匠雅音の家族についてのブックレビュー  日本文化の模倣と創造−オリジナリティとは何か|山田奨治

日本文化の模倣と創造
オリジナリティとは何か
お奨度:

著者:山田奨治(やまだ しょうじ)  角川書店、2002年  ¥1、600−

著者の略歴−1963年大阪生まれ。筑波大学大学院修士課程医科学研究科修了。京都大学博士(工学)。専門は情報学。日本アイ・ビー・エム株式会社、筑波技術短期大学助手などを経て、1996年より国際日本文化研究センター助教授。総合研究大学院大学文化科学研究科助教授を併任。著書に『講座人文科学研究のための情報処理 第4巻イメージ処理編』(共著/尚学社)、『文化資料と画像処理』(勉強出版)がある。
 オリジナルなものを生みだす、つまり何もないところから創造できるのは神さまだけである。
人間にできるのは、神さまが作ったものに、少し手を加えることだけである。
そう考えるのは神を殺した近代人であり、恐れを知らぬ人間である。

 近代にはいるまで、人間たちは神さまが作った世界のなかで、身分秩序正しく暮らしていた。
そこでは神さまの命令に従って、日々が繰り返されており、作られるものは署名されなかった。
だからオリジナリティなど、問題になることはなかった。
しかし、神さまはすべての人間を平等に創ったはずだ、と考えた人が近代という新たな時代を開いてしまった。
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 この「オリジナリティ」というものは、それほど昔からある概念ではない。OED第2版によると、英語の「オリジナリティ」の初出は1742年である。これはイギリスで小説というジャンルが誕生して、著者たちによる権利主張がはじまったころと一致する。ちなみに「クリエイティビティ」の初出はもうすこし時代が下がって、1875年になる。
 ことば自体がないのだから、その時代までは作り出したもののなかに「オリジナリティ」や「クリエイティビティ」が求められることはなかった。それでは、古代ギリシアやローマ、ルネサンスの「芸術」はいったい何なのかという疑問がわくだろう。近世までの「芸術」は、いまでいう「工芸」に近い。つまり、ルネサンスの作品を「芸術」といい、ダ・ヴインチやミケランジェロを「大芸術家」と称賛するのは、近代的な価値観のあとづけに過ぎないのである。P13

 
 ギリシャ彫刻も職人仕事だったミケランジェロも、近代になるとゲイジュツになった。
芸術は個人の表現=創造と考えられるから、神に代わる行為である。
ここで独創性といったことが、重要になった。
と同時に、近代国家が世界制覇に進出するのも、近代である。
近代国家は武力で威嚇するだけではなく、知的な世界でも自分たちの産物を守りに入った。

 著作権なるものをうちだして、自分たちが考えだしたものを、独占しようとした。
著作権制度は、先進国が途上国へと進出するための枠組みとして、植民地主義と密接にかかわりを持っていた。
情報が国境を越えるのは、先進国から途上国へであって、その反対ではない。
途上国では先進国の海賊版が横行するが、先進国に途上国の海賊版が氾濫することはない。

 わが国の著作権制度も、同じ文脈の上で制定された。

 (著作権法案の)審議の過程をみると、著作者の保護という視点はほとんど見えてこない。領事裁判権の撤廃のためにはベルヌ条約に加盟しなければならない。そのためには、西洋式の著作権法を制定しなければならない。国の利害という観点では、日本にとって不利である。それにもかかわらず、ベルヌ条約への加盟はすでに決まっていることだから、著作権法を制定せざるをえない。旧著作権法の制定の理由はこのようなものであった。(中略)
 他国に文化を輸出して、市場化する意志を国家が持ったときに、著作権制度は国境を越える。そこに垣間見えるのは、著作権の伝播の主体としての国家である。国家間の力関係によって、著作権が国境を越えるという、国家が演じるパワーゲームのカードとしての著作権の実像がみえてくる。P140


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 著作権制度は、個人の知的な制作物を保護するかのようでありながら、
じつは国家主義の拡張に寄与するものだった。
子供に自由に絵を描かせることによって、子供の独創性をのばそうという自由画教育は、
昭和にはいるとナショナリズムへと変貌した。
創造性教育は、国策によって学校教育に組み込まれた、と筆者はいう。

 独創性の涵養は、近代国家の根底に流れる思想だから、
帝国主義的な海外進出には矛盾しない。
近代的な軍備は、すべて独創性によって誕生したものだ。
近代国家は独創性によって生みだされたのだから、むしろ国家主義は独創性によって支えられている。
独創性の保護は、近代国家の意思である。

 最近、メディアテクノロジーが台頭するに及び、著作権も再検討されている。
かつてなら保護の対象にならなかったデーターベースまで、知的産物になっている。
もちろんプログラムは、それが巨額のお金になるからという理由で、著作権の対象となった。
しかし、同時に「オープン・ソース」という考えも登場した。
その代表的な例が、リナックスである。

 旧来のソフトウェアでは、プログラムのソースコードは秘密にされ、その公開はためらわれてきた。ソースコードをみれば、そのプログラムがどのような機能をどのように実現していて、どのように挙動をするのかがすべてわかってしまうからだ。ソースコードを解読すれば、他人の技術を盗用することもできる。
 オープンソース方式では、そのソースコードをあえてオープンにして、開発者コミュニティで共有し、おおぜいのプログラマが改良に参加できるようにする。独創主義から再創主義への発想の転換だともいえる。P193
 
 開発者の組織化は、インターネットによって可能になった。
国境を越えて瞬時に情報が行き交うインターネットで、プログラミングされたものが切磋琢磨されていく。
完成度を高めたものが、日々更新されていく。

 筆者はデジタルコピーの力によって、情報の排他的な所有という近代は、終了するといっている。
優れた自我の反映としての、文学作品というロマンティックな考えは誤謬であり、すでに終焉にいたったという。
基本的にこの考え方に賛成だが、筆者の日本文化を称揚する姿勢は、
わが国に限らず前近代を称揚しているに過ぎないように感じる。
(2002.9.6)
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参考:
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木村英紀「ものつくり敗戦」日経プレミアシリーズ、2009
アントニオ ネグリ & マイケル ハート「<帝国>」以文社、2003
三浦展「団塊世代の戦後史」文春文庫、2005
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ジェイムズ・バカン「マネーの意味論」青土社、2000
柳田邦男「人間の事実−T・U」文春文庫、2001
山田奨治「日本文化の模倣と創造」角川書店、2002
ベンジャミン・フルフォード「日本マスコミ「臆病」の構造」宝島社、2005
網野善彦「日本論の視座」小学館ライブラリー、1993
R・キヨサキ、S・レクター「金持ち父さん貧乏父さん」筑摩書房、2000
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
シャルル・ヴァグネル「簡素な生活」講談社学術文庫、2001
エリック・スティーブン・レイモンド「伽藍とバザール」光芒社、1999
村上陽一郎「近代科学を超えて」講談社学術文庫、1986
吉本隆明「共同幻想論」角川文庫、1982
大前研一「企業参謀」講談社文庫、1985
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富永健一「社会変動の中の福祉国家」中公新書、2001
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オルテガ「大衆の反逆」ちくま学芸文庫、1995
小熊英二「単一民族神話の起源」新曜社、1995
佐藤優「テロリズムの罠 左巻」角川新書、2009
佐藤優「テロリズムの罠 右巻」角川新書、2009
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
北原みのり「フェミの嫌われ方」新水社、2000
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
デブラ・ニーホフ「平気で暴力をふるう脳」草思社、2003
藤原智美「暴走老人!」文芸春秋社、2007
成田龍一「<歴史>はいかに語られるか」NHKブックス、2001
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
J・バトラー&G・スピヴァク「国家を歌うのは誰か?」岩波書店、2008
ドン・タプスコット「デジタルネイティブが世界を変える」翔泳社、2009
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫  2008年
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006年
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965

ジャック・ラーキン「アメリカがまだ貧しかったころ 1790-1840」青土社、2000
I・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
アマルティア・セン「不平等の再検討」岩波書店、1999
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1995



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