著者の略歴−1953年、カナダ西海岸のバンクーバー生まれ。中国系カナダ人三世。トルドー政権の上席経済顧問官を務めたエコノミスト。87年、母親とともに消息が途絶えていた中国の肉親訪問が実現したのを機に「チャイナタウンの女」(文春文庫)を執筆、各種ノンフィクション賞を受賞。オタワ在住、二児の母。 ベトナム戦争は大きな犠牲をだし、1975年に南ベトナムが降伏して終わった。 南北両ベトナム、そしてアメリカ軍にも、たくさんの犠牲者がでた。 怪我をした者、死んだ者、その数は正確にはわからない。 彼らの多くは無名のままである。
本書は1972年に、ナパーム弾によって大きなやけどを負って、逃げた少女の話である。 彼女の名前は、キム・フックという。 戦争での死者は、多くが無名のまま、忘れ去られていく。 しかし、例外的に名前を知られる人もいる。 9歳のフックは、裸で逃げる姿を写真に撮られ、 それが世界に配信されたことによって、世界的に有名になった。 黒焦げの子供を抱いた老女の姿が消えてから数分がたった。カメラを手にしていた者はみな、この惨事をフィルムにおさめていた。ジャーナリストたちの多くは同じことを考えていた−たいしたニュースが手に入りそうもなかった日に、これぞ戦争のクローズアップと呼ぶべき写真が生まれたわけだ。ナバーム弾の誤射について南ベトナム軍がどんな言い訳をするにせよ、彼らにもそれくらいの事情はわかっていた。どんな戦争でも<仲間内>の戦闘犠牲者は出てしまう。誤って味方の兵士や民間人を殺してしまうことはあるものなのだ−事実その場にいたジャーナリストのほとんどが、味方の砲火にさらされた覚えがあった。だが、ジャーナリストが野次馬のように群がって、何か起こらないかと待ちかまえているところへ、戦闘犠牲者たちのほうからやってくるなどという機会は、めったにあるものではない。P82 この写真が配信された2日後、ある記者が彼女を捜しあてる。 そして、大やけどをおった彼女を、病院へと運んだ。 辛うじて一命をとりとめた彼女は、その後もやけどの後遺症に悩む。 戦争で犠牲になった人には、彼女のような状態やもっと悲惨な状態だった人もいるだろう。 被弾して大やけどをおったにしては、一命をとりとめたのだから、 彼女はむしろ幸運だったと言える。 本書を読んでいると、何時死んでもおかしくない場面が何度もでてくる。 彼女はそのたびに、奇蹟とも言える幸運に恵まれて、現在に至った。 彼女の数奇な運命は、大やけどをしたことよりも、 彼女の写真が世界に配信されたこと、 そして、北ベトナムがベトナム全土に支配権を確立してからである。 戦争には勝ったが、ベトナムはカンボジアとの確執があったりして、極度の貧困に落ち込んだ。 当時ベトナムは、世界で3番目の貧乏国だった。 そのベトナムは、キム・フックを戦争犠牲者の見本として、世界に向けたプロパガンダの道具として使ったのである。
共産主義者が信用するのは、共産主義者だけ。 ハノイ政府は南の庶民を冷遇した。 南ベトナムで商売をしていたがゆえに、 両親は北側が支配権を確立してからは、彼女たちは極貧の生活になる。 多くの人が思想キャンプに送られたまま帰ってこなかったし、ボードピープルとなって海にでていった。 幸運なことにキム・フックは、医学生としての人生を歩き始めることができた。 しかし、状況はいささか変わってきた。 海外からのインタビューに答える時間が、医学生としての学習を許さなくなった。 勉強しなければ、大学は学生を放校にする。 そして、彼女は放校になった。 海外向けに、彼女は医学生である、と言い続けることを強制された。 フックはインタビューのためにたびたびタイニンヘ連れ戻された。二人の暗黙の緊張関係が、フックはホーチミン市の医学生であるという表向きの嘘を成り立たせた。タムにはフックが必要であり、フックはフックで無用な騒ぎを起こして、予想もつかないこれ以上の罰や報復を招くつもりはなかったからだ。 インタビューの回数は減るどころか、宣伝活動が強化された。諸外国のマスコミの<終戦十年後の話題>への絶えざる関心を利用しようと、ハノイ政府はエージェント・オレンジの影響に関する国際医学会議を主催し、おかげでいっそう多くのジャーナリストがタムのもとを訪ねてくるようになった。P246 その後、彼女はドイツでやけどの事後治療を受け、 帰国してインタビューに応じる生活をつづける。 カオダイ教からキリスト教に改宗したことも手伝って、母親ともうまくいかず、 生活は悲惨をきわめた。 やがてファン・バン・ドン首相とコネができ、キューバへと留学する。 そこで彼女はトアンと結婚し、モスクワ旅行からの帰り道、飛行機が給油に立ち寄ったカナダで亡命する。 ナンシーが二人のために見つけた弁護士がカナダ政府にかけあって、<人道的理由>によるすみやかな内諾を得ることに成功したのである。申し立て文書のなかで弁護士は、ベトナム政府によってプロパガンダの道具にされてきた事実や、そのためにもたらされた生活の激変および困窮に対するキム・フックの強い嫌悪について、また、夫と二人でカナダに安息所を求めたい、<静かな生活>を送りたいと願う彼女の強い希望について詳述したのだった。P431 どんな国家も、自分の意志を押し通すときには、強権的で残酷な振るまいをする。 それは自由主義諸国とて例外ではない。 本書は体制については何も語っていないし、戦争についても語っていない。 それでありながら、きわめて強烈な反共の書物になっている。 直接的な批判は何もないからこそ、共産主義批判が圧倒的に伝わってくる。 人をとらえるのはイデオロギーではなく、そこに生活する個人の状態だろう。 どんなに貧困であっても、明日への希望がもてれば人は耐える。 革命が希望を語ったから、人は支持したのだ。 しかし、その結果は、絶望しかなかった。 キム・フックは、今カナダの市民権を得て、平和の使節として行動している。 参照「ハノイの北」 (2003.4.18)
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