ「強姦の歴史」作品社、1999
R・ランガム他「男の凶暴性はどこからきたか」三田出版会、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
斉藤学「男の勘ちがい」毎日新聞社、2004
ジェド・ダイアモンド「男の更年期」新潮社、2002
ジョージ・L・モッセ「男のイメージ」作品社、2005
北尾トロ「男の隠れ家を持ってみた」新潮文庫、2008
小林信彦「<後期高齢者>の生活と意見」文春文庫、2008
橋本治「これも男の生きる道」ちくま書房、2000
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
関川夏央「中年シングル生活」講談社、2001
福岡伸一「できそこないの男たち」光文社新書、2008
M・ポナール、M・シューマン「ペニスの文化史」作品社、2001
ヤコブ ラズ「ヤクザの文化人類学」岩波書店、1996
エリック・ゼムール「女になりたがる男たち」新潮新書、2008
橋本秀雄「男でも女でもない性」青弓社、1998
蔦森 樹「男でもなく女でもなく」勁草書房、1993
小林敏明「父と子の思想」ちくま新書、2009

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