匠雅音の家族についてのブックレビュー    最終戦争論|石原完爾

最終戦争論 お奨度:

著者:石原完爾(いしはら かんじ)−中公文庫、2001年    ¥552

著者の略歴−1889〜1949年山形県生まれ。陸軍大学卒業。陸大教官などを経て関東軍参謀。欧州戦史研究と日蓮信仰から、日本を世界の盟主にとの使命感を得、世界最終戦争論を樹立。その第一段階として、満州事変を主導した。参謀本部作戦課長時代、満州国と一体となった総力戦体制ができていないと日中戦争不拡大を主張。東条英樹と衝突し、第16師団長を罷免され予備役となる。その後東亜連盟を指導。敗戦後は全面的武力放棄を唱え、故郷で開拓生活を送った。
 満州を実質的に支配した日本陸軍のなかの、理論的な指導者だったのが筆者だといわれている。
本書は、1940年(昭和15)に行われた筆者の講演をまとめたものである。
その後何度か手が入り、現在のものとなっている。

 戦争というと、戦争それ自体が否定されてしまい、それ以上に議論が進まない。
とりわけ我が国のフェミニズムは、真面目に現実をみようとしない。
幸せでいたという願望だけで語っているので、戦争にたいして正当な論を持たない。
もちろん誰しも戦争は嫌いで、戦わずにすめばこんなに幸せなことはない。
しかし、人間の歴史には戦争があった。
とすれば戦争についても考えておくことは、不可欠である。
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 戦争は武力を使った政治の継続であるとは、クラウゼヴィッツの言葉である。
筆者はそれを、次のようにいっている。

  戦争は武力をも直接使用して国家の国策を遂行する行為であります。P10

 これはクラウゼヴィッツの言葉とほとんど同じである。
政治を行うのは政治家であって軍人ではない。
だから、こういったとき戦争をするかどうかの判断から軍人は退かざるを得ない。
ここからは文民統制がうまれてくる。
我が国の不幸は、軍人が政治をも担ってしまったことである。

 筆者は、フランスの戦史や軍事史を研究しており、横隊戦術から縦隊戦術への転換に注目している。
騎士たちが戦ったのは、横に広く広がって相対する横隊戦術だった。
徴兵制になってからは、熟練を要する横隊戦術がとれなくなった。
フランス革命の軍事上の変化の原因は、兵器の進歩ではなかった、という。
武器というハードへ目が向きがちなのに、戦術というソフトに注目しているのは、慧眼だと思う。

 次にくるのは最終戦争だ、と筆者はいう。

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 第二次欧州戦争で所々に決戦戦争が行なわれても、時代の本質はまだ持久戦争の時代であることは前に申した通りでありますが、やがて次の決戦戦争の時代に移ることは、今までお話した歴史的観察によって疑いのないところであります。
 その決戦戦争がどんな戦争であるだろうか。これを今までのことから推測して考えましょう。まず兵数を見ますと今日では男という男は全部戦争に参加するのでありますが、この次の戦争では男ばかりではなく女も、更に徹底すれば老若男女全部、戦争に参加することになります。
 (中略)戦闘群の戦法は面の戦術であります。点線から面に来たのです。この次の戦争は体(三次元) の戦法であると想像されます。 (中略)大隊、中隊、小隊、分隊と逐次小さくなって来た指揮単位は、この次は個人になると考えるのが至当であろうと思います。
 単位は個人で量は全国民ということは、国民の持っている戦争力を全部最大限に使うことです。そうして、その戦争のやり方は体の戦法即ち空中戦を中心としたものでありましょう。P32

筆者の時代を見る目は鋭い。
風雲急を告げていたとはいえ、開戦前に書かれたことを考えると、次の言葉にも驚く。

 更に太平洋をへだてたところの日本とアメリカが飛行機で決戦するのはまだまだ遠い先のことであります。一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行なわれる時が、人類最後の一大決勝戦の時であります。即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機ができる時代であります。それから破壊の兵器も今度の欧州大戦で使っているようなものでは、まだ問題になりません。もっと徹底的な、1発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねばなりません。P37

 軍略家としての筆者は、きわめて優れたものをもっていた。
しかし、文民統制であるはずの満州国で、筆者が実権を持ってしまったことは、やはり不幸だった。
我が国では、軍事のわかる文民がいない。
それは今でも変わりなく、フェミニズムが象徴するように、好戦的な一部の右派をのぞいて、誰も戦争をまじめに考えない。
戦争は政治と切りはなせないのだから、だから結局、文民が政治をわからないことになる。

 本書の前半は興味深く読めるが、後半になると天皇が登場し、そこで思考が止まっている。
疑ってはいけないものをもっている、つまり宗教的に信ずべきものを担ってしまうと、それ以上考えることが禁止されてしまう。
ここで筆者が日蓮宗へと転轍していく限界が見えてしまう。
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参考:
石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969

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