匠雅音の家族についてのブックレビュー   犬の記憶|森山大道

犬の記憶 お奨度:

編著者: 森山大道(もりやま だいどう) 河出文庫、2001  ¥740−

 著者の略歴−1938年大阪生まれ。高校中退後、デザイナーから岩宮武二、細江英公の助手をへて、1964年独立。写真の概念を刷新する比類のない作品群は、第一線で活躍する写真家の、最も重要な一人としてあげられ、写真界にとどまらない強い影響力をもつ。写真集に『にっぽん劇場写真帖』『狩人』など多数。

 写真界では、筆者は有名人である。
1984年に朝日新聞社から、本書は上梓された。
当時、筆者は46歳だった。
しかし、その人の作品を評価するのであって、生き方を評価しているのではない。
にもかかわらず、有名になった人は、どうして自分の過去を語りたがるのだろうか。
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 筆者の写真は、それまでの正統的なピントがあって、どこまでもシャープなものを良しとする流れとは、まったく違う。
表面はざらざらだし、時にはブレていたり、とにかく汚いのである。
しかし、それが時流にあった。

 筆者は現代写真界の一翼を占めている。
たしかに出来上がった体制を壊すのは大変だし、破壊なくして創造はない。
だから筆者の写真活動には、それなりの意義を認める。
筆者の写真の評価はおくとして、本書のような自叙伝は、どうもいただけないのである。

 筆者は、岩宮武二氏と細江英公氏に師事して、1964年に26歳で独立している。
1960年代は、わが国が高度成長期にあり、活気があふれていたときだった。
時代はまったくの工業社会で、農業から都市へと人がさかんに動いていた時代だった。

 経済活動の活性化は、人々の気分を高揚させはするが、精神状態を変えることはない。
本書を読んでいると、当時の人々がきわめて農耕的な心性だったことがわかる。
つまり人間に上下関係が染みついており、すこぶる叙情的なのである。

 ふるさと、古里、故郷、どう書いてもどう読んでみても、またどうつぶやいてみてもその語感は甘く優しい。故郷を大切に、素直に愛おしく思っている人もいるだろうし、反対に、煩わしく疎ましく考えている人もいるだろう。しかし、いずれにしても故郷を離れた人々は、たとえどのようなかたちであれ望郷の念を持たない人はひとりもいないだろう。P75

 こんなことを言うのは、土地と結びついた生活が基盤にある人たちである。
つまり農業をやっていれば、土地と結びつかざるを得ない。
農業が主な産業である社会では、農業に従事することが主流であり、農業的価値観がその社会を支配している。
だから、その土地を離れることは、農業との結びつきが切れることとして、人は体感する。
土地との結びつきの具合が、故郷との結びつきである。
工業化した社会に生まれた者には、望郷の感覚はない。

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 わが国の農業人口は、太平洋戦争の時に50%になっていた。
しかし、全体人口の伸びに支えられていたので、農業人口の実数は増加していた。
農業人口が実数として減少しはじめたのは、1960年になってからだったのである。
だから、この年あたりまで、農耕社会的な心性が充満していた。
都市へ流入してくる人は、農村部出身者だったから、都市を農村的な心性がおおったといっても良い。

 当時の僕のなかの東京といえば、やはりなんといっても銀座であり有楽町だった。映画や歌や小説のなかの有楽町や銀座は、僕に都会的でスマートでムーデイーなイメージをあたえつづけていた。少しまえに大ヒットした、フランク永井の甘くソフトなバラード「有楽町で逢いましょう」は、そんな東京への思いをひたすら僕につのらせた。P215

 めざしていた写真のグループが解散して、東京へでてきた筆者は茫然とする。
そして、偶然にも細江英公氏の助手になる。
このあたりも徒弟制度そのものである。
徒弟制度ののこる写真界は、古い体質から抜け出せないでいる。
写真家を養成する組織がない。
それはいまだに続いている。
写真学校はあるが、卒業しても徒弟修業が待っているのが現実である。

 写真の評価を得るのも、偶然というか、コネ頼みである。
表現されたものを、表現された範囲で、人間関係から離れて評価する。
そんな空気はまったくない。
人間関係で可愛がられなければ、写真を見てもらえない。
そして何より、仕事がこないのである。

 全部のプリントから70枚を自選して丁寧にスポットをして仕上げた。そして僕には鮮烈なフォトジャーナリズムの奔流を自在に繰作している仕掛人たるひとりの人物の名が分かっていた。細江さんの助手のころ二、三度面識があり、僕を「細江クンとこの坊や」と呼んだ編集者であった。僕ははじめから、その人ひとりに向けて撮り、70枚のプリントを作ったのである。P231

 筆者の幸運は、ここから開けてくる。
しかし、この編集者との対応は、年齢差もあるのだろうが、うんざりするほどの上下関係である。
表現者と編集という横並びではない。
この時代、封建的な匂いが、まだ日本人には染みついていた。
写真界の風雲児といわれたこの筆者にして、およそ近代的感性からはほど遠い。

 2000年を超えてやっと、新たな心性をもった都会人達が、生まれていると言っていいだろうか。
それとも、いまだ我が国には都会人が存在しないのだろうか。
人間を上下の関係ではなく、横並びの関係として見たいものである。
 (2003.11.21)
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参考:
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001年
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

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