匠雅音の家族についてのブックレビュー    死因事典−人はどのように死んでいくのか|東嶋和子

死因事典 
人はどのように死んでいくのか
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著者:東嶋和子(とうじま わこ)−講談社ブルーバックス、2000  ¥1、140−

著者の略歴−1962年生まれ。ジャーナリスト、元読売新聞料学部記者。筑波大学第二学群比較文化学類卒業。米国カンザス大学留学。外務省外交フォーラム外務大臣賞受賞。91年よりフリーランスで科学全般、特に生命村学、医療福祉、環境、エネルギー、科学技術分野を中心に取材、科学と社会との関わりを追っている。著書に「緩和医療の現場から−がんとともに生きる」、共著に「科学・知ってるつもり77」「臨界19時間の教訓」「環境を守るしごと」「新・日本名木百選」などがある。 
 死にまつわる恐ろしい題名の本である。
筆者は最初、この本の執筆に気が進まなかったと、「はじめに」で書いている。
死を直視するのが、辛かったのだろう。

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 誰にでも確実に訪れる死だが、なるべく先に延ばしたいし、死にたくないのも事実である。
その後、身近な者の死と立ち会い、編集者からのアドヴィスなどにめぐまれて、書けるようになったという。
<人は生きてきたようにかしか死ねない>という言葉があるが、本当にそうだろう。

 本書の冒頭で、いかに人間が長生きするようになったかが、展開されている。
そう、それは私も強調したい。縄文時代の平均寿命は、15〜20歳くらいだったといわれている。
10代で死んでしまえば、ガンもないだろうし、もちろん成人病もない。
最近では縄文人は、意外に健康だったといわれるが、20歳になる前に死んで、健康もあるだろうか。

 地球上の人口は、地球の誕生以来、ほとんど増えなかったと言っても過言ではない。
それが近代に入ってから、長寿になったので爆発的に増えた。
さまざまな問題を指摘される近代だが、とにかく人間が長生きできるようになった。

 20世紀の100年間において、ヒトの寿命は25年以上のびた!

 遺跡調査から確定される近似値だが、青銅器時代と初期鉄器時代のギリシアでは、乳幼児と子供の死亡率が高いために、赤ん坊が18歳を迎えるチャンスは五分五分だった。約10万年前から青銅器、初期鉄器時代までのすべてのヒトのゼロ歳児の平均余命、つまり平均寿命は、だいたい同じだ。ヒトは、地球上に登場してから99%以上ものあいだ、平均18年のいのちしか授かっていなかったのだ。

 それが、約2000年前のローマ時代にいたって22年になる。そして1900〜02年のアメリカ合衆団で49.2年、46年に同じくアメリカで66.7年、91年には75.7年と、100年間で約25年もいのちをながらえた。これは、青銅器・初期鉄器時代から1900年までにのびた増加分とほぼ同じである。

 1900年以来、感染症と闘うすべをヒトが改善してきたことが大きな原動力となって、赤ん坊は25年以上の余命をプレゼントされた。こんにち、先進国ではほとんどの子供たちが老人になるまで生きることをあたりまえだと思っているが、「子供が老人になる」のは、20世紀になって初めて生じた特異現象なのである。P20


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 近代的な衛生思想の発達や、栄養状態の向上が、人の命を長らえた。
前近代にあっては、飢饉がたびたび来襲したし、病気や怪我にあったら、もう神に祈るしかなかった。
盲腸はいまなら死にいたる病気ではないが、前近代では盲腸になれば、そのまま死んでいくしかなかった。
伝染病の襲来も恐ろしいものだった。

 孤独や生きがいなど、とかく現代社会は生きにくくなっているように感じる。
事故は多いし、毎日の新聞には残酷な事件がたくさん報道されている。
しかし、大量殺人である戦争を除けば、近代は人間を優しくした。
凶悪殺人事件が増えているように感じるかもしれないが、
殺人事件は1954年の3081件を頂点にして、1998年には1388件となった。
44年間で、半分以下になった。現代人は暴力を好まなくなった。
 
 他人は生きがいを与えることはできない。
生きるのは自分である。
そう考えるのは、近代人である。
前近代人たちは、宗教にすがったり、呪いに走ったりした。
自分を自分で律する。
今では当たり前の世に感じるが、前近代においては自分の身体は神様のものだった。
生きるも死ぬのも、自分の手を離れた神の御手にあった。
人間が農村を離れて、都市に住むようになって、自分を発見したのである。

 都市は不衛生の象徴であり、農村は自然に恵まれて、健康な毎日がすごされていると思う。
地方に行くと、空気が美味い。
しかし今や、驚くべき事態が進行している。

 1970年代半ばには、20〜40歳代の男性の肥満の割合は、郡部より大都市で多かった。ところが、その後郡部で肥満が2倍近くも増え、95年には30%と、大都市の25%を上回った。いまや肥満は、農村部のほうが重大な課題だ。P57

 もちろん肥満と死亡との間には相関関係がある。
肥満は万病のもとである。
今や自分の身体は、自分で管理しなければならない。
自分の身体は、神様からの預かりものだったとしても、きちんと手入れをして管理するのは、自分の責任である。

 本書には、あまりにたくさんの死因が列挙されていて、読み進むのがいささか厳しい。
30代の筆者ですら、死を見つめるのが辛いと感じたように、
はるかに年のいった私には、死を見つめるのはもっと辛い。
しかし、死亡率100%だけは、絶対的に外れることのない確率である。
死を見つめることは、生きることを考えることでもある。
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参考:
松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980
イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000
ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003
渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
雨宮処凛「生きさせろ」太田出版、2007
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
ポール・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき高齢化社会の経済新ルール」草思社、2001
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
塩見鮮一郎「異形にされた人たち」河出文庫、2009(1997)
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
横山源之助「下層社会探訪集」文元社
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000
三浦展「下流社会」光文社新書、2005
高橋祥友「自殺の心理学」講談社現代新書、1997
長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006
石井光太「絶対貧困」光文社、2009
上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002
佐藤早苗「アルツハイマーを知るために」新潮文庫 2007年
多田富雄「寡黙なる巨人」集英社、2007
熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004
御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

木下太志、浜野潔編著「人類史のなかの人口と家族」晃洋書房、2003
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
P・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき」草思社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
中山二基子「「老い」に備える」文春文庫 2008

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