著者の略歴−1940年生まれ。早稲田大学文学部中退。独立の編集者として、長年美術・浮世絵関係の出版物の企画・編集に携わる。主な著書に『江戸の春画』『春画の謎を解く』(いずれも洋泉社・新書y)、『江戸の吉原廓遊び』(学研)、『春画で読む江戸の色恋』(洋泉社)、編著に『カラー版江戸の春画@・喜多川歌麿』(洋泉社・カラー新書y)、共著に『浮世絵春画を読む』(全二巻、中公叢書)、『春画・江戸ごよみ』(全四巻、作品社)、『江戸の色と恋−若衆好み』『色好み江戸の歳時記』(いずれも学研)がある。 男色とは女色に対する言葉だが、男性同士の性関係をいう。 では女色とは、女性同士の性関係をいうかと言えば、そうではない。 男性と女性との性関係をいう。 女性が主体的に行動する性関係を表現する言葉はない。 今まで女性は性の主体にならなかった。 本書は、男性同士の性関係を渉猟しながら、江戸の性関係を描いている。
我が国では多くの論者が、男性同士の性関係を同性愛という言葉で、一括りにしている。 ホモもゲイも一緒くたにしている。 しかし、本書はホモとゲイを別物と考え、その内実をきっちりと分けている。 同性愛について、本サイトが主張するのと同じ見解をみるのは、本書が始めてである。 広い意味での男色は古代中国にもあり、ギリシア・ローマの古代都市にもあった。必ずしも日本だけの特殊事情といったものではない。ギリシアでは、年長者の年少者に対する教育的配慮として男色に一定の規制があったが、ローマではすでにそうした規制もなく、権力者たちは、女も男(美少年)も区別なく性の対象とした。(中略) では、日本ではどうだったのかといえば、男が性対象としたのは男であり女でありといった風に、その間に特別の区別を設けなかったようだ。ただし、対象とされる男はもっぱら美少年であって、成人男子間の同性愛はきわめて稀であった。その意味では、日本の男色は「少年愛の歴史」だったといってもよい。 また、江戸時代の男色と現代のホモセクシヤルとの違いについても少し触れれば、ホモセクシヤルには大まかに分けて三つのパターンがあるようだ。 @年少者を相手とする場合、すなわち少年愛といった立場。 A女装したり、性転換をはかったりして女になりきろうとする者(いま風にいえばニューハーフ)と、それを相手として、男女の役割を演じているもの。 B一対の男が、女役・男役の区別なく、特に年齢差も関係なく、対等の立場で愛し合うもの。 以上3つの立場があり、強いていえば現代日本ではAのパターンが多く、欧米ではBのパターンが多いといわれている。 日本での歴史的な男色は、これから見ると@のパターンである。美少年愛が主たるものだが、少年に女装をさせている場合が多く、女色、男色の区別が曖昧なことが多い。P12 長く引用したが、この認識は正しいだろう。 @Aの同性愛は、世界中にいつでも存在した。 ホモとかオカマと呼ばれる同性愛は、人間の上下関係を反映した農耕社会のものだ。 それに対して、Bはゲイと呼ばれ、横並びの近代社会になって始めた誕生した。 近代初期では、ゲイは蛇蝎のごとく嫌われ、平等化が進むにつれて市民権を得てきた。 社会が平等化していないのを反映して、我が国ではBのゲイが少ない。 また少数派だから、ゲイも自立できない。 そのため、Aのタイプが多いというのも頷ける。 わずかなゲイが市民権を得ようとして、@もAもゲイだと扱うので、ますます混乱してくる。 ゲイは情報社会の人間関係の一種で、フェミニズムと同根である。 ゲイを本当に解放するためには、本書のような論理をとらざるを得ない。 しかし、我が国のフェミニズムが、自前で論理を提起できなかったのと同様に、ゲイの当事者ではない者から、論理が提出されている。 図像学といったらいいのだろうか、アリエスの「<子供>の誕生」と同じ手法である。 我が国の学者たちは、こうした分野への論究は疎いようだ。 本書は江戸時代の男色を、浮世絵の分析をとおして展開している。 副題にもあるように、江戸の男色が上方から影響を受け、その後どのように発展し、消失していったかを論じている。 女性も男性を買ったという指摘も頷ける。
江戸時代、男色の相手をしたのは、女形といわれる女装の男性役者だった。 そのため、男色図といわれても、男女の交合図と変わらないように見える。 細かい部分をよく見て、やっと男性同士だと知れる。 こうした歴史があるので、上記のように女装したり、性転換をはかったりして女になりきろうとする者が、我が国の同性愛者だといわれるのかも知れない。 本書は男色を時代に従って、よく腑分けしている。 今後も、参考にさせてもらうが、本書の同性愛に対する認識を何よりも支持する。 何度も記したように、日本の男色は、古くは公家・僧侶の世界で生まれた。そこには、「する側」「される側」に対等な関係がなく、年齢差の他に身分差もあったようだ。 このように、「する側」「される側」とが截然と分かれ、「される側」が年少者であるという点では、日本の男色も、古代ギリシアのいわゆる「少年愛」とそう違わないことになる。 しかし、ギリシアでは、少年が成年に達すると、「される側」から「する側」へと回り、世代交代が行われる。その点が日本との違いか。 ギリシアでは、「する側」「される側」の間には身分差がなく、年齢差による年少者への教育といった側面があったことはすでに触れた。そのために、一定の年齢に達すると、「される側」が「する側」へと役割交替が起きるのである。P238 「少年への性的虐待」を待つまでもなく、少年愛はいまでは犯罪だろう。 本書でも述べられているが、少年愛の対象=陰間になったのは、13〜4歳から17〜8歳のあいだだという。 男性が相手として好んだのは年少者で、女性が好んだのは年長者だという。 これも頷ける話である。 挿入する対象として自分より劣位の者を愛するのが、歴史上かわらない成人男性の性的嗜好だったとすれば、男性が変声期前の年少者を好むのは自然である。 まだ性別のはっきりしない中性的な男の子が、成人男性の相手になった。 そして、男性器を自分に挿入させ、勃起力を堪能するのが女性の性的嗜好だとすれば、男性器が大きくなった17〜8歳の、最も勃起力の旺盛な時期の男性を、女性が好んで買ったのも自然なことだ。 情報社会が進み、人間の横並びが浸透していけば、少年愛は消滅するだろうし、ゲイは自立してくるだろう。 そのときには、ストレートの女性も、大ぴらに性を楽しめるようになっているだろう。 つまり男性も女性も、性交を買えるのだ。 本来なら学者がやるべき仕事だが、優れた仕事は市井の趣味人から生まれるのかも知れない。 (2005.09.20) 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ 参考: アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000 M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002 福田和彦「閨の睦言」現代書林、183 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年 佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995 高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年 佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995 フランチェスコ・アルベローニ「エロティシズム」中央公論 1991 ジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」ちくま学芸文庫、2001 オリビア・セント クレア「 ジョアンナの愛し方」飛鳥新社、1992 石坂晴海「掟やぶりの結婚道 既婚者にも恋愛を!」講談社文庫、2002 梅田功「悪戦苦闘ED日記」宝島社新書、2001 山村不二夫「性技 実践講座」河出文庫、1999 謝国権「性生活の知恵」池田書店、1960 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 プッシー珠実「男を楽しむ女の性交マニュアル」データハウス、2002 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984 生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002 福田和彦「閨の睦言」現代書林、1983 田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999 佐藤哲郎「性器信仰の系譜」三一書房、1995 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006 礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987 プラトン「饗宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002 東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991
|