匠雅音の家族についてのブックレビュー    <後期高齢者>の生活と意見|小林信彦

<後期高齢者>の生活と意見 お奨度:

著者:小林信彦(こばやし のぷひこ) 文春文庫2008年(2004年)¥581−

 著者の略歴−1932年、東京生れ。早稲田大学文学部英文科卒業。翻訳雑誌編集長から作家になる。2006年、「うらなり」で第54回菊池寛賞受賞。主な著作に「唐獅子株式会社」「ちはやふる奥の細道」「袋小路の休日」「おかしな男 渥美清」「東京少年」「丘の一族」「決壊」「映画が目にしみる」「名人志ん生、そして志ん朝」「昭和が遠くなって 本音を申せば」「日本橋バビロン」「映画×東京とっておき雑学ノート 本音を申せば」「定本 日本の喜劇人」などがある。
 本書は下記のように、3部構成になっており、書名は第一部からとられている。

第一部 <後期高齢者>の生活と意見
第二部 趣味がなければ生きられないので、たとえば読書を
第三部 昭和と東京

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 後期高齢者という言葉が、無神経で人をバカにしたものだという反応は、巷に溢れている。
前期高齢者のボクとしては、まだ実感がない。
言葉の問題より、健康保険のシステムが変わることが問題だろう。

 健康保険は健康な人が、病気や怪我になって人を支えるものだ。
だから、老人だけで健康保険を作ったら、保険料が高くなるのは当然のことだ。
また、老人になれば、職業に就いていないことが多いから、源泉徴収ができなくなる。
保険料の徴収利が下がるのも、また目に見えている。
そこで役人たちは、<後期高齢者>という集団をつくって、年金から保険料を天引きしようとしたのだ。

 筆者は物書きだから、定年がない。
定年のない人間には、いつまでも収入があるから、保険料は高くなる。
不平もでようというものだ。
たしかに年金問題について、サラリーマンたちからの声をあまり聞かないように感じる。


 すでに定年退職したサラリーマンたちは、厚生年金に加入していたら、優雅な年金生活を送っている。
戦後の復興を支えたのは、すべての日本人なのだが、国はすべての日本人を主な労働者とは見なしていなかった。
年功序列と終身雇用制度のあった大企業の労働者だけが、保護にあたいする主な労働者だったのである。

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 定年のない職業に就いている人間は、国の保護対象ではなかった。
物書きはもちろん、職人、自営業者などは、国策の対象ではなかった。
だから厚生年金とちがって、国民健康保険は制度としてあるだけで、それで老後の生活をさせようなんて気はなかったのだ。
生涯保険料を550万円くらい徴収しただけで、老後の生活を保証するほうが無理だろう。

 厚生年金加入者だったサラリーマンは、保険料をもっとたくさん徴収されてきた。
しかも、サラリーマン本人の支払った額と同額が、企業によって負担されていた。
そう考えれば、国は基本戦略をもっていたのだ。
筆者の怒りはわかるが、厚生年金から外れてしまった人たちの老後が、難しくなってきたというのが事実ではないだろうか。

 こう言ったからといって、すべての老人に早く死ねといっているのではない。
むしろ定年という制度をやめて、いついまでも元気で働く環境をつくるべきだと思う。
そして、何より年齢秩序を突き崩すべきである。
長い経験があるという理由だけで、手厚くもてなされる職場環境は、やはり早急に改めるべきだろう。
男女差別が解消に向かいつつある現在、年齢秩序を放置することは、誰のためにも良くないことである。

 定年制度をやめて、働きたい人には働いてもらい、そして、死にたい人には、快適な環境を用意する必要がある。
近代は死を最悪のものと考えているが、良く生きた人には死は最悪のものではない。
現在問題なのは、良く死ねないことではないだろうか。
生まれるのは本人の意思ではないが、死は本人の意思に任せたらどうだろう。

 筆者は物書きなのだから、労働者たちの話とちょっと違うようにおもう。
ある高名な落語家が、「落語はあってもなくってもいいのではなく、なくってもなくってもいいものだ」と言っていた。
いわゆる虚業産業につく人間というのは、よほど生き方を自覚しないと、状況に流されてしまう。
ボクの仕事である設計屋も、虚業産業だから、気をつけなければと自戒する。

 第三部の昭和と東京に、注目すべき記述があった。

 1945年8月の敗戦によってアメリカ文化が日本に入ってきたという俗説は、瀬川氏の本と色川武大氏の『唄えば天国ジャズソング 命から二番目に大事な歌』によって軽く一蹴される。アメリカ文化は東京の下町に流れ込んで、独自の大衆文化(アメリカ文化の東洋化=ほとんど「プレードランナー」の世界)を、戦前に、すでに作り上げていた。それは、フランス料理が下町独特の<洋食>に化けてしまった事情と似ているかも知れない。P165

 明治に近代化に踏みだした以上、戦前にはすでに欧化が始まっていたのは当然である。
戦後になって、占領軍がアメリカ文化を持ち込んだというのは、半分あたりで半分はずれだろう。
占領軍がはじめてアメリカ文化を持ち込んだのではなく、近代化に踏みだした時に、アメリカ文化が流入し始めたのである。

 輸入物は高価だったから、庶民の手にはいるようになったのが、大正・昭和になってからというのが真相であろう。
筆者の発言は正当である。    (2009.1.31)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
森岡正博「生命学に何ができるか」勁草書房 2001年
H・J・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、 1981

ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970

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