匠雅音の家族についてのブックレビュー    戦争のグラフィズム−「FRONT」を創った人々|多川精一

戦争のグラフィズム
「FRONT」を創った人々
お奨度:

著者:多川精一(たがわ せいいち)−平凡社、2000年  ¥1、300−

著者の略歴−1923年、東京生まれ。東京府立工芸学校卒業。東京エディトリアル・センター代表。1942年、原弘の助手として東方社入社、「FRONT」の制作に参加する。45年以降、装幀・レイアウトを中心に、「週刊サンニュース」サン通信社、「岩波写真文庫」岩波書店、「太陽」平凡社、「カラーガイド」山と渓谷社、「季刊銀花」文化出版局ほか、多数の書籍・雑誌のエディトリアル・デザインに携わる。79〜99年、出版表現研究誌「E+D+P」全50号、99年以降「紙魚の手帳」を編集・発行。著書に、「現代レイアウト入門」現代ジャーナリズム出版会、「エディター講座・レイアウト基本編」日本エディタースクール出版部、「編集レイアウト技術」全2巻,東京エディトリアルセンター、「復刻版「FRONT」第T期〜第V期、監修、平凡社ほかがある。

 1941年、東京府立工芸学校を卒業した筆者が、20歳で東方社という会社に就職した。
東方社とは中国語で、日本という意味である。
この会社は陸軍参謀本部の直属団体で、対外宣伝用の出版物をつくるところだった。

 
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この会社の最大の出版物は、[FRONT]というグラビア誌で、
対外宣伝のために潤沢な予算と物資を与えられていた。
当事国内には、統制経済がしかれており、紙などは自由に入手で見なかったが、
軍の威光は凄まじいものだったので、高級な紙やインクがまわってきた。
立派な印刷物で、国威発揚というわけである。

 前近代の戦争では、戦争の被害者という発言はない。
前近代の戦争は、傭兵や支配者だけのものだ。
庶民たちは、戦争とは無関係に生活していた。
前近代の庶民とは農民であり、当時の農民は自給自足だったから、国とは無関係に生活ができた。
当時の戦争は、いわばヤクザ同士の抗争であり、庶民はとばっちりを食うくらいだった。
だから、戦争にあるのは勝ったか、負けたかであり、発言は当事者のものとしてなされた。

 しかし、近代の戦争は総力戦になったので、誰でもが戦争にまきこまれた。
国が戦時体制にはいると、そこで生活する人間は、自由な意志にしたがっての生活はできなくなる。
戦争に反対でも、多かれ少なかれ戦争に協力しなければ、生活が成り立たなくなる。
農業から離れたサラリーマンは、国とは無関係に生活できない。

 保守政権の宣伝に、アナーキストが従事するといったことが、イタリアで見られた。
それと同じ現象が、わが国でも現出していた。
東方社の社員たちの多くは、自由主義者と共産党員だった。
彼らの思想信条は、生活のための行動とまったく反対だった。
彼らが戦争に協力し、戦意高揚や対外宣伝のための、印刷物をつくっていたのだ。

 事件や戦争でグラフ・ジャーナリズムが売行きを伸ばすのは、今も昔も変わりはない。1923年(大正12)9月の関東大震災は、東京の印刷工場を壊滅に追いこんだと同時に、出版の世界に写真という媒体の重要さを認識させたのであった。また東京の印刷設備はこの災害を機に一新し、写真製版設備や輪転グラビア印刷が急速に普及した。そして35ミリ小型カメラの先駆であるライカH型(=A型)が、ライツ社で製造されて売り出されたのも1924(大正13)年であった。このように1920年代前半は、華やかな写真の時代の幕開けでもあったのである。P26

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 第1次世界大戦が終わって、たちまち世界は戦争へと進みはじめた。
とりわけ、ナチ・ドイツとソ連では、宣伝に力を入れていた。

 花王石験の宣伝キャンペーンに見られるように、昭和に入ってようやく近代化の機運が見えはじめていた広告宣伝の技術も、こうした激動の嵐をもろにかぶっていた。軍部と、それをバックにした新宮僚主導で進められる、全体主義的統制経済の中では、もはや商業宣伝の仕事に将来はなかった。
 私の数カ月あとに東方社美術部に入社した今泉武治は、それまで森永製菓の宣伝部にいたが、当時の広告技術者の中にあって、新しい宣伝のあり方に情熱を燃やしていた一人であった。報道技術研究会(略称・報研)という会が、主として広告関係者によって1940年11月に結成されている。P86

 バスに乗り遅れるなとばかりに、庶民たちは競って翼賛的な行動へと走った。
本書を読んでいると、純粋に宣伝のあり方や、印刷技術の向上を求めていた人が、
戦争へとのめり込んでいく様子がひしひしと感じられる。
筆者を含めて当時を生きた人たちを、個人的に批判するのではない。
そうではなくて、技術に従事し、真面目に仕事に打ち込むことが、戦争に荷担する構造がみえる。
サラリーマンという庶民は、戦争を支える者でしかない。
 
 東方社の仕事は、印刷や編集・レイアウトといった技術的な面では、
世界のレベルでみても傑出したものだった。
それが戦争へである。
彼らは実際に鉄砲をかついで従軍したわけでもないし、戦地で人殺しや強姦をしたわけでもない。
むしろ真面目に仕事に従事したはずである。

 1940(昭和15)年ごろから度を強めた、国家主義的な傾向と政府による経済統制は、開戦と同時に一段と厳しくなり、戦時特例法で政府の手によって次々と法制化されていった。こうした締めつけは民衆の生活や精神状態にも影響するようになり、毛色や肌色の違う外国人はすべてスパイと見なしたり、労働力確保のために、強制的に中国人や朝鮮人を連行してきて労働させるようなことにも、何の抵抗も感じなくなっていた。(中略)
 だが特高係は聞きこみはやっても東方社へは入ってこなかった。そのころ写真部の暗室主任だった風野によれば、参謀本部から「あの会社に立ち入ることはまかりならん」という通達が警察に入っていたからだという。P124

 本書に収録されている図や写真は、
力強いデザインが今日的ではなく、肉体労働時代のものである。
しかし、印刷・編集の技術としてだけみれば、東方社の仕事は今からみても素晴らしい。
そして敗戦。東方社は解散するが、同じ人たちが再び宣伝の仕事を始めていく。
今度はアメリカ軍のもとで、平和と民主主義を口にして、同じ仕事を同じように真面目に始めるのである。

 戦争に巻き込まれたとか、軍部が独走した。
庶民は戦争反対だった、戦争の犠牲者だったという声を聞く。
では誰が戦争をしたのか。
個別個人が、時流に逆らうことはできなかっただろう。
しかし、われわれの先達たちは、立派な仕事をするという形で、戦争に協力したことだけは忘れてはいけない。
国家の意思に抵抗できる道があるとすれば、自給自足という土を耕す生活だけだろう。
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参考:
石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001

ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984


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