著者の略歴−1934年生、2007年没。建築家・都市計画家。日本芸術院会員、日本景観学会会長。1957年京都大学工学部建築学科卒業。1964年東京大学大学院樽士課程修了。60年代から捷唱している「共生」は時代のキーワードとなり、海外でも大きな反響をよんでいる。主な建築作品に「中銀カプセルタワー」「福岡銀行本店」「国立民族学樽物飽」「国立文楽劇場」「名古屋市美術館」「奈良市写真美術館」「広島市現代美術館」「和歌山県立近代美術館・博物館」「パシフィックタワー(パリ)」「クアラルンプール新国際空港(マレーシア)」「ヴァン・ゴッホ美術館(オランダ)」「グランキューブ大阪(大阪府立国際会議場)」「大分スタジアム」「豊田市スタジアム」「日本看護協会原宿会館」「長崎歴史文化樽物飽」「国立新美術館」などがある。都市計画では愛知県瀬戸市の「菱野ニュータウン」や禅奈川県藤沢市の「藤沢ニュータウン」などのはか、海外でもカザフスタンの新首都アスタナや、中国河南省の新都市・鄭東新区、シンガポールの実験特区ワンノースの中核施設三棟の超高層を連結したフエージョンポリスなどを手がける。主な受賞は「高村光太郎賞(1965)」「毎日芸術賞(1978)」「フランス建築アカデミーゴールドメダル(1986)」「リチヤード・ノイトラ賞(1988)」「世界建築ビエンナーレ・グランプリ・ゴールドメダル(1989)」「フランス芸術文化勲章(1989)」「日本建築学会賞(1990)」「日本芸術院貧(1992)」「東京都民文化栄誉賞(1999)」「国際都市賞(2002)」など多数。著書に『持市デザイン』『ホモ・モーベンス』『ノマド(新遊牧騎馬民族)の時代』『新・共生の思想』などがある。 建築家は貧乏と相場が決まっている。 にもかかわらず、芸術院会員の筆者はお金持ちで、しかも美人の奥さんがいてと、嫉妬の対象になったのだろうか。 筆者には胡散臭いイメージが付きまとい、損な人だった。
国内でもたくさん作っているが、建築家としては、国内にはそれほど有名建築はない。 筆者の本領は、海外である。 しかも、建築の単体よりも、都市計画といった方面には、大きな実績を残した。 本書では、筆者の考える都市の根底を支える思想が、大枠で語られている。 <共生>とは良く聞く言葉で、筆者も自然との共生とか、語ってやまない。 筆者に好感をもつのは、時代を見る目がしっかりしていることだ。 まず、時代がこう変わっていくだろう、だから、こう対処すべきだという。 多くの人が、こう変わって欲しいと語るのにたいして、筆者は冷静に現実を読もうとする。 しかも、定住人口にもとづく地域コミュニティという考えを採らない。 「コミュニティを問いなおす」とちがって、これには大賛成である。 日本は、農村社会から、突然大都市の時代を迎えることになったが、その際に「自我の確立」という過程があったのか非常に疑わしい。どうもその時代を飛び越えて、農耕社会的人間関係のまま都市化してしまったのではないか。いま個人の時代になり、情報化社会が出現し、激しく移動するホモ・モーベンスの時代になって初めて、日本人は自我を確立し、新しい都市の市民社会をつくっていくことができるのではないか。 いま都市は、そこに住む夜間人口のみでその実体を論ずることはできない。通勤、通学、観光、訪問、商談など、回遊し循環する昼間人口によっで、都市の実体は大きく左右される。その都市に住む定住人口(夜間人口)ばかりではなく、都市を訪れるあらゆる人にとって魅力的な都市。多様な価値観を持つ人々が集まることのできる都市。国際的に知られた才能のある人が、住んでみたい、行ってみたいと思うような都市。このような都市こそが発展を続けることになるだろう。P80
まず、自我の確立がなかったと自覚することが、どうしても必要である。 そこから他人と違う自己認識を獲得する経路が生まれるだろう。 地域コミュニティではなく、時間コミュニティだという。 筆者は、定住人口だけに注目しないし、海外からも移り住んでくれるような都市をめざしている。 日本人だけを対象にした都市論は、結局、閉鎖的であるがゆえに後ろ向きで、衰退的になる。 筆者の言うようには共生が簡単にはできるとは思えないが、一つの思想を掲げてみないと、具体案は出てこないものだ。 現実からだけ読みとるのでは、バラバラなままであり、対処方針はたたない。 筆者のすべてに賛成するわけではないが、海外で評価され、国内で無視される筆者に、世界性を見る思いがする。 筆者の時代を見る目は、当サイトと基本的には同じである。 少子化問題、労働力不足そして日本の経済力の行方と直接リンクして論じられるなど、ここでも少子化を経済問題としかとらえない日本の経済至上主義が露骨に示されている。アメリカの就業者の構造を見ると、その主役の座は20世紀の初めに農業から製造業・工業へ、20世紀後半(1960年頃)に製造業からサービス産業へ移行した。そして21世紀の前半(2010年頃)にはサービス産業から「創造産業」(著作権産業)へと主役の座が移行するだろう。この傾向はアメリカばかりではなくヨーロッパでも日本でも先進国では共通の潮流となるだろう。 とすれば少子化イコール労働力不足・経済の衰退という図式には大いなる疑問を感じる。P90 工業社会から情報社会へと転じ、それにつれて、労働の価値が頭脳労働へと変化する、と当サイトは考えている。 頭脳労働とは、筆者の言葉でいえば、「創造産業」である。 しかも、創造の源は、都市だという。 これも当然だろう。 農業が工業の助けを借りて、生産量をのばしたように、工業も情報産業の手助けが必要である。 とすれば、人材は都市で育つのであり、農業も都市的な発想が支えていくのだ。 定住人口を問題にするのではなく、人材を見よと筆者は言う。 人間を工業社会的な労働力とみれば、若い男性がもっとも好ましい。 しかし、頭脳労働=創造的労働では、人間に違いがあるほうが良い。 今後の生産性を支えるのは、発想力・想像力である。 とすれば、屈強な肉体は不要であり、非力さは問題にならない。 だから、男女差別があっては才能を開く妨げになるし、年齢秩序は若い才能を押しつぶしてしまう。 誰でもが横並びの人間関係こそ、情報社会で必要とされている。 国際コンペを勝ち抜いた運と、国内での低い評価は反比例しているようだ。 しかし、我が国では、国内で評価の高い人と、海外で評価の高い人は、両立しないのかも知れない。 我が国の将来が暗いように感じる。 (2009.11.4)
参考: ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981 野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996 永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993 服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001 エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000 高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008 矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007 黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997 李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983 ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999 武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967 ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001 R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001 平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009 松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社) 匠雅音「家考」学文社 広井良典「コミュニティを問いなおす」ちくま新書、2009 バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985 瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001 西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001 アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 会田雄次「アーロン収容所」中公新書、1962 今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004 レナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」毎日新聞社 2007 岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」講談社文庫、1998 山本理顕「住居論」住まいの図書館出版局、1993 古島敏雄「台所用具の近代史」有斐閣、1996 田中琢&佐原真「発掘を科学する」岩波新書、1994 臼田昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982 清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002 編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002 邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000 中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009 山際素男「不可触民」光文社、2000 潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994 須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989 宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001 川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990 ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973 阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991 ハワード・ジン「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」あすなろ書房
|