著者の略歴−大正13(1924)年3月台湾台南市に生まれる。昭和20(1945)年東京大学経済学部卒業。昭和21〜29年台湾と香港にて銀行員、貿易商など国際舞台の第一線で活躍。昭和29年から日本に住むようになり、翌年、小説「香港」にて第34回直木賞を受賞。以来、作家・経済評論家・経営コンサルタントとして知名度が高く、また自分でも多数の会社を運営している。現在、自らが主宰するHPにおいて、毎日連載の「もしQ」を発信。http://www.9393.co.jp/ 著作は『Qbooks』(日本経済新聞社、全25巻)、『西遊記』(中公文庫、全8巻)、『邱永漢ベスト・シリーズ』(実業之日本社、全50巻)など400冊に及ぶ。最新刊は『損をして覚える株式投資』(PHP研究所)、『お金持ち日本喧嘩せず』(庚満堂出版)、町楽観主義のすすめ』(グラフ社)。 非居住つまり日本に住まないすすめ。 アメリカにもリトル東京があり、ブラジルの日系人も有名である。 しかし、どうしたわけか、日本人は海外に住まないといわれる。 そうした風潮に逆らう本書は、金持ちのための本だが、国を考えるのには役に立つ。
高度経済成長の時代が続いたので、国の経済成長と共に生きるのが、習い性になってしまったようだ。 成長期の国は活気があり、日々充実している。 お金持ちになった国に活気があるのではなく、成長中の国に活気があるのだし、人生の充実感があるのだ。 本書からはそれが伝わってくる。 我が国でも高度経済成長期の銀行は、企業を育てようとした。 企業を育てると、貸し出しも増える。 企業が栄えることが、結局は銀行の利益になったのだ。 しかし、成長が止まると、資金需要は減り貸出先もなくなる。 銀行は自分自身の維持だけで、四苦八苦するようになる。 筆者は面白いこといっている。 廃業でなくて、転業ということになると、銀行のアドバイスはほとんど役に立ちません。銀行は自分たちの利益を守ることがまず第一ですから、万が一、銀行に借金がある場合は、掌を返すように冷たい態度に変わります。仮にプラスの勘定になっていても、親身になって相談に乗ってくれることは期待できません。銀行自身が火の車で、人の相談どころの騒ぎではないからです。 昔々、まだ土地神話がまかり通っていた時代でも、銀行の預金を下ろして土地を買う話を持ち込むと、支店長さんは、土地を買って失敗したお客の例を話して反対をしました。預金を下ろして支店の実績にマイナスになるような相談には、すべてノーと言ったものです。 ですから、新しいプロジェクトを実行に移す場合、私は「銀行に相談に行ったら駄目ですよ」と、必ず釘をさすことを忘れませんでした。銀行の人はお金の出し入れに対してはとても神経質ですが、取引先の商売についてはほとんど無知に近いからです。P89 ボクのところにも、銀行員が営業でまわってくるけれど、建築の設計事務所の仕事を理解している人はいない。 銀行から融資を受けるつもりが無いと知ると、あとは銀行からのお願いばかりである。 やれ年金の振込先の予約をしてくれとか、こちらに利益になる話は、銀行のほうから聞いたことがない。
たくさんの取引先がある中で、すべての取引先の仕事内容など知りようがない。 知ることができるのは、お金の出入りだけだ。 銀行に時代を読む力などあるはずがない。 産業育成における、銀行の役目はもう終わったのだろう。 歳をとって、田舎で暮らしたいという人はいる。 また、老後を海外で暮らしたい人もいる。 しかし、定住したくないという人はいないだろう。 筆者は、台湾で生まれ、香港、東京で暮らし、80歳を越した今、また香港や上海で暮らしているらしい。 しかも、最近になって中国の雲南省の昆明で、コーヒーの栽培をはじめたらしい。 元気のいい人である。 我が国は成長期が終わり、国のさまざまな制度が見直される時期にきている。 家族制度はもちろん工業社会の核家族から、情報社会の単家族へと変わらなければいけないが、それ以外にも見直すべきものはたくさんある。 香港政府が贈与税だけでなく相続税までゼロにしたのも、わずかな相続税を徴収するよりも、アジアじゅうのお金持ちのお金が香港に集まってくれるほうが、ずっと香港を豊かにすることに気づいたからです。P113 今年、アメリカは相続税を廃止した。 我が国は生産者に有利な制度を作って、産業の育成をはかってきた。 しかし、この制度は、先進国を真似ることが有利だったにすぎない。 今後は、我が国独自のものを生みだす必要がある。 これはとても困難な道である。 中国のコピー大国ぶりが、しばしば報道される。 しかし、松下電器がマネシタ電器と呼ばれたように、我が国も大同小異だったのだ。 学ぶとは真似ることだから、工業化が始まったばかりの時には、どこの国でもコピーから始まるのだ。 早くから中国大陸に進出したホンダのオートバイはかなりの売れ行きを示すようになりましたが、たちまちコピーされたそっくりさんが、HONDAに一字加えてHONGDAという商標で売り出されたことは、いまも語り草になっています。それもはじめは外見が似ているだけで性能は見劣りしていましたから、お客のほうで見分けてくれるだろう、と放任しておいたところ、性能も格段に改善されたと開いております。P162 かつて松下電気も、ナショナルブランドで電球を売り出したが、良く切れることおびただしかった。 とにかく海外の製品には、まったく歯が立たなかったのだ。 メイド イン ジャパンは、安かろう悪かろうの代名詞だった。 しかし、いまやメイド イン ジャパンは、高品質の代名詞になった。 やがて中国産もそうなるだろう。 労働ビザの問題があって、海外に住むには、いろいろと障害が多い。 しかし、日本人だからと言って、日本に住む必要はない。 「「終の住みか」のつくり方」と比べても、本書の視点は新鮮である。 (2009.10.30)
参考: 六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001 エヴァ・クルーズ「ファロスの王国 T・U」岩波書店、1989 バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985 高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001 瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001 西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001 アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 会田雄次「アーロン収容所」中公新書、1962 今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004 レナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」毎日新聞社 2007 岩瀬達哉「新聞が面白くない理由」講談社文庫、1998 山本理顕「住居論」住まいの図書館出版局、1993 古島敏雄「台所用具の近代史」有斐閣、1996 久家義之「大使館なんかいらない」角川文庫、2001 田中琢&佐原真「発掘を科学する」岩波新書、1994 臼田昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982 下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994 清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002 編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002 邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000 中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009 山際素男「不可触民」光文社、2000 潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994 須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989 宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001 コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社、2002 川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990 ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973 阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991 永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社、2006 ハワード・ジン「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」あすなろ書房
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