匠雅音の家族についてのブックレビュー     社会人類学案内|エドムンド・リーチ

社会人類学案内 お奨度:

著者:エドムンド・リーチ−岩波書店、1991(岩波書店、1984)年  ¥1、100−

著者の略歴−1910年イングランド生まれ、89年没。元ケンブリッジ大学社会人類学教授。ビルマやスリランカでのフィールドワークからマリノフスキーの伝統に基づく緻密で実証的な民族誌を著わすとともに、独自の構造人類学を展開した。主著に、『文化とコミュニケーション』『人類学再考』『レヴィ=ストロース』他。
 社会人類学と文化人類学は、どう違うのだろうか。
本書は、社会人類学のほうから、文化の翻訳という視点で書かれたものである。
最近では、形質人類学、文化人類学、認知人類学、象徴人類学、医療人類学、発展人類学、マルクス主義人類学、構造人類学など、さまざまな人類学がある。
なかでも、文化人類学と社会人類学は両極端である。
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社会人類学案内

 社会人類学は、デュルケムとマックス・ウェーバーを元とし、文化人類学はタイラーと旅行記民族学者に遡る。
また人類学の目的は、人間精神の無意識の構造を発見することだと考えるのにたいして、動物学に近い自然科学として考える流れもある。
社会人類学を信奉する筆者は、マリノウスキーやファースに学び、レヴィ=ストロースに親近感を感じている。

 近代人類学は西洋で始まったが、民族学や人類学の初期には、大きな偏見があった。

 この傲慢で自民族中心主義的な新しい科学の当初の魅力の一部は、それがヨーロッパにおける植民地拡大とアメリカにおけるフロンティアの西部への拡大という時代精神とまことにぴったりと一致したことにある。なぜなら、その主張は、すべての非西欧人は、元来愚かで幼稚で野蛮で奴隷根性をもつものだという根本的な前提に依存していたからである。今日でさえ、人類学の学術用語には、植民地主義者の世界の文脈に起源をもつ価値観を重く負っているものが多い。P16

 そのうえマルクス主義者が、世界は同じ発展のプロセスを辿ると主張したので、余計に独断的で神話的な見方を広めてしまった。
未開社会と産業社会を直結して考え、社会を単色に見る傾向を助長した。
どんな社会でも、複雑な階層や様相をもっているにもかかわらず、人間は単純化して考えやすいのである。

 社会人類学は現実に即し、経験的なものの見方をする。
歴史に正しい法則などないと考える。
例えば、次のように言われるのにも、疑問を呈する。
潅漑農業が農業専制主義の出現を呼んだというマルクスの論は、ニューギニア高知にかんする限り大規模な政治的な覇権と結びついていた証拠はない。

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 どんな社会にもインセストタブーが存在し、兄弟姉妹のあいだの結婚は許されないという。
しかし、ローマ時代には兄弟姉妹間の結婚は普通におこなわれていた。
筆者は、歴史過程に法則はないと断定する。
だから筆者によれば、社会人類学は科学ではなく芸術である、という結論になる。
この立場は、きわめて説得的である。
 
 フーコーは「人間は最近の発明であり、おそらく終わりに近づきつつある発明だ」といっている。
それは近代の人間が均質になったと言うのであり、前近代の人間は多様であったという意味である。
人間は単一だと考えたときには、人間に似ている人間に近い動物がいると言うことを意味する。
だから、地球の隅々へと探検が始まったのである。

 たとえば我々の間では、殺人は公的反則の原型であり、自動的に警察の介入を招く犯罪なのだが、他方、たいていの性道徳の違反は、共住世帯の成員とその近い親族にのみかかわる問題である。しかし、多くの社会において、この状況は正反対となる。殺人は私的報復を招くが、しかし、性的違反の多くが公的処罰をひき起こす。なぜなら、それは儀礼的汚染状態を作り出し、全共同体を危険に陥れた罪とみなされるからである。P178

 遺伝学者と社会生物学者は生物学的種類の親族関係にのみ関心を持っているので、彼らが社会人類学者の書いた研究書に首をつっこむと、社会人類学者の言う「親族関係」は生物学的な親族関係だと、予め想像してしまうのである。一般的にそういうことは無いし、そういう思いこみから大きな混乱が発生しうる。P179

といって、生物学的関係と社会学的関係のあいだの区別を強調する。
これはまったく正しい。
人間が均質だと仮定するから、生物学的関係と社会学的関係を一致させて見る。
が、じつは両者には直結した関係はない。
生物的な事実を社会性へと敷衍したのは、実証主義的な近代の思想であり、きわめて時代限定的なものである。
生物学的関係と社会学的関係が、切れたものと自覚されたから、女性の社会的な台頭があったのである。

 どんな人間社会も、子供たちを育てる組織を持ったいるが、それは必ずしも産業社会が意味する結婚や家族と同じではない。
前近代にあっては、家族は血縁者だけではなく、多くの召使いをも含んだ概念だったし、また、親族が含まれたりもしていた。

 「結婚」、「家族」、「宗教」といったことばは、通文化的枠組みから見ると、たいした意味をもたない。しかし、そうした諸範疇に当てはめられるような制度に出現する関係の諸様式は、常に人類学者のもっとも縞密な注意を惹きつける重要な様式である。特に「夫婦の」関係は、生物学的なものと社会的なものとを橋渡しする働きがあるので、自然の連続性を社会的範疇の不運続性に当てはめようとする我々人間の努力から生ずる逆説を、特定地域の人々がどのような方法で解決しているかを明らかにするのに、ひじょうに特殊なやり方で役に立つのである。P276

本書は、人間を多角的に広く見るのに大いに役に立ったし、近代を相対化するのにも大いに役に立った。
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参考:
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源」ハヤカワ文庫、1997
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か その言説と現実」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
匠雅音「家考」学文社

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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