匠雅音の家族についてのブックレビュー    兵隊たちの陸軍史|伊藤桂一

兵隊たちの陸軍史 お奨度:

著者:伊藤桂一(いとう けいいち)   新潮文庫   2008(1969)年 ¥629−

著者の略歴−1917年、三重県生れ。中学生時代から文学を志すも、1938(昭和13)年、徴兵により騎兵第15連隊に入営。39年、騎兵第41連隊に転属、中国山西省へ。41年に内地へ帰還するも、43年に再召集され、上海近郊で終戦を迎えた。復員後は、各種の職業につきながら懸賞小説などの投稿を続け、52年に「雲と植物の世界」が芥川賞候補となり、61年に戦場を舞台に描いた『蛍の河』で直木賞を受賞した。戦記文学の他、『風車の浜吉』シリーズなど時代小説にも健筆を揮い、詩人としても活躍。84年には『静かなノモンハン』で芸術選奨文部大臣賞、吉川英治文学賞を受賞した。現在も、執筆、講演などを精力的にこなす。近刊に『若き世代に語る日中戦争』などがある。
 軍隊は将校と兵隊から成り立っている。
作戦を立てたり指揮をする少数の将校と、その手足となる大勢の兵隊たちである。
本書は、兵隊たちがどんな日常を送ってきたか、明治の初めから太平洋戦争で負けるまでを描いている。
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兵隊たちの陸軍史 (新潮文庫)

 我が国は独立戦争をへて来たわけではなく、明治維新という一種の内乱、良くいえば市民戦争をへて独立を保ってきた。
その内乱を統一する精神的な支柱になったのが、尊皇攘夷という天皇制なのだが、敗戦の原因はすべてのここにあるようだ。

 <お国のため>という言葉が、兵隊たちの口癖だったというが、<天皇のため>ではなかった。
にもかかわらず、明治近代国家の結集基準は、天皇だったのだ。
庶民としての兵隊たちは、天皇のためではなく、お国のためにを玉虫色に解釈していた。
それでなければやっていけないだろう。
しかし、天皇の将校たちは、じつに程度が低かった。

 将校とは作戦の最終責任者であり、厳しい倫理に貫かれていたはずである。
しかし、兵隊たちを働かせながら、連日、酒池肉林に溺れていたのは、上級将校たちだった。
兵隊たちの消耗率が激しかったのは周知であろうが、陸大出身者は90%が生き残ったという。
 
 陸士卒の仲間の常識では、部下の3分の2以上を失った場合は、部下と共に戦死し、後事は生残りの先任将校に渡す、ということになつていたようである。しかし、ほとんどそれを実行した者はない。P207

 戦術上の常識では、兵隊の3分の1が戦死した段階で、白旗を揚げるものだ。
しかし、日本軍は兵隊に捕虜になることを許さなかった。
それは天皇のためというお題目が、結局、庶民のものではなかったからだろう。
天皇への直属意識の強かった将校は、平気で生き残ったのだから。
明治になって、近代の国民国家となりながら、じつは国民国家ではなかった。

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 前近代なら、武士などの支配者だけが人格をもった人間であり、庶民は人間ではなかった。
庶民には人格など認められず、支配者たちとはまったく別種の生き物だった。
だから斬りすて後免などが、まかり通ったのだ。
それに反旗を翻したから、市民革命をおこなって、市民たちも人間だと言ったのだ。
しかし、我が国では、天皇だけが人格者で、庶民に人格はなかった。

 戦闘は、兵隊を山と積んで殺す気なら、どんな陣地でも奪れるし、指揮官が愚将であっても足りるだろう。問題は、樹てた殊勲と費した兵数(死傷者)の比率にあるが、明治建軍以後、功績は論議されても、犠牲を加算して功績度を計量する、ということはなかった。つねに兵隊は消耗品でしかなかったのである。戦闘形態は変遷しても、兵隊が消耗品である、という点は、終戦に至るまで変ったとは思えない。いかに兵隊を殺さないかという点に、指揮者の資格の第一義を置く考え方が、もう少し日本軍にあったとすれば、兵隊の世界にも、それだけ救いは多かったと考えられる。P299
 
 今や評判が悪い効率という発想があったら、こんなに大勢の兵隊が死なずに済んだのだ。
天皇という言葉で、思考を停止する習慣を身につけた将校たちは、あたら有能な兵隊たちを殺してしまったのだ。
これは現代でも同じことが言えるだろう。

 今の若者は、実によく働く。
無断欠勤もしないし、電車を定時運行させる。
我が国の若者は麻薬もやらないし、真面目で勤勉である。
にもかかわらず、年寄りたちは根性がないという。
年寄りたちは若者を育てようとするのではなく、若者を消耗品のように考えているのではないだろうか。

 従軍慰安婦の話が出ると、兵隊たちの性衝動が問題になる。
若者の性衝動は特別に強いから、押さえることが出来ないというのだ。
しかし、本書は次のように書いている。

 現役兵にくらべると、召集兵は、多くは女房持ちだから、性というものは、現役兵よりも現実的な意味をもってくる。かれらにとっては、性の悩みは、現役兵のそれよりはるかに強い。また召集兵の多くは、いったん戦場の殺伐さに洗われてきたりしているから、性の所業を遂げるのにも大胆で、ひとりで女さがしに行って、先住民や便衣隊に殺された実例は枚挙に遑がない。中国民衆がよく「ヒゲの生えた兵隊は悪い」といっていたのは、事変初期の召集兵たちの暴行ぶりを指していったのである。P246

 現役兵とは徴兵で入ってきた初年兵と2年兵のことである。
つまり、20歳前後の若者たちが現役兵である。
いちど退役して再度兵役についた、中年者を召集兵というのだ。
バリバリの若者より、分別のある年長者のほうが、下半身の問題が多かったのだ。

 本書は兵隊たちの日常からはじまって、給料とか軍隊の構成など、細かい部分までよく調べられている。
我が国の陸軍を語るときの基本資料の1冊だろう。   (2009.5.29)
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参考:
石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」築地書館、2000
モリー・マーティン「素敵なヘルメット 職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
シェア・ハイト「なぜ女は出世できないか」東洋経済新報社、2001


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