匠雅音の家族についてのブックレビュー    ジャパニーズ・オンリー−小樽温泉入浴拒否問題と人種差別|有道出人

ジャパニーズ・オンリー
小樽温泉入浴拒否問題と人種差別
お奨度:

著者:有道出人(あるどう・でびど) 明石書店、2003年   ¥1800−

 著者の略歴−1965年、アメリカ・カルフォルニア州生まれ。87年、コーネル大学政治学学士取得、91年カルフォルニア大学サンディエゴ校商学修士(MBA)取得。93年より北海道情報大学教員。86年に初来日、2000年に日本国籍取得。98〜2001年まで、全国語学教育学会の「PALE Journal」誌で編集長を務める。これまでに日本語原稿として「民主党さっぽろ」「心の健康」などに、英文ではJapan TimesやJapan Todayなどに多数寄稿。著書に「CAN WE DO BUSINESS」「SPEAK YOUR MIND」など。URL:http://www.debito.org/nihongo.html

 小樽市にある公衆浴場が、すべての外国人を入店禁止にした。
国籍による差別である。
この差別は、「日本人のみ」=外国人お断り、つまり国籍を根拠にした差別のように感じる。
しかし、じつは外見による差別だった。人種差別は憲法に禁止規定がある。

 国籍差別は禁止規定がない。
この差別を止めさせる方法がなかった。
入店を拒否された顛末から、裁判に至る過程を書いたのが本書である。
本書はもっと早く取り上げるべきだった。
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ジャパニーズ・オンリー

 本書の争点は、2つある。
第1は、外国人(=日本人以外の風貌)という理由で、入店拒否することが、営業の自由として許されるか。
第2は、差別的な営業を、小樽市=行政(+国)は放置して良いのか、である。
当サイトの結論からいうと、第1の点は、差別を理由にした営業の自由は認められない。
第2の点は、行政も立法も差別解消のために、可能な限りの手立てを尽くす法的な義務がある、と考える。

 人種差別は世界中にある。
大量の肉体労働が不可欠な社会では、人種差別は農業などの基幹産業を支えるので、肯定されてきたのが歴史である。
肉体労働が優位する社会では、差別を認めることが正義である。
しかし、人種差別を認め温存することは、個人を解放せず、頭脳労働においての生産性を引き下げる。
人種差別を止るというのが、情報社会での常識である。
そのため先進国では、人種差別禁止を定めている。

 他の先進国の場合、外国人がこういう差別待遇を受けたら、法律で保護される。でも先進国のlつであるこの日本は、外国人を差別から保護する法律がほしくないみたい。まあ、この「JAPANESE ONLY」というルールをはじめとする外国人差別のルールは、「日本人」とは関係なく、外国人だけに関わるものだから、どうでもいいのではないのか、と日本人には思われているのだろうか?P12

 雇用の機会均等法が、男女平等条約を批准するために、定められたことは周知である。
つまり国内的な必然性があって、雇用の機会均等法ができたわけではない。
いまだに、我が国のフェミニズムが、専業主婦を守ろうとするのを見ても判るように、
男女差別の撤廃を求める国内的な必然が薄い。
差別廃止を不可避としない事情が、外国人差別の背景にはある。

 我が国の近時の歴史を見ても、人種差別=国籍差別の激しい国であろう。
特にアジア人差別は、相当に根深いものがある。
アジア人に対するアパート入居拒否は、すでに大きな問題になっているが、人の口に上らない。
また、白人とりわけ英語を母国語とする白人にとって、我が国が天国であるという逆差別も、
周知であるが口にされることが少ない。
差別は入浴問題だけではない。

 白人を対象とした差別だから、しかも、彼が訴訟までおこしたので、差別の事実は白日の下に曝された。
ことの発端は、ロシア人船員が公衆浴場に来て、入浴のルールを守らず、
それを不快に感じた日本人客が、公衆浴場に来なくなった。
そこで、この公衆浴場は、ロシア人だけを拒否するのは差別だからと、外国人を一律に閉め出したのである。
マナーの悪いロシア人船員に、個別的に個別的に注意すればいい、といのが正論であろう。
一律に国籍=人種をもって、入店拒否は許されるはずがない。

 地元では大きな問題になり、いろいろと騒動があった。
しかし、行政は、「個人には営業の自由があり、行政はそれを侵すことができないので、公衆浴場の差別的営業には手出しができない」「差別を止めさせる法律がない」という。
また、裁判所は次のように言って、行政を正当化する。

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 地方公共団体である被告小樽市は、差別撤廃条例等の条例の制定については、憲法、条約及び法律によって一定内容の条例を制定すべきことが一義的に明確に義務づけられているような例外的な場合を除いて、国会による立法と同様に、市民全体に対する関係で政治的責務を負うにとどまり、個別の市民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではない。(中略)本件入浴拒否のような人種差別を禁止し終了させるために地方公共団体である被告小樽市がとりうる施策は限られており、また、これらの施策が必ずしも有効であるとは限らない。そして、どのような施策をとり、これをどのように実行するかは被告小樽市の裁量に委ねられているものというべきである。P240

 憲法が名宛人としているのは、直接的には国や地方自治体である。
だから、憲法の規定は、原則として私人間には適用されない。
しかし、奴隷的拘束の禁止(18条)や児童酷使の禁止(27条)は、私人にも直接適用される。
人種による差別は、14条で禁止されている以上、国や公共団体は差別を撤廃する義務がある。

 人種差別を放置しているのは、不作為という立法の怠慢であり、
この不作為は意図的に立法しないのと、まったく同じである。
国は憲法に促され、差別を禁止する義務がありながら、立法しないのは不作為という犯罪である。

 営業=職業の自由が保障されているから、行政は手が出せないと言うが、
産業育成という形で行政は、職業の自由を踏みにじってきた。
今まで存在してきた職人たちは、行政の犠牲になったといっても過言ではない。
たとえば、桶屋はプラスティックのポリバスに駆逐された。
生糸はナイロンに駆逐され、養蚕業は消滅した。
新規産業の育成の影で、他の職業はその自由を奪われている。

 新たな産業を育成することは、より多くの人が生活できることに繋がる。
だから、桶屋や養蚕業の消滅に、行政が加担していることは非難しない。
ここで問題にしたいのは、人種差別を消滅させることは、
今後の産業を推進する上で、不可欠だと言うことなのだ。
男女平等が情報社会化に不可欠なように、人種=国籍差別があると産業が発展しない。
だから、営業の自由の基礎として、人種差別を認めてはいけないのだ。

 身分保障の確立した裁判所は、三権分立の陰に隠れて、行政や立法機関にきちんと対応しない。
何を立法するかは、国会の裁量の範囲だと言って、立法不作為を指弾しない。
法律に基づいて行政はなされるから、差別禁止の法律がない以上、行政は民事に介入できないと言う。
国家機関は互いにかばい合う。
国家機関同士は互いに領土不可侵としながら、裁判所は民事には介入する。
 
 本件でも、公衆浴場への損害賠償を、認める判決を出している。
しかし、公的機関には何の指弾もない。
裁判所とは、民主的な手続きの上に成り立っているのではないがゆえに、
少数者の基本的人権を守る使命がある。
立法や行政に下駄を預け、立法や行政を批判しなかったら、裁判所の存在意義はない。
アメリカの裁判所は、良くも悪くも人権の砦たろうとした。
我が国の裁判所は、対国家機関に対しては、まったく無力である。
判決に対して、本書は次のように言う。
 
 市議会には人種差別を禁止する義務があるが、法制化する義務はない、ということです。これは非常に大きな矛盾だと感じざるを得ません。この判決の骨子は「この差別は違法であるかないか」なのに、「人種差別を撤廃(あるいは禁止)する法がないので、やむを得なく不法行為であるかないかは司法が裁かなければならない」。けれども、この判例は「公権力の1機関である市は法を作る義務がない」との悪循環を制定しています。P246

 三浦和義氏は「弁護士いらず」で、民事裁判への信頼を口にしている。
しかし、憲法裁判や行政裁判では、裁判所は自分の役割を放棄するための論理を、無理矢理に作っているとしか思えない。
少数者の人権を守るところは、裁判所以外どこにもない。
人権とは多数決によって支えられるのではなく、時代の先を読む理念によって支えられる。
大衆の望む方向での判決しか書かないのなら、裁判官の身分保障は不要だし、立法や行政が裁判をすれば良い。

 外国人の犯罪キャンペーンが、マスコミで繰り広げられているが、
犯罪が減っているのと同様に、事実と違う作為的なものだ。
この50年で殺人事件は半減した。
外国人の犯罪も、1999年をピークに、減少している。
本書が教えるのは、単に入浴問題だけではない。
差別の撲滅は、次の時代の産業が求めている。

 自由を謳歌した大正デモクラシーから、戦争への道はたった10年とかからなかった。
情報社会に対応しないと、かつてのように世界に生活の場を失っていく。
人種差別を禁止することは、産業の育成なのだ。
だから国は早急に、人種差別禁止の法律を作る必要がある。
本書は入浴拒否問題を扱いながら、
今後の我が国が進まなければならない方向を示している。   (2004.2.6)
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参考:
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年

芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001
鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005
高沢皓司「宿命」新潮文庫、2000
見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、2000
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006
足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005
三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003
浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005
山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005
佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001
管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007
浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004
藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001
ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008
小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001
芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987
D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004
河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004

河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009

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